夢情

(有)あずき書店

夢情

 夢を人に聞かせてはいけない、という。

 私自身も、そう教えてくれた先代も理由は知らない。ただの適当な噂なのか、言い伝えられるうちに理由だけが忘れられたのか。

 真相はわからないけど、そう言う。

 だからこの店の占い師は私一人で、他には誰も雇わない。人は少ない方がいさかいも減るものだ。私自身、孤児として先代に引き取られてこの店に来てからは、あの人と客以外誰にも会わず、出かけるところと言えば食糧を売る人気のない商店だけ。情報もそこの店員から。仕事に私情を持ち込まないため、らしい。


占い師は嘘をつかない。

相手が誰であろうと忖度はしない。

客との関係は、絶対に持たない。


 いや、持ってはいけない。


 もうすぐ二十五歳になる私は、果てる時が来るまで占いを続け、ただ一人ここで生涯を終えるつもりだ。私は後継ぎを探さない。最近は夢占いの店が増え、私が継ぐ前は都で一番人気であったこの店の客足も減ってしまったからだ。

 自然に、自分に、そして相手の言葉一つ一つに耳を傾け、一つの答えを導き出す。それがどんなものだとしても、本物の答えははずっと昔から未来に存在しているかのように気高く優雅だ。私はそんな答えを導き出すこの職が本当に気に入っていた。


占いと生き、孤独に死ぬ。それこそが占い師の生き方だと、私は思っていた。

そう、あの男に出会うまでは。


客である男に出会ったのは一年ほど前。先代が死に、私が店を継いで三ヶ月ほど経った時のことだった。

うちの料金は創業時から変えず高いので、客層も富裕層の人が多い。皆きらびやかな着物を着て現れるが、その中で一人だけ、ぼろぎれのような着物を着た客がいた。汚れた服とは裏腹に、端正な顔をした青年だった。

 彼はいつも同じような着物を着て、月に二、三回現れる。大抵の客は夢の内容を自慢げに話し、占いの結果を聞いてすぐに帰っていくが、この青年は占いをせず、私と話して帰っていく。

 私が話すことはほとんどなく、大体は話を聞くだけで、たまに相槌を打っていた。彼は物心着く頃には両親が他界し、子供の頃から繁華街にある飲食店で働いている。好きな事は野良犬と話すこと、朝は四時ぴったりに起きること、住処は飲食店から少し歩いた裏道だということ、稼ぎは少ないが店長や仕事仲間が優しいから満足していること。何回も話すうち、彼に相当詳しくなっていた。ただ一つ、分からないことは彼がなぜ少ない金をこの店で使っているか、という事だった。私から質問をしたことは一回も無いし、彼がその件に触れたこともない。

 いつの間にか、気がつくと彼に会いたいと思うようになってしまった。占いと死ねればいいと思っていた私は、彼と共に生きたいと思っていた。何故かは分からなかった。

 当然、その事を客である彼に話すこともなかった。


 何回目のことだろう。換気のため開けた磨り硝子の小窓からぽつぽつと細かい雪が見える、寒い時期の事だった。いつものように富裕層の20代くらいの青年の占いをしていた。

「とても良いことを暗示する夢です。近いうちに美しい娘と結ばれ、幸せな生活を送れるでしょう。親しい友とどこかへ出掛けなさい。そうすれば運は開くでしょう」

 感情は込めない。淡々と、正しいことだけを伝える。たとえそれが良い結果でも、悪い結果でも。青年は満足そうな表情で、上着を脱ぎ捨て帰っていった。地味な色をしているが、上等な素材を使っている。まあ、こんなの貰っても私は使わないから困るばかりだけど。

 次に入ってきたのはぼろぎれを着たあの青年だった。外は寒いのに上着を着ていない。彼は扉を閉めるなり切羽詰まった表情で口を開いた。 

「すみません。前の客の夢を窓から聞いてしまって、俺もあんな人生を歩みたいと思って、でもどうすればいいのか分からなくて。ああ、申し訳ない。こんな事相談する場所じゃないのに……。でも何か方法があったら教えて欲しいんです。貴方が一番頼れる人なんです!」

 彼は早口でまくしたてた。こんなにも必死な人を産まれて初めて見た。仕事に私情は持ち込んではいけない。けどもなんだか哀れに思ってしまう自分がいた。

「一つだけ、知っています。」

 彼は目を丸くした。先代が珍しく酔っ払った時に漏らしていた言葉だ。

「前の客の夢を一字一句変えずにここで話すのです。表情も、間のとり方も同じで」

「……良いのですか」

 私は無言で頷いた。平民の賃金は安いのに、何回もここに通っているということは、相当な努力をしてきたのだろう。彼なら許されると思った。そして私が少しでも助けてあげなければいけない、と思った。

 彼は話し始めた。表情から間のとり方まで、前の客とそっくり同じに。私も同じことを話した。

「良いことを暗示する夢です。近いうちに美しい娘と結ばれ、幸せな生活を送れるでしょう。親しい友とどこかへ出掛けなさい。そうすれば運は開くでしょう」

 彼は満面の笑みを浮かべ、何回も礼をしながら出口の扉へと向かった。そこでさっきの上着を思い出した。

「少し、時間をください」

 彼は立ち止まってこちらへと戻ってくる。これからの未来への期待に満ちた瞳をしていた。

「寒いでしょう。これを着ていってください」

 さっき前の客が脱ぎ捨てていった上着を着せてやった。地味な色味だから目立たないだろう。扉を開けて去って行く背中を見送りながら、彼のこれからの生活は上手くいくに違いないと思った。


 その翌日、商店へ食料の調達をしに行った。数こそ少ないが、客が通い続けてくれることで私もそこそこ良い物が食べられる。会計をしていると、壁に貼られた一枚のお尋ね者の紙が目に入った。彼だった。ぼろ切れを着て、通い詰めてくれた青年の顔が描かれていた。

「これは……」

 勝手に声が出ていた。

「ああ、新しいお尋ね者だね。今朝貼り出したんだ。何回も盗みを繰り返していたのがばれたみたいで」

 袋に野菜を詰めながら店員が答えた。

「稼ぎは少ないのに、何だったか……そう、占いに通っていた事を不思議に思った仕事仲間が盗みをしているのを見つけたんだって。そこの占い師に恋でもしていたのかねぇ。まあ、関係の無いことだけどな」

「そうなのですか」

 何故、何故占い通りにならない?私は混乱したことを悟られないよう、平静を装って店を出た。先代の言葉を頭の中で繰り返しながら。

 一言一句変わらず……表情も同じで

「……店を出るまで同じでなければいけない」

 私は思い出した。そして気づいた。

 私が最後に上着を着せたから前の客の占いの結果通りにならなかったという事実。

 そして、私が彼を助けようとしたのは、私が彼に恋をしていたからという事。


 結局、何日か経って彼は捕らえられたらしい。いつ刑罰から解放されるのかは知らないけど、あの店員が言うには「何回もやってたんだから、相当長いんじゃないか」らしい。

 もう会えない相手のことを考えても仕方が無いが、店に同じ年代の青年が来ると思い出してしまう。彼は私を恨んでいるか、そもそも生きているか……

 商店からの帰路で立ち止まると、無情な吹雪が私の体を痛いほど刺した。


 きっと、私はこれから何回もあの日の夢に魘されるのだろう。

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