第7話
「ふ~む、その目は問題ですね。これは一介の修道院が治せるようなものではありません。」
グロリヤ師が俺のつぶれた左目を覗きこみながら困ったように呟いた。
「グロリヤ師、俺はべつに気にしませんよ。これは俺の信仰の結果なのですから。」
「あなたの信仰心の深さには敬意を示します。ですが、あなたの師としてわたしはあなたを手助けしたい。」
グロリヤ師が羊皮紙をとりだし、羽ペンを走らせた。そして、その書状を俺に手渡す。
「北の湖にいき、これをアンドレアスという司祭にみせなさい。わたしの弟子ですから便宜を図ってくれるはずです。」
「アンドレアスというかたなら俺の目を直すことができるのですか?」
「いいえ、アンドレアスは治癒の術は学んでいません。ですが優れた職人です、喜んであなたの義眼を作ってくれるでしょう。」
修道院に残って修行を続けるつもりだったが、ただで義眼が手に入るというのなら遠慮する必要はないか。俺はグロリヤ師の言葉に従うことにした。
「北の湖って、ずいぶんと遠くに旅をするんだね。」
自分の部屋に戻ると、いつのまにかミレンがいた。俺は自分の頬がひきつるのを感じる。
コカトリスの一件以来ミレンの様子がどうもおかしかった。
ずっと俺の周りにつきまとって俺のすること全てを手伝おうとしてくるのだ。その目的がいっさいわからず俺は不気味に感じていた。
「その、僕もその旅についていっていいかな? 僕にできることならなんでもするからさ。」
俺はミレンの言葉が理解できず、まじまじとその顔を見返す。
普通ならいろいろと労働をさせてくる俺が旅に出るとなれば喜んで修道院に残ってその間に逃亡しようとするはずだ。すくなくとも俺がミレンならそうする。
それなのに、なぜ俺の旅についてくる?
「アドライトの役に立ちたいんだ。君の左目がなくなったのは僕のせいだし……。」
ミレンが俺の包帯がまかれた左目を痛々しげに見つめる。その表情は申し訳なさげに歪んでいた。
俺はミレンの演技のうまさに舌を巻いた。一瞬ほんとうにミレンが俺のことを心の底から手伝いたいと思っていると信じそうになったほどだ。
だが、逃亡しようとしたやつがそんな殊勝な心がけをするはずがない。いったいなにをミレンは企んでいるか、その答えは俺には見当がつかなかった。
涙を浮かべたグロリヤ師に見送られながら修道院を後にする。
目指す北の湖は高い山々に囲まれた辺境の果てにある。そこにたどり着くにはいくつもの街を通り、川を越え、峠を越えなければいけない。
義眼がもらえるのでなければいこうと考えすらしなかっただろう。
だが、それにも関わらずミレンは楽しそうに鼻歌を歌っていた。ぞっとする、俺の二の腕には鳥肌が立った。
「どうしてそんなにうれしそうにしてるんだ? この旅はべつに楽ではないぞ?」
「うん、でも君と二人きりなんでしょ? だったらどんなことだって乗り越えられるさ。」
……ほほ~ん、ようやくミレンの目論見が読めてきたぞ。
ミレンは俺と二人きりになりたかったわけだ。逃亡に失敗した今、おそらくは俺の命を奪うつもりなのだ。
俺は金に執着している。それから逃れるためには俺の命を奪わなければいけないと気づいたのだろう。
なかなかに恐ろしい奴だ。これは常に気を払っておかなければな。
岩だらけの荒野を歩き続けると時はあっという間に過ぎ去り、太陽が沈み始めた。
「今日はここで野宿するぞ。」
「うん、夕食はどうするの?」
俺は石を拾い、空を見上げた。
夕暮れになって寝床に戻ろうとしている鳥が遠くに飛んでいる。そのうちの一羽にむかって俺はその石を投げつけた。
風切り音をたてて飛んでいった石がその鳥の頭にきれいに衝突し、落ちてくる。それをひろった俺はミレンにみせた。
「これだ。」
「あれっ? 修道士は肉を口にしたらダメなんじゃなかったけ?」
「馬鹿が、だからこそだ。」
修道院では清貧とかいうふざけた考えのせいで肉などいっさい口にできず、野菜の切れ端の入った薄いスープと黒くてかたいパンしか食べられなかった。
もちろん、高貴な生まれであるこの俺がそんな食事に満足できるはずがない。
だが、俺にできることといえば自分の部屋で隠れて塩漬けの肉などをかじるぐらいのことだ。満足するにはほど遠い。
だからこそ、こうしてほかの修道士の目がいない間に豪勢な食事をとらなければ。
「まあ、君らしいといえば君らしいね。」
焚火でその鳥を焼き、持ってきたパンとあわせて口にする。
街についたらいろいろと買い物をする必要があるな。それさえすめばこのひどい出来のパンともおさらばだ。
固い地面の上から起きあがると、ちょうど日が昇っていた。
昨日焼いた鳥の肉の残りを口にして、出発の準備を整えていると、ミレンはなにかを伝えたがっているようだった。
「よし、いくか。」
「……そのまえにいいかな?」
ミレンが鞘に納まった剣を取り出す。まさか、ここで俺を殺すつもりなのか?
俺の中に緊張が走る。俺は背中にまわした手から手袋を外し始めた。ミレンのもつあの剣は危険だと直感がつげていた。
「僕がトロルや、それにコカトリスに襲われた理由を君だけには打ち明けなければいけないと思ったんだ。」
ミレンがその剣を鞘から抜き放つ。警戒心でいっぱいだった俺はその光景に目を奪われた。
青白い、見事な剣だ。それこそ俺が今まで見たことがないほど優れた。
……見たことがない? いや、どこかでその輝きを目にしたことがあるはずだと頭の片隅がうずく。
「僕は、勇者なんだ。」
頭の中に、すべての始まりとなったあの予知夢がよぎる。あの時俺の首をはねたあの青白く光る剣が、今ミレンの手の中の剣と完全に一致した。
勇者が男ではなく女だったとか、そんなことは一瞬で頭の中から吹き飛んだ。
考えるよりも先に体が動く。鉄板すら裂くことのできる俺の手なら、ミレンの心臓をくりぬくことなど造作もないだろう。いや、その前に黄金の彫像に変えてもいい。
俺がミレンにのばした手がミレンに届く、その瞬間。
ミレンが手に持つ聖剣がすさまじい輝きを放った。俺の背筋にスッと悪寒が走ってやまない。
俺は理解した。このまま俺がミレンに襲いかかってもこの聖剣には勝てない。
ミレンが恐ろしいのではない、あの聖剣がひどく危険なのだ。アレに挑むにはあまりにも早すぎる、そう魂が告げていた。
ギリギリのところで手を止める。幸いなことにミレンには気づかれていないようだった。
「僕のもとにはいつも魔王から刺客が送られてくる。君の左目はその巻き添えになったんだ。」
ミレンが目を伏せる。
「もしも僕みたいな厄介者ともう旅をしたくないなら、そう言ってほしい。それなら僕はもう君の前に姿を現さないと約束するよ。」
勇者であるミレンが俺のもとにもう姿を現さない?
「そんなことを俺が許すわけがないだろう。むしろ勇者が俺の傍にいるのなら僥倖だ。」
ミレンの言葉に俺はおもわず口を開いた。
ここでミレンを逃せば最悪の場合あの死の瞬間まで勇者の居場所がわからなくなるかもしれない。そんなこととうてい容認できるはずがなかった。
勇者がどこにいるかは常に知らなければいけない。さもなければ死の運命の前に勇者を殺すことができない。
勇者が近くにいる、それは絶好の機会なのだ。
俺がミレンを殺そうとしているとも知らず、ミレンがぱあっと顔を輝かせて、飛びついてくる。
「っ、ありがとう! やっぱりアドライトは優しいね。」
「当たり前だ、俺は寛容で素晴らしい人格の持ち主だからな。」
胸元に頭を埋められながら、俺はにやりと口をゆがませた。
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