第五頁
病院内を散歩することにも慣れ、ちょっとした外出程度なら付き添いも不要になった頃。
その日お医者様は、何枚かの紙を持って部屋を訪れました。
「症例がまだ少ないから、サンプルとして協力してほしい」――お医者様の話は、要約するとそのような内容でした。
サンプルと言っても、脳などの状態を見たり、これまで検査してきた身体のことについて匿名で提出する許可を出したり……と、実際に要求されるのはそれほど難しいことではないようでした。
協力すればある程度の謝金も出るとのことで、退院した後のことも考えると、受けてみるのもいいと思う、と、お医者様は真摯にお話をしてくださいました。
少しだけ考えた後、私は頂いた書類に、カンナ、と、目覚めて以来初めて、自分の名前を刻むのでした。
書類を受け取って、検査の日程の話や、併せて行うカウンセリングについてなどの話をして、それで今日のところは、お医者様は帰っていきました。
去り際にお医者様はこう言いました。「検査が全て終わったら、退院できると思います」と。
吉報なはずのその言葉が、なんだか不思議と、心に引っ掛かるのでした。
夜、一人の部屋で、私はお医者様の言葉を思い返していました。
退院。今まで実感の持てずにいたその言葉に、急に重さが伴います。
今の私にとっては、これまで病院で過ごした時間こそが人生でした。
けれど「私」は、それよりも外で、確かに過ごしていたはずなのです。そして私も、いずれはそこに戻って行かなくてはならない。その期日が、いよいよ実体を伴って目の前に現れようとしています。
いつか来るその日を、その先を、想像しようとして、できなくて。
だから私は、拠り所とすべく、引き出しからノートを取り出し――ついに、読めずにいたページへと、手を進めるのでした。
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