第3話

 ありえない。


 俺がもう一度彫像を運び出して一年もたっていないはずだ。なのに、岩山の上には俺の運んでいた彫像が鎮座している。


 幻ではなかろうか。俺が彫像に触れた途端、奇妙なことが起きた。


 彫像が黄金に変わったのだ。


 あっけにとられて彫像を見つめる。無数の金貨を観察してきた俺の目は確かに目の前に金の固まりがあると確信していた。


 ……もしかして、これは俺が触れたからこうなったのか?


 その時、俺に電流のような衝撃が走った。はやる思いを抑え、おそるおそる足元の小石に触れてみる。


 次の瞬間、そこには小石ではなく黄金があった。


 全身が喜びで震える。手当たり次第にまわりの岩に触れていくと、すべてあの美しい黄金に姿を変えていく。


 俺が触れたものはすべて黄金になるのだ。


 今までの人生でこれほどまでに幸福を感じたことはなかった。金銀財宝の湯船につかるという俺の人生をかけた夢が叶ったも同然なのだ。


「黄金……いえ、神様。俺は一生あなたについていきます。今まで礼拝を時間の無駄だと考えていた俺をお許しください。」


 俺は涙を流して神に感謝した。このように黄金をくださる神をないがしろにするなどなんと愚かだったのだろう。




 それから俺は修道院に迎え入れられた。


 俺が授かった力は奇跡と呼ばれているらしく、あの試練はその力が宿るかどうかをふるいにかけるための儀式だったそうだ。


 あの老婆の修道士、グロリヤ師が俺の修行を監督してくれるのだという。


「守護天使様から奇跡の力を授かったとはいえ、私たちが怪物と相対するには不十分です。」


 修道士は奇跡などに頼らずとも戦えるすべを学ばなければいけない。それをグロリヤ師は教えてくれるのだ。


「まずは見本をお見せしましょう。」


 グロリヤ師が岩に手を触れる。そして軽く押した。


 次の瞬間、岩が粉砕され粉塵が周囲に舞う。視界が晴れたころにはそこにあった岩は跡形もなく消滅していた。


「このように信仰心を高めることでいかなる問題も解決することができます。」


 ふむふむ、信仰心の深い信徒はこのようなことができるのか。


「……無理だと思うのですが。」


 いや、普通に考えてどんなに神を信じていたとしても岩を木っ端みじんにすることなど不可能だろう。だが、グロリヤ師はそうは思わないようだ。


「いいえ、あなたもわかるはずです。あなたの根源となる思いを、信仰を呼び覚ましなさい。」


 俺の根源となる思い、それは黄金への執着にほかならない。それをグロリヤ師のいうところの信仰心と置き換えてみよう。


 仮に目の前の巨岩を砕けれれば巨万の富を手に入れることができるとする。それでも俺は無理だと諦めるだろうか。


 いや、絶対にありえないな。


 俺はようやくグロリヤ師の言わんとすることがわかった気がした。確かに深い物欲をもってすればこの岩など容易く粉砕できるだろう。


「その通りです。もう理解なさるとはなかかなか前途有望ですよ。これまでの教え子にはわかってもらえず狂人扱いされたものですから。」


「それは聞き捨てなりませんね。確かな意志さえあれば何事も成し遂げられるというのに。」


「アドライト様……! そうです、信仰に恵まれれば不可能はないのです!」


 初めは恐ろしいと感じていたが、どうもグロリヤ師と俺とは相性がいいようだ。




 修道院の一日は夜明け前に始まる。


 まずは礼拝。なによりも愛してやまない黄金と、ついでにそれをくださる神に祈りを捧げる時間だ。


 そのまま修道院の外で畑を耕す。高貴な俺が農民のように土にまみれて仕事をするのは耐えがたいが、これも勇者の息の根を止めるための体力づくりである。


 その後に昼食をはさみ、とうとうグロリヤ師との修行が始まる。


 とはいってもたいしたことではない。ただひたすらに岩や鉄板を殴るだけである。


 グロリヤ師との問答どおり、黄金への執着さえあればいかなる困難も乗り越えることができるのは明白だ。


 俺の黄金への愛情が足りていないから岩を殴っても爆裂四散しないのだ。ようやく鉄板を貫通できるようになったが、まだまだ未熟である。


「まさか、グロリヤのような狂人がもう一人増えるとは思いもしませんでしたな。」


「素手で鉄板を貫通できる時点で異常だろう。いくらこの修道院が浮世離れているとはいえ、アレだけはありえない。」


 ほかの心ない修道士からはまったく信仰心のたりない言葉ばかりが聞こえてくるが、俺は惑わされずに修行に打ちこむ。


「アドライト様、岩に亀裂が入るようになりましたよ。すばらしい」


「いえ、まだまだグロリヤ師には及びません。より一層修行に励まなくては……。」


 俺は実に充実した日々を送っていた。




 そんなある日のこと、近くの村で用事をすませた俺は岩だらけの山道を修道院へと戻っていた。


 ふと気がつくと、目の前からマントをまとった旅人が走ってくる。


「そこの人、逃げなきゃダメだよ。この先にトロルが現れてって、え?」


 目の前で旅人が立ち止まり、俺をまじまじと見つめてくる。


「なんで石像を背負ってるんだい。」


「修道院で試練に使う石像がたりなくなったのでな。」


「へ、へぇ。とても変わった修道院なんだね。」


 ひきつった声の旅人を横に、俺は石像を道のわきにおろした。ズシンと地面が揺れる。


「と、それどころじゃない。トロルが僕のすぐ後ろにまで来てるんだ、その石像は放っておいて逃げよう。」


 トロルとは体が土や泥、岩で覆われている巨人のことだ。ここよりもさらに北の深い渓谷で暮らしているはずなのだが。


 地響きが聞こえたかと思うと、山々の間からにゅっとトロルの醜い顔が現れる。


「ほら、嘘じゃなかっただろう? さあ、急いで。」


「勝手にしろ、俺は逃げん。」


「は?」


 困惑している様子の旅人の前に俺はたった。


 自らの領域を犯すものは誰であろうと襲いかかるトロルは人々がもっとも恐れる魔物のうちのひとつである。


 その固い肌は槍はおろか矢すら歯がたたず、小山のような巨体にのしかかられたら即死してしまうだろう。


 だが、そんなことは俺にとってはどうでもよかった。大事なことはほかにある。


 トロルは山を堀りぬき、岩や土を口にしている。修道院に伝わる書物によれば、それがゆえにその腹には宝石や金銀が山ほどつまっているというのだ。


「……まさか、トロルの腹の中身を狙っているわけじゃないよね?」


「手出しはするなよ。あれは俺がひとり占めだ。」


「なにを考えているんだ!? どれだけの黄金だって命にはかえられないだろう!」


 トロルが咆哮しながら突進してくる。


 その巨体からは予想だにしなかった素早さであっというまに俺の目の前までやってきたトロルは満身の力をこめてその拳を振りぬいた。


「危ない!」


 旅人の悲鳴めいた叫びを無視して、俺は深く息を吐いた。


 黄金黄金黄金黄金黄金黄金黄金黄金黄金黄金黄金黄金黄金黄金黄金黄金黄金黄金黄金黄金黄金黄金黄金黄金黄金黄金黄金黄金黄金黄金黄金黄金黄金黄金黄金黄金黄金黄金黄金黄金黄金黄金黄金黄金黄金黄金黄金黄金黄金黄金黄金黄金黄金黄金黄金黄金黄金黄金黄金黄金黄金黄金黄金黄金――――!


 近づいてくるトロルの拳がまるで止まって見える。


 雑念を捨ててただひたすらに金のことだけを心に浮かべた俺は、かつてグロリヤ師が見せてくれたようにトロルの拳に掌底打ちをはなった。


 瞬間、トロルの両腕が吹き飛ぶ。


 とるにたらない小さな羽虫を叩き潰すつもりだったトロルは、自らの腕が突然消滅したことが理解できないようにたじろいだ。


 が、次の瞬間その原因が俺にあるとわかったのか、激怒の怒鳴り声をあげて倒れこんできた。


 どうやら俺を圧し潰すつもりらしい。


 みるみるうちにゴツゴツとしたトロルの肌が視界いっぱいに広がっていく。修道院の建物ほどの重量の岩が俺を地面の染みにしようと迫ってきていた。


 轟音が響き渡り、周囲を土煙がおおう。


 その煙が晴れると、胸元を貫通され息絶えたトロルが横たわっていた。その胸に開いた穴の中心で俺は体についたほこりをはらった。

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