第8話
荒野を抜けると、雪の残る港町にたどり着く。
街の向こう側には海がひろがり、その奥にうっすらと陸地がみえる。北の湖にむかうためにはこの港町で船に乗り、むかいの陸地までいかなければいけない。
「きれいな街だね、潮風が感じられるよ。」
ミレンが目を輝かせて岩の上から身を乗り出す。その後ろで俺はやさぐれていた。
ミレンが勇者だとわかってから俺は寝ているところを襲おうとしたり、昼間に背中から首をはねようとしたりした。
しかし、そのたびに鞘におさまっているはずの聖剣がカチャリと音をたてるのだ。
やはりこの聖剣にはなにかある。勇者を殺せるまたとない絶好の機会を前にしていながら、俺はそれを生かすことができていなかった。
「さっ、はやくいこうよ。いろいろ買い物をするんでしょう?」
街にたどり着くのが待ち遠しくてしかたがないミレンに引きずられていく。俺は深いため息をついた。
「あ、ニシンの塩漬けがあるよ! 君って魚好きじゃなかった?」
「修道院で塩漬けの魚は死ぬほど食ったからもういい。船に乗せてもらえるよう交渉しにいくぞ。」
朝の市場に目を奪われているミレンを今度は俺が引きずって船着き場までむかっていく。
「俺たちをむかいの陸地まで乗せてほしいんだが、いつ船を出すんだ?」
ボロい船の横に手持無沙汰で立っている大男に声をかける。その男は俺を上から下までジロジロと眺めた後、唾を吐いた。
「あさって来やがれ。あいにくと今は船を出してないんだ。」
あからさまに態度の悪いその男にむっとするミレンを手で抑え、懐から金貨を一枚取り出す。
「ふん、これを見ても同じ口が利けるのか? 船を出してないんだったら漁もできてないだろう、金に困っているに違いない。」
男が俺の手のひらの上の輝きに目を奪われる。そして、先ほどまでとは打って変わって打ち解けた様子で俺の背中をたたいた。
「へへへ、あんちゃん初めにそういうことは言ってもらわねぇと困るなぁ。ただ、船を出してねえのは本当なんだ。」
ダレスと名乗るその男によれば、船を出せないのは付近の海で巨大な怪物が暴れているからだという。
クラーケンと呼ばれるその怪物は体躯が山のような大きさのタコで、今までいくつもの船を沈めてしまったのだという。だから今は怪物がどこかに去るのを待つことしかできないというのだ。
「ふ~む、それはもっと詳しく話を聞きたいものだな。どうだ、どこかで話さないか? もちろん代金はこちら持ちだ。」
「いや~、なかなか分かってらっしゃる。あそこの酒場のパエリアは絶品なんだ。」
ダレスについて酒場に入る。席に着くなりダレスは酒場の主人に酒を頼んだ。
「あんちゃんたちはいったいどういう関係なんだ? 駆け落ちの恋人かなんかなのか?」
「こっ!」
ミレンがなぜか顔を赤らめているのを無視した俺は主人と召使との関係だと答えた。
「俺はやんごとなき身分の修道士だからな。旅にも召使ぐらいはつれていくさ。」
「ふぅ~ん、高貴な方の事情はよくわからねえや。」
ダレスの目の前にジョッキ一杯に注がれたエールが運ばれてくる。それを飲み干すダレスを目にした俺は酒場の主人に追加で酒を頼んだ。
「いいのかい?」
「代金は俺が持つといっただろう?」
あまりにも気前の良い俺を訝しんだらしいダレスが胡乱げに見つめてくる。しかしそのだらしなく持ち上がった口の端は嘘をつけなかった。
そののちも俺は酒を浴びせるようにダレスに飲ませた。あっという間に酒場に空のジョッキが積み重なってくる。
「まったく漁に出れねえからって、女房のやつ酒を禁止しやがったんだ。なにが金の無駄使いだ、酒は船乗りの血だってのによ。」
すっかり酔いがまわったダレスが愚痴をこぼし始める。
ミレンと魚介がたっぷり入ったパエリアを口にしていた俺はそろそろいい塩梅になってきたとばかりに身を乗り出した。
「それはひどい話だ。船乗りから酒を奪うだなんて神でも許さぬ悪行だろう。」
「ひっく、全くその通りだ!」
俺は懐から再び金貨を取り出した。
「俺ならそんなことはさせない、この金貨をくれてやってもいい。これで酒には困らんだろう。」
顔が真っ赤になったダレスがふらふらと金貨にむかって手をのばしてくる。その指が金貨に触れる直前で俺はさっと懐にしまいなおした。
「だが、条件がある。船を出してむかいの陸地まで俺を運ぶんだ。クラーケンとやらは俺たちが倒してやる。」
「だが、クラーケンを倒すだなんてそんなこと……。」
なおも渋るダレスに再び金貨を見せつけながら語りかける。
「なにがダメなんだ? また漁にいけるようになるし金貨も手に入る、いいことづくめじゃないか。お前も船乗りなら冒険のひとつやふたつぐらいしてもいいだろう?」
「ああ、そうだ俺は誇り高い船乗りだ! その話に乗ってやるよ!」
よし、ダレスの言質をとった。すぐさまダレスの手に金貨を握らせる。
「酔っぱらわせて無理矢理約束をとりつけるだなんて、あくどいね。」
「なにが悪い? これであとは俺たちがクラーケンを倒せばいいだけだろう?」
じとっと責めるような目つきで見つめてくるミレンに俺は首を傾げた。
「クラーケンを倒すかわりに俺たちを船にのせてもらう、それだけの話だ。」
そう俺が口にしたとき、酒場の片隅で椅子がガタリとなった。
「その話、詳しく聞かせてもらっていいか?」
そう口を挟んで、ひとりの女騎士が近づいてくる。真っ白な布地に騎士団の紋章があしらわれたサーコートをはためかせたその騎士の顔に、俺は見覚えがあった。
「実はわたしもむかいの陸地に用事があってな。クラーケンの討伐を手伝うかわりにのせてほしい……、貴様はアドライト!?」
「お前、あのビンタ女か。」
修道院の試練を道半ばで諦めていったあのビンタ女が甲冑に身をつつんでそこにたっていた。
「そうか、お前は聖領騎士団に入ったのか。」
どうやらこのビンタ女は修道院から逃げたのち、聖領騎士団という教皇猊下直轄の騎士団にくわわったらしい。
聖イグラネウス修道院ほどいろいろな意味で名をはせているわけではないが、聖領騎士団も魔物が跋扈する聖領を教皇にかわって治める精強な戦士たちの集まりだ。
「試練から逃げ出す臆病者にしてはなかなかやるではないか。」
「っ! ……そういう貴様は、袖が赤く染められたその僧衣を身にしているということはあの試練を乗り越え修道院にくわわれたのか?」
「そうだが。」
俺たち聖イグラネウス修道院の修道士たちは洗濯の手間が省けるよう黒と赤で染められた服を身にまとっている。
そんな俺の姿をしばらく羨望と嫉妬が入り混じった目つきでにらみつけていたビンタ女だったが、ふとミレンの存在に気がついたようだ。
「こちらのかたはいったい?」
「俺の召し使いだ、本人の腕前はポンコツだがなかなかの名剣を持っている。」
「ミレンというんだ、よろしくね?」
ミレンとビンタ女が握手をする。
「ミレン、こいつはビンタ女だ。俺とは違って修道院に入れなかった負け犬だぞ。」
「わたしはビンタ女ではない、クリシェドという名をもらっている!」
「お前、そんな名前だったのか、初めて知ったぞ。」
「はっ……?」
ビンタ女が信じられないといわんばかりの目線を俺にむけてくる。
「アドライト、ビンタ女というのはいったいどういうことだい?」
「こいつは出会い頭に俺が傲慢で強欲な聖職者だといってビンタをしてきた、信じられんぐらい失礼な女だ。」
俺の言葉にビンタ女が恥ずかしげに顔をそむける。なぜかミレンはさもありなんと一人納得していた。
「んんっ、とにかくこれからよろしくお願いする。過去の遺恨についてはわたしが悪かった。ここで謝罪しよう。」
ビンタ女が差し出してきた手を握る。まあ、頭数が多いだけこちらも苦労せずにすむだろう。俺たち三人は協力してクラーケンを倒すことになった。
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