第16話

 俺が目を覚ました時にはとっくに太陽が昇りきっていた。がんがんと痛む頭を押さえながら俺は起きあがる。


「もう昼過ぎだよ、眠りすぎじゃないかい?」


 いったいなぜこんなにも頭痛がするんだ? ミレンの嫌みを無視して俺は昨晩なにがあったのか記憶をたどった。


 そうだ、グローシュのやつに酒を勧められてそれを口にしたのだ。


 その後の出来事を思い出した俺は青い顔をしながら懐をまさぐった。ない、どこにも金貨の冷たい感触が感じられない。


「ミレン! 村人の連中はどこにいった!」


「もうとっくに南にむかって出発したよ。お金のあてができたとかで北の開拓村は放棄して移住するそうだね。」


 しまった、もう取り返しがつかない。


 俺はすっと血の気がひいていくのを感じた。酒に酔った俺がグローシュに手渡した金貨は文字通り俺の全所持金である。


 あれがなければ今までのように豪勢な食事をしながら旅を続けることはできない。


 今なら村人たちもそう遠く離れたところまではいっていないだろう。追いかけて金貨を取り戻すよう交渉することもできるが……。


 しかし、グローシュにはそうする義務などない。


 あの金貨は酒に酔っていたとはいえ俺が手渡したのだ、その約束を反故にすることなどできるはずもなかった。


 俺は心底絶望した。俺の半身ともいうべきあの黄金の輝きはもうないのだ。胸がぽっかりとあいたような喪失感が俺を襲う。


 グローシュとやらはもしかすると酒で俺をはめたのかもしれない。俺は二度と酒を口にしないことを誓った。


「いったいどうしたのだ、アドライト。」


「金貨をすべてグローシュに渡してしまった。今の俺は一文無しだ。」


 ビンタ女が目を丸くする。


「は? それはいったいどうするのだ?」


 北の湖まで旅をするぶんの食料なら持っている。だが、今のままでは帰りのぶんの旅費がない。カビの生えた岩のように固いパンを口にする気などさらさらなかった。


 早急に対策を考える必要がある。


 どこかに金貨が転がっていないものだろうか。金策のために頭の中にある知識をすべて総動員させる。


 ……そういえば、北の森には多くの遺跡が眠っているという噂があったな。


 かつて北の大地には肥沃な大地に恵まれた大国があったという。その国土が魔王によって腐敗させられ、何百年もの歳月の後に木々に覆われたのが北の森である。


 そのため、古来から北の森には財宝を秘めた遺跡が無数に点在しているとまことしやかにささやかれていた。


 もしもその遺跡のうちのひとつをみつけられたのなら帰りの旅費ぐらいは手に入るだろう。


「決まっている、なんとしてでも金を稼いでみせるのだ。」


 自分でもやけくそ気味になっていることを理解しながら、俺は渾身の怒りをこめて黒々とした森を睨んだ。




 魔物に阻まれて遅々として開墾がすすまなかった森の中はうっそうと茂った木々と朽ち果てようとしている倒木で遮られている。


 そんな森の中を木に印をつけながら俺はすすんでいた。


「アドライトのやつ、いったいどうしたのだ? いきなり遺跡を探すなどと言い出すなど冒険心をとうに失った守銭奴のあやつらしからぬ言葉だったが。」


「さあ、まったくわからないな。でも、アドライトの変人ぶりには慣れてるし僕はずっとついていくつもりだよ。」


「……そういうものなのか?」


「どうせそんな迷信なんて正しいはずがないんだし、遺跡なんて見つかりっこないからね。しばらくしたら飽きてまた北への旅を再開するんじゃないかな?」


 背後でビンタ女とミレンがなにやら話している。森の中を歩いているが、遺跡のかけらすらもみつけられそうになかった。


「アドライトはトロルの腹の中に財宝がつまってるなんて騙されてたぐらいだしね。しばらくの間はなにを言っても聞かないよ。」


「ミレン、うるさいな。そこにすこしでも金目の物がある可能性があるのならそこにかけるというのが正しい人間のありかただろう。」


 俺の言葉にミレンは呆れたように首をすくめた。その横でビンタ女が微妙な表情を浮かべている。


「そういえばビンタ女、お前はなぜついてくる? お前は俺とは違って金を持っているだろう?」


「……わたしはビンタ女ではなくてクリシェドだ。別にお前の心配などはしていない、ただミレンになにかあったら後味が悪いからな。」


 どうやら俺の知らぬ間にビンタ女はミレンと親交を深めていたらしい。


「いや、べつにいいよ。クリシェドはそのまま聖剣探索の旅を続けたほうがいいんじゃないかな。」


「いや、そうはいっても気がかりなものは気がかりだろう。」


「べつに僕は心配されるほど弱くない。僕とアドライトとがいれば問題はないさ。」


 ミレンがビンタ女の親切をきっぱり断る。珍しいことだ、実に勇者らしい甘い性格をしたミレンがこれほどはっきりと他者を否定する姿を見るのは初めてだった。


「なんだ、ミレン。そんなにビンタ女がいるのが嫌なのか。確かにお前の気持ちもわかる、こんな神だ信仰心だなど口うるさいやつはいないほうが気が楽だからな。」


「い、いやそういうことじゃない。僕はむしろクリシェドのことを好意的に……。」


 ミレンはなにやらもごもごと口ごもっている。まるで自分でも自分の言葉が信じられないように狼狽したミレンは何度もビンタ女に謝っていた。


 いつもひょうひょうとしているミレンにしては不思議だ。だが、そんなことには興味がない俺はまだ見ぬ財宝を求めて森の中をさまよい続けた。




 うっそうと茂った森が薄暗くなってくるのはとても早い。まだ日没まで時間があるというのに暗黒が俺たちのまわりを支配しようとしていた。


「まったく、完全に森の奥で一晩過ごす羽目になりそうだな。」


「しかたないね、アドライトもこれで気が済んだでしょ。」


 ミレンとビンタ女は気が早いことにもう焚火の準備をすませて夕食の支度をしている。


 金貨を失ったことの衝撃からまだたちなおれていない俺は近くをうろうろとしていた。


 今思い返しても実に腹立たしい。どうしてあの時俺は酒など口にしたのか、時を遡ることができるのなら俺は一万回ほど過去の自分をひっぱたきたい。


 そう後悔していると、森の奥がぼんやりと淡い青色に光っているのが目に入った。明りに誘われる羽虫のようにふらふらと俺はその奥へとむかっていく。


 不思議な光だ。この先に遺跡があるのだろうか。


 「いったいどこにいくんだアドライト!」


 遠くから聞こえてくるミレンの言葉も耳に入らない。おれはひたすら森の奥にむかって走り抜けた。


 視界が開ける。青い光をたどって俺がたどり着いたところは木々がなく花々が咲き乱れた小さな空き地のようだった。


 その中心にひとつの遺跡が横たわっている。


 それは、なにか巨大な力で破壊されたひとつの神殿だった。首より上がない見事な彫刻が寂しげに佇んでいる。


 青い光はその神殿から地下に続く階段の奥から漏れているようだった。


「まって、まってってば! いったいどうしたのさ、いきなりそんなに走り始めて! 夜の森は危ないんだ、ひとりじゃ危ない……だ………ろ…………。」


 背後からミレンの足音が聞こえてきたかと思うと、俺の腕が掴まれる。そのまま焚火のもとまで俺をひっぱっていこうとしてミレンの動きが止まった。


 目の前の遺跡を見つめる瞳がゆらゆらと揺れている。


「あれだけ探してもみつからなかったのに、どうしてこんなところに……。」


 ミレンが信じられないといった風に呟く。俺はその腰にかけられた聖剣から遺跡とおなじ青白い光が漏れていることに気がついた。

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