第10話
クラーケンを倒した後、ダレスが操る船は森のそばの船着き場にとまった。
「あの怪物を倒してくれてあんがとな、また寄ってきたらあの酒場で飲もうや。」
「ふん、今度はおごってやらないぞ。」
苦笑したダレスはふたたび船に乗りこみ、帆を張った。遠くにみえる港町ではクラーケンの討伐を見守っていた漁師たちが手をふっている。
「じゃ、またな。」
ダレスの船がその桟橋にむかって遠ざかっていくのを見届けた俺たちは海に背をむけ暗い森の中へと続く一本道を歩き出した。
ここから先は大きな街はなく村があちらこちらに散らばるように広がっている。人の手がほとんどはいっていない森や川には恐ろしい魔物が跋扈しているそうだ。
しばらく歩いていると日が暮れてくる。
森の一角で焚火を囲んで夕食を終えた俺たちは交代で火の番にたち、魔物を警戒することにした。
「いや、頭数があると助かるね。僕がひとりで旅をしていた時は木の上で寝ていたからさ。」
「そうだな、わたしもひとりでこの森で野宿する羽目にならなくてよかった。」
ミレン、ビンタ女、俺の順番で起きていることにする。さっさとマントにくるまった俺はすやすやと夢の世界に旅立った。
「おい、アドライト。次は貴様の番だ。」
深い眠りについていると、体をがたがたと揺らされる。寝ぼけまなこで起きた俺はビンタ女が赤く光る炎のそばで座りこんでいるのを目にした。
「まったく、いい夢を見ていたというのに。」
「貴様のことだ、どうせ低俗でくだらん中身だったのだろう。」
「いや、金貨がぎっしりとつまった宝箱を手に入れる夢だった。まったくもって清純な内容だろう?」
「……貴様は、あの試練の日からまったく変わっていないのだな。」
俺はビンタ女の横に座り、火の番を始める。だが、ビンタ女は番を終えたというのに未だ焚火のそばで体育座りをしていた。
「なんだ、眠らんのか。」
「すこし話をしてもいいか?」
日課である金貨の鑑賞を誰にも邪魔されずにできると楽しみにしていた俺はうんざりした。俺とビンタ女とでは話があわないのは明白だろうに。
「なんだ、ビンタ女。神なんていういるかもわからんやつを見捨ててようやく黄金を信仰するつもりになったのか?」
「ふざけるな、わたしは神の敬虔な信徒であるぞ! それにビンタ女ではない、クリシェドだ!」
ビンタ女の大声に眠っていたミレンが身じろぎする。慌ててビンタ女は声を小さくした。
「わたしがこの北方にきた理由は話したが、貴様の用件はまだ聞いていない。それでは不平等だろう。」
なんだ、そんなことか。そんなどうでもいいことをなぜビンタ女が気にするのか理解できなかったが、とにかく俺はコカトリスの一件について話すことにした。
「なに、業腹ながら魔物に左目をやられたのでな。義眼をもらいにきたのだ。」
俺は左目に巻かれていた包帯を外してぽっかりと穴の開いた眼窩をあらわにする。それを目にしたビンタ女は小さく息を飲んだ。
「ひ、左目が……。」
「魔物退治には危険はつきもの、そんなことは聖領騎士団のクリシェドとてよく理解しているのではないのか?」
ビンタ女は俺の問いかけには答えず、ただひたすらに左目を凝視していた。
「それに相手はコカトリスだったからな。目ひとつですんでよかったとグロリヤ師も仰っていた。」
「コカトリスだと!? そんなもの、伝説の魔物ではないか。貴様、わたしをたばかるつもりか!」
ビンタ女が唇をわなわなと震わせる。そういえばこのビンタ女は聖痕も偽物扱いしてきたなと俺は思い出した。
「べつにお前に信じられようが信じられまいがどうでもいいがな。それで目のかわりにコカトリスのやつは殺してやったのだ。」
「っ! いや、先日のクラーケン退治の一部始終を見ていたのだ。信じざるをえんか。」
ビンタ女が青い顔をしてうつむく。
「貴様はわたしが聖領騎士団に逃げた後もそのような苦難を乗り越えていたのだな。」
そう呟いたきりビンタ女は眠ろうともせず押し黙っていた。これ幸いと俺は金貨いじりを始める。
布で丁寧に一枚ずつ金貨を拭いていると、いきなりビンタ女が口を開いた。
「あのクラーケン退治の時、わたしは一歩も動くことができなかった。」
あんなにも大口をたたいておきながら、いざクラーケンの威容を目にすると怖じ気ついて体が動かなくなったのだと、ビンタ女が語る。
聖領騎士団の領地ではせいぜい危険な魔物といってもトロルがいるかいないかといった度合いだった。クラーケンほどの魔物を目にすることはなかったのだ。
「あの時は、この世にこれほどの怪物がいるのかと恐怖に囚われたのだ。アレと比べればわたしは許しを請うしかないほんとうにちっぽけな存在だと……。」
だから、俺やミレンが飛びかかっていったのを目にしたビンタ女はそれが理解できなかった。クラーケンに立ち向かうなど自殺行為にしか見えなかったのだ。
「だが、貴様らはあのクラーケンよりもはるかに強かった。」
目にもとまらぬ剣撃を放つミレンはその光り輝く名剣をもってクラーケンを翻弄していたし、同じ聖職者であるはずの俺はまさかの素手で渡りあっていた。
「ミレンはいい、アレはそういう者なのだと言われれば納得できる。だが、アドライト。貴様はなぜにそれほどまでに強くなれた?」
初めて出会った時、ビンタ女は俺のことを信仰心ももたない軟弱な人間だと見下した。実際あの時に剣で戦ったのならビンタ女が圧勝しただろう。
だというのに、高潔な信仰を持つはずのビンタ女のかわりに修道院に入り、そして今やあの海の怪物すらも打倒してみせた。
それがもどかしくてもどかしくてしかたがないのだという。
「ふん、ようするに見下していたやつがなぜか自分を超えていくのを目にして不平でいっぱいというわけか。」
「違う、そういうわけでは……。いや、貴様の言うとおりだ。」
俺の嘲笑まじりの言葉に、ビンタ女が膝に顔を埋めた。
「黄金への愛を胸に努力した俺に信仰のあついお前が負けた。それはその信仰とやらがくだらなかったというだけだ。なにがおかしい?」
「……わたしの信仰は、愚かしいのか?」
「そうだろう。だいたいなぜ見たこともない神とやらを信じていられる?」
ビンタ女が唇をキュッと噛んだ。
「すまないが、わたしは貴様とは一生分かりあえそうにない。神をなぜそうも簡単に捨てられるのか、わたしには到底理解できない。」
「当然だ。俺が敬愛するのはなにがあろうとも金貨だけだ。そしてその黄金への愛がお前の神への信仰に負けるとは到底思えん。」
太陽が昇ってきて、薄暗かった森にもようやく光が差す。
「だからお前のすることは決まっているだろう?」
「は?」
「不条理だの苛立たしいだの取り繕わず、努力して俺を打ち負かせばいい。そうすれば俺は負けを認めて神の存在でもなんでも認めてやる。絶対に負けんがな。」
ビンタ女がぐじぐじと悩んでいる姿は見るにたえない。俺はその苦悩が一切理解できなかった。
負けて悔しい? なら努力して勝てばいいだろう。なぜそこで自らの信仰を疑う?
「……ふっ。」
俺の考えを口にすると、ビンタ女が笑った。せっかく俺が解決策を示してやったのにコケにするとは実にいい度胸だ。
「貴様はもっと血の通わない冷たい男だと思っていたぞ。」
「それは聞き捨てならんな。俺はいつだって自分の欲望に全力疾走だ。」
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