第5話
黄金が視界いっぱいに広がる。
俺は目の前の藪をすべて純金の塊に変えることでコカトリスの視線を防いだ。とばっちりを食らったのか、空から何匹かの鳥が落ちてくる。
「これは、いったい……?」
「俺の力だ。とにかく逃げるぞ!」
財宝を体内に隠し持っているのならともかく、コカトリスは倒したって一銭の得にもなりはしない。
そんな無意味なことをするつもりは俺にはなかった。
森の木々を切り倒して黄金に変え、コカトリスとの間にいくつもの壁を作り出す。俺たちは森の中を一目散に逃げだした。
背後からジュウジュウと黄金が溶けていく音がする。
どうやらコカトリスの毒は金にも効くらしい。せっかく作り出した金を消していくコカトリスに俺は軽い殺意を覚えた。
「ちっ、面倒だな。そもそもなぜコカトリスなんぞがこんなところにいるんだ。」
コカトリスは鶏の卵をヒキガエルが温め、最後に火山に放りこんで生まれるとされる。しかし、修道院のまわりには火山などひとつもない。
「……のせいだ。」
「なんだって?」
小声でなにごとか呟いたミレンは思いつめた表情をしている。森を走り抜け、崖の上に出た時だった。
「ごめんなさい。」
ミレンに背中を押される。そのまま俺は崖の下まで一直線に落下した。
強欲でわがままなくせにどこか憎めない修道士の少年の姿がどんどん小さくなる。ミレンはそのまま崖沿いに走り始めた。
自分の後ろをコカトリスが追ってくるのを感じる。これでいいのだ、とミレンは自分に言い聞かせた。
ミレンは、勇者だ。聖剣を引き抜いたその日からそのためだけに生きてきた。
勇者の宿敵、魔王は封印されている。だが、その邪悪な力で魔物をさしむけ勇者の命を狙っていた。
自分の育った村も旅先で泊まった街も、すべて魔物の襲撃で滅んだ。ミレンが親しくした人々も全員死んでしまった。
だから、ミレンはずっと一人で修行の旅を続けることにした。
街に立ち寄ることはしなかった。なるべく人の少ない辺境を旅してまわり、野宿ばかりしていた。
そんな生活を続けて数年、気が緩んでしまったのだろう、ミレンはあの修道士の少年をまきこんで二度も危険にさらしてしまった。
……まあ、トロルを素手で倒してしまうとは思わなかったけれど。
ミレンはアドライトのことを思い返した。
聖職者のくせに欲望にまみれた実に変な修道士だった。いつも金貨を数えては気味の悪い笑みを浮かべているような人間だ。
そうと思えば、トロルを素手で倒してしまうほどの力を持ち、弱ったミレンをなにかと理由をつけて修道院で休ませようとする妙な優しさもあった。
初めは完全に信じていたが、修道院に泊まるのにお金はいらないとほかの修道士から聞いたのだ。たぶんあれはミレンをその場に留まらせるための嘘だったのだろう。
もしかすると私腹を肥やしているだけの可能性もあるのだが、さすがにそれはないとミレンは信じたかった。
とにかく、その優しさに甘えるのも今日が最後だ。
たびたび討伐されているトロルと違ってコカトリスはほんとうに伝説の魔物だ。それこそ魔王の切り札といってもいい。
勇者としての問題に他人を巻きこむことはできない。ミレンは藪に隠れてコカトリスを待ち伏せすることにした。
しばらくして、コッコッコッという鳴き声とともにコカトリスが姿を現す。
ミレンは震える手を抑えて聖剣を構えた。
ちょうどコカトリスが藪のすぐ隣に来た時に飛び出す。コカトリスの頭に気をつけながら青白く光る聖剣をその体に振り下ろした。
血しぶきが飛ぶ。怒ったように鳴き声をあげるコカトリスに刻まれた深い傷はみるみるうちに塞がっていった。
予想していたとはいえ、厄介極まりない。
コカトリスを退治するためには頭をつぶすほかない。コカトリスの再生能力が高すぎてそのほかの傷は致命傷になりえないからだ。
切り落としたはずの短い翼がにょっきりと生えてくる。
コカトリスに視線をむけられないようまわりこみながらミレンは機会を伺った。
傷つけられたコカトリスは怒りにまかせて羽根をあちらこちらに飛ばす。それらすべてに猛毒がふくまれている。
ミレンが避けた先の草木や岩までもが溶けてブヨブヨとした黒い液体に変化していく。一瞬でまったく生命の息吹を感じられない死の大地が作り出された。
どんどんとミレンが隠れるための障害物が毒で潰されていく。
これ以上逃げていてもコカトリスにじわじわと追いつめられるだけだ。ミレンは今まであえて隠していた聖剣の真の力を解き放つことにした。
コカトリスが羽根をまき散らした間隙をついてその頭部にむけて駆ける。
わざわざ自分から飛びこんできた獲物に、コカトリスは息の根を確実に止めんと目を走らせた。
ミレンが物言わぬ死体になるかと思われた、その瞬間。
青く光る聖剣がミレンの前の虚空を切り裂いた。
水晶が割れたかのような甲高い音がしたのち、本来ならすでに死んでいるはずのミレンが剣を振り下ろしたままの勢いで飛び出してくる。
自らの必殺の力が通用しなかったことに困惑するコカトリスの眼前でミレンは剣を切り上げた。首が切り飛ばされる。
勇者の聖剣はなにもかもを斬ることができるという破格の力を勇者に与える。その力でミレンはコカトリスの視線を斬ったのだった。
やった、なんとか倒すことができた。
安堵の念につつまれたミレンをあざ笑うように、コカトリスの頭が再生を始めた。
「っ!?」
理解できずに突っ立っていたミレンは、ふとコカトリスの尾がくねくねと動いていることに気がついた。
ヘビが首をもたげている。
コカトリスを倒すためには鶏のほうの頭を切り落とすだけではなく、尾のヘビの頭までも潰さなければいけなかったのだ。
ミレンが自らのあやまちに気がついたころにはすべてが遅かった。
ヘビの頭がミレンを即死させようとこちらにむくのを間一髪避ける。しかし、体勢を崩したミレンはつづけさまに放たれた毒の吐息から逃れることができなかった。
全身にしびれが走る。
あっという間に麻痺させられたミレンはその場に倒れこんだ。
勝利を確信したコカトリスがゆっくりとその二対の目をミレンにむけていく。ミレンはすべてを諦めて、神への祈りを捧げ始めた。
俺は崖の下を流れていた川の上に落ちた。川岸にあがると、ミレンに突き落とされた崖が上のほうに見える。
俺はミレンの突然の奇行に困惑していた。
なぜ俺と離れたのか。普通生き延びたいのなら肉壁にするなりなんなり利用できるというのに。
一瞬、囮になってコカトリスをひきつけたという可能性が頭をよぎったがあまりにも愚かな考えすぎて笑ってしまった。ミレンもそれほど馬鹿じゃないだろう。
そうしてミレンの動機を考えていると、俺に雷が走った。
まさか、ミレンのやつは俺への奉仕に嫌気がさして逃げ出そうとしているのではないだろうか。
確かにこのまま逃げ切ってしまえば、修道院に帰ってこなくてもコカトリスに殺されてしまったのだと考えられて捜索もされない可能性が高い。
俺はミレンの天才的な逃走計画に鳥肌がたった。
だが、ミレンの計画に穴があったとすればそれはこの俺の存在だろう。そこらの凡百な人間ならいざ知らず俺はしっかりとミレンの意図を見抜いたのだ。
たかが旅人の分際でこの俺を騙そうだと!
怒りに震える俺は必ずミレンを捕まえると決心した。
崖をよじ登り、コカトリスの残した毒の跡をたどっていく。そのついでにいくつか道具を準備しておいた。
絶対に逃がしてたまるものか。
森の中を駆けていくと、やけに開けた場所に出る。俺を騙そうとした不届きもののミレンはコカトリスの前で横たわっていた。
「なっ、アドライト!?」
俺に気がついたミレンが目を見開いてこちらを見ている。おそらくは俺に追いつかれたことに絶望しているのだろう、その瞳はうるんでいた。
この俺から逃げようとしたこと、必ず後悔させてやる。
俺はコカトリスの体めがけて黄金に変えた巨大な岩を放り投げた。
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