第2話

 修道院の門をくくると、中庭には十数人の若者が集まっていた。修行をしたいと各地から集まってきた者たちらしい。


 案内役の修道士が現れるまでまだ時間がありそうだ。手持ち無沙汰になった俺は懐からとりだした一枚の金貨を弄びだした。


 これはお父上が鋳造したこの世に数十枚とない貴重な金貨であり、俺の一番のお気に入りである。お守りがわりに一枚だけ持ってきたのだ。


「おい、そこの者!」


 刻まれた我が家の紋章の美しさにうっとりとしていると、いきなり誰かに怒鳴りつけられる。


 赤髪の気の強そうな一人の少女が、俺のことを睨みつけていた。


「その金貨の紋章、大司教ホルトロンの息子か?」


「ああ、そうだが。」


 俺が短く肯定すると少女の目が険しくなる。


「そうか、信徒の財産を食い荒らす悪徳大司教一族の悪名は遠く私の父の教区まで届いているぞ。その首の聖痕とやらも金で買ったものだろうが。」


 どうやら目の前の少女は俺の一族がすこしばかり富を蓄えていることが気に入らないらしい。


「貴様、それでも神に仕える身として恥じないのか。我々は恐れ多くも神にかわって無償の愛を人々に施す、それこそが教義であろう。」


「俺たちはありがたい説法を聞かせてやっているんだぞ? その見返りに財貨を手に入れたっていいじゃないか。」


「っ! 貴様のような低俗な人間など、どうせ修道院の修行に耐えかねすぐに逃げるだろうさ!」


 頬に鈍い痛みが走る。俺にビンタした少女は罵倒を吐き捨てて去っていった。


 俺がホルトロンの息子と知ったからか、周囲からの目も冷たくなる。


 まったく、よくわからんやつらだ。




「皆さん、遠路はるばるお集まりくださりご苦労様です。聖イグラネウス修道院はあなたたちを歓迎しますよ。」


 しばらくして、にこやかな老婆の修道士が姿を現す。


「しかし、その前に簡単な試練を課さなければいけません。皆さんにはこれらの彫刻をあの山の上まで運んでいただきたいのです。」


 中庭には巨大な彫刻がいくつも並べられている。この彫刻を修道院から離れた険しい岩山の頂上まで自分の力だけで持ちあげなければいけないようだ。


「いや、そんなことできるわけないだろ。」


 中庭に集まる若者の一人が呟く。俺も全く同感だった。


 大理石でできた彫像は俺の背丈と同じぐらいある。おそらく力持ちの男が三人集まっても持ちあげられないだろう。


「それでは、頂上まで運び終えたら私をお呼びください。部屋まで案内しますので。」


 老婆の修道士が中庭を去っていく。彫刻をみて諦めてしまったのか、集まった若者の中にも中庭を去っていく者がいた。


 とにかく俺は彫刻を押してみることにした。全身の力をこめればわずかにだが彫刻が動く。


 ここで諦めるわけにはいかない。俺は勇者を倒し、酒池肉林の生活を送るのだ。


 俺はすこしずつ彫刻を岩山のてっぺんにむけて動かしていくことにした。




 そう決意してから、一年の歳月がたった。


 俺の背後には彫刻をひきずってできた跡がえんえんと遠くの修道院まで続いている。その途中には彫像がいくつも放置されていた。


 初めは七人ほどいた若者たちも半年たつ頃にはほとんど脱落し、今や残っているのは俺と例のビンタ少女だけになっている。


 俺を悪徳大司教の息子だと見下して自分は清廉潔白なのだと誇っていたわりには拍子抜けである。


 俺が雨水をすすり修道院の残飯をあさりながら彫刻を動かしていく横で、どんどん心を摩耗させていった彼らは結局試練を投げ出してしまったのだ。


 水浴びを一年せず野宿ばかりしていたので体がこわばっているが、それでも俺は希望を見出していた。


 今まで味わったことのなかった辛酸を乗り越え、俺は彫刻を山頂まであと少しのところまで運んできたのだ。


 あと数日もあれば試練を達成できる。


 俺の少し後ろでおなじくボロボロになりながら彫刻を押しているあのビンタ少女も同じだろう。あいつもなかなか根性があったようだ。


「調子はどうですか、みなさん?」


 そんな時、例の老婆の修道士が俺たちのもとを訪れてきた。


「まあ、すばらしい。あとすこしでお部屋まで案内できそうですね。」


 そうだ、一年ぶりのベッドが俺を待っている。それに、もう黒くて固くてカビの生えたパンはごめんだ。


 希望に震える俺の目の前で、老婆の修道士は彫刻に触れた。


「あっ、手が滑りました。」


 老婆が俺の彫像を押す。


 あっという間に彫刻はふもとまで転がり落ちた。


「ごめんなさい、もう一度初めからお願いしますね?」


 老婆の修道士はみじんも悪びれずに修道院へと戻っていく。その途中でビンタ少女の彫刻も蹴り飛ばして岩山から転がり落としていた。


 意味がわからなかった。老婆の修道士の行いに怒るどころか困惑しきってしまう。


 それにやつはなんと言っていた? もう一年だと……?


 もう一度あの彫像を一年かけてここまで運んでこなくてはならない。そう考えるだけで俺はすさまじい徒労感に襲われた。




 その日の夜。


 俺が彫像の近くでマントにくるまって眠りにつこうとしていると、ゴソゴソと物音が聞こえてきた。


「おい、どこにいくつもりだ。」


 あのビンタ少女が荷物をまとめて彫像から離れようとしていた。


「……故郷に帰る。」


「ああなんだ、ならべつにどうでもいい。どこにでも逃げていけばいいさ。」


 どうやらビンタ少女もついに心が折れてしまったらしい。昼間のあの老婆の修道士の行いを考えればそれもしかたがないだろう。


 俺は余計な時間をつかったとばかりにマントにくるまり直した。明日からまた彫像を押していかなければいけないのだ、休養はとれるだけとるべきだからな。


「なぜなのだ……。」


「なぜ、貴様は諦めないでいられるのだ……?」


 なにやらビンタ少女がか細い声で俺に話しかけてくる。


「そんなこと決まっているだろう、俺の富への執着がお前らの信仰心とやらよりも強かったからだ。」


 わかりきったことを尋ねてくるビンタ少女に俺はイライラした。俺はとっとと眠りたいんだ。


「なんなんだ、それは……。そんな下劣なやつが、どうして私よりも……。」


 ビンタ少女は、俺が目を覚ますころには消えていた。


 昨日は骨のあるやつだと思ったが、撤回だ。あのビンタ少女も結局はほかの自称敬虔な神の信徒様となんら違わなかったらしい。


 泥だらけになってしまったお気に入りの金貨を見つめる。


 もう試練を続けているのは俺だけになった。だが、俺は黄金の山を築くために勇者を倒さなければいけない。


 諦めるわけにはいかないのだ。




 俺は再び彫像を運び始めた。


「グラテマ金貨……。マルフィーノ金貨……。ダルガット金貨……。」


 ここ数日、とうとう俺も限界が来たのか、熱に浮かされたように金貨の名を口にするようになった。


『ここまでの苦境にあっても揺らがぬ意志、さぞかし純粋な信心を持っているのだろ……。なんだこいつ、金貨のことしか考えておらんだと!?』


 幻聴が聞こえるようになった。俺ももう終わりかもしれない。


「やかましい。俺は神を信じてるんじゃない、神が落とす金を信じてるんだ。誰も俺の欲望に文句はいわせんぞ。」


『えぇ、なにこいつ……。余はこんなやつの守護天使になどなりたくないぞ……。』


 視界がもうろうとしてきた。


『はぁ、不本意だが認めざるをえんか。お主が真に望むものはなんじゃ?』


「黄金だ。」


『じゃろうな、聞くまでもない。』


 幻聴と言葉をかわしていると、体の中に真っ赤に熱された金属を流しこまれたような痛みが走る。


『まぁ、ある意味ではお主と余との巡りあわせも運命なのだろうな。』


 くらくらするほどの激痛に耐えながら彫像を押していると、俺はいつのまにか岩山の頂上にたっていた。

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