力自慢の市子

増田朋美

力自慢の市子

その日も大変暑い日で、なんだか何処かの他の県では、40度まで到達してしまいそうなくらいだ。それでは当然の事かもしれないが、体調を崩して倒れてしまう人も数多く居るだろう。なんだかよく、救急車が走るのが見えるが、それでもサイレンが鳴ると、また誰かが、倒れたのかと気になってしまうのである。

さて、杉ちゃんたちは、いつもどおりにご飯の支度をしたり、着物を縫う作業をしたりするのを続けていた。こんなに暑いと、杉ちゃんたちも何もできないのかなと思われていたが、意外に着物を着ていると暑さに強くなるものらしい。杉ちゃんたちは、平気な顔で作業をしていた。

「こんにちは。今日は本当に暑いわね。まあ40度行かなくても良かったってことが救いかな。そこまで無いからまずは一安心ね。」

そう言いながら入ってきたのは、女性の相撲取りであった、榊原市子さんであった。

「こんにちは、みんな元気ですか?杉ちゃん理事長さん元気ですか?こんなに暑いけど、頑張って夏を乗り切りましょうね。」

市子さんは、にこやかに笑って、製鉄所に入ってきた。頑張って夏を乗り切りましょうねなんて、虚しい言葉の一つでもある。

それではと張り切った顔をして、市子さんは、四畳半に入った。水穂さんはその日は、布団に寝たままであった。

「さてと、今日は何を手伝おうかしら?ご飯も手伝うし、着物の着替え、憚りのお手伝いもできますよ。」

市子さんはにこやかに笑った。

「ああ、市子さん来てくれたんですね。こんな暑い中ありがとうございます。水穂さんは、あまり容態が良くなくて、今薬で寝ているところなんです。」

と、ジョチさんが言うと、

「わかりました。じゃあ今日は、お庭の掃除をします。」

市子さんは竹箒を持って掃除を始めた。

「いやあ、市子さんは本当に暑さに強いですね。」

ジョチさんが感心すると、

「だってこれでも女相撲をやってますからね。暑さには強いのです。太っていると暑さに弱そうに見えるけれど、意外にそうでも無いんですよ。」

市子さんは平気な顔をして、竹箒で庭の掃除をしている。ジョチさんは彼女に向かって、

「とても心強いです。」

と汗を拭きながら言った。

それからしばらくして、杉ちゃんが一人の女性を連れて製鉄所にやってきた。ちょうどコンビニから帰ってきたところであったが、そのときにコンビニ前で知り合い、一緒に帰ってきたという。

「おーい、今日から新しい利用者を連れてきたよ。悪い男に絡まれていたのを、無理やり剥がして連れてきたのさ。なんでも違法薬物でもしていたのかもしれない。」

と、杉ちゃんが言いながら、一緒に連れてきたのは、髪の長い、うつむきがちな女性であった。でもこの女性は、なにか問題があるような女性であった。もしかしたら、簡単に解決することはできないかもしれない。それではとてもこの製鉄所ではまかない切れないかもしれなかった。

「えーと、名前はなんていうの?」

杉ちゃんが言うと、

「梶山と申します。梶山多香子です。」

と女性は、嫌そうに言った。

「わかりました。梶山多香子さんね。それではさ、ちょっとここで一緒に生活してみなよ。そうすれば薬を使おうという気にもならなくなるかもしれないぞ。」

杉ちゃんに言われて、

「それではあたしはどうしたら?あたしは、シャブをやることでやっと友達ができたと思ったら、こんなふうに邪魔されてしまいまして。」

と、多香子さんは答えた。

「そうだねえ。確かに打つと、すごい気持ちよくなるとは言われてるけどさあ。でもそうじゃなくて、現実の世界で友達を作ろうよ。」

杉ちゃんはいうが、

「でも、学校でも他のところでも友達は作れなかった。」

と多香子さんは言った。その間にジョチさんは、彼女の左腕に、注射を打った跡を確認した。これはもしかしたら、何十本も打っているのではないかと思われた。これはもしかすると、なにか病的な症状が出てしまうのではないかと思われる量かもしれない。

「うーんそうだなあ。そういうものでは本当に友達とは言えないんだよね。そうじゃなくて、本当に仲良くしてくれる人を探そうよ。シャブは人の頭をおかしくさせるだけの薬だぜ。ダイエットの薬でもないし、気持ちが楽になれる薬でも無いんだよ。」

杉ちゃんに言われて、多香子さんは小さな声で言った。

「でもあれを打つと、すごく勉強がはかどるんです。すごく能率よく勉強できるし、気持ちも楽しくなりますから。あれをやって、私は、本当に気持ちよくなれました。それを無理やりやめろと言うなんて。」

「でも本当は、友達がほしいんでしょ?だけどシャブを打つのは、人の頭をおかしくするだけで、それは何もいいことは無いんだよ。そうじゃなくて、シャブを打つのはやめて、もっと楽しい友達を作ろうよ。大丈夫だよ。やれる方法はなんぼでもあるから、教えてあげるから、泣かないで。」

杉ちゃんに言われて、多香子さんは驚いた顔をした。

「本当に大丈夫だってば。ここではシャブに頼らなくても大丈夫なようにしてあげられるよ。」

「とりあえず、こちらへ何回か利用してみて、シャブに頼らない人達の観察をしてみてはどうでしょう。シャブはもう必要ないってことをきちんと理解してくれれば、やめようと言う気になれるはずです。」

ジョチさんも杉ちゃんの話に割って入った。

「とりあえず、ここを利用してもらおうぜ。そしてもうシャブはいらないってことを知ってもらおう。まずはご飯だよな。悩んでいるやつは、大体腹が減っている。だから今から、カレーを作るから、ちょっとまっててね。」

杉ちゃんは車椅子で台所に行ってしまった。ジョチさんは多香子さんに、皆さんと挨拶しようといった。二人は食堂へ行って、勉強している女性たちに、

「新しく入ってきた、梶山多香子さんです。まだまだなれないこともあるんですけど、仲良くしてやってください。よろしくお願いします。」

ジョチさんがそう言うと、二人の利用者は椅子から立って、

「多塚まりえです。よろしくお願いします。」

「坪井みきこです。仲良くしてね。」

と、頭を下げて、にこやかに笑った。二人の女性たちは、ふたりとも学校は違うけれど通信制の学校に行っている。まあある程度は仕方ないと思われるのであるが、大体の人は、症状が落ち着いてから学校へ行くようになる。つまりそうなると、高齢になってから学校へ行くわけで、ふたりとも、60を超えたおばあさんであった。つまり多香子さんには、彼女のママくらいか、それ以上であった。

「年が違ってもいいじゃないですか。年上だからこそ、楽しく暮らせることもありますよ。」

ジョチさんはそう言うが、彼女多香子さんは、とてもがっかりしていた。

「あたしは、お年寄りはちょっと。」

「大丈夫ですよ、ふたりともおばあちゃんですけど、苦労している人だからちゃんとわかってくれますよ。」

ジョチさんはそう言うが、多香子さんはとても寂しそうであった。

「あたし、お年寄りにはちょっとひどいこと言われたりしていますから。」

「いいえ、わかってくれる人もいます。彼女たちも酷いこと言われたりしていますから。」

ジョチさんはそう言うが、彼女はまだ複雑な気持ちのようであった。

「お年寄りに対して恐怖心でもあるんですか?」

ジョチさんがそう言うと、

「はい、辛かったんです。祖父や祖母と長く接した経験もなかったし、家族は成績が良くないことであんまり私には、関心を持ってくれませんでしたし。だから、家族と、仲良くというのは難しかったんです。」

と、彼女は言った。

「そうですか。そうなってしまうのも今の御時世では仕方ないですね。少しずづでいいですから、人が好きになれるといいですね。」

ジョチさんは優しく言った。

「あなたのペースで構いません、無理はしなくてもいいですから、なんとかなることを祈ります。」

それと同時に丸々太った女性と、彼女に肩を貸してもらいながら、水穂さんが現れた。

「ああごめんなさい。水穂さんがどうしても新しい利用者さんにご挨拶したいって言うものですから。」

市子さんにそう説明されて水穂さんは、

「よろしくお願いします。磯野水穂です。」

と丁重に挨拶して頭を下げた。

「お、お願いします。」

多香子さんは、それだけしか言うことができなかったようだ。多分きっとここまで美しい人物に声をかけられたのは、初めてだったのかと思われる。

「また何かありましたら、言ってくださいね。何かあれば、できるだけなんとかしますから。」

水穂さんがにこやかにそう言うと、多香子さんは何をいっていいのかわからなくなってしまったようで、

「わかりました。ありがとうございます。」

としか言えなかった。

「おーい、カレーができたぜ。それでは、みんなでカレーを食べよう。ちょうど利用者全員ここに居るみたいだし。」

と、杉ちゃんがでかい声で言って、カレーの皿を車椅子のトレーに乗せて現れた。そのカレーは、かぼちゃとかなすとか、パプリカとかたくさん入っていて、野菜がたくさん入っていて、健康的なカレーであった。全員食卓についた。水穂さんは僕は遠慮しますといったが、市子さんが、

「一緒に食べましょ。」

と言ったので、水穂さんも市子さんに介助してもらいながら、椅子に座った。

「このカレーの具材は、野菜だけで、肉さかなは一切入れてないからね。安心して食べろよ。」

杉ちゃんは水穂さんの前にも、カレーをおいた。全員の前にカレーが行き渡ると、

「じゃあいただきましょうか。頂きます。」

とジョチさんの合図で、皆カレーにかぶりついた。そしてすぐに

「おいしい!」

「こんなカレーを作ってもらえるなんて、夢見たい。」

なんて、利用者さんたちは言うのだった。渋々カレーを食べた、多香子さんも、

「ホントに、美味しいカレーですね。」

と言ってしまうほど、杉ちゃんのカレーは美味しいのだった。

「何処のルーを使っているのですか?」

利用者さんの一人がそう言うと、

「ええ?普通にスーパーマーケットで売っているカレールーだよ。」

杉ちゃんはそういうのだった。それを、多香子さんは、羨ましそうに眺めていた。

「どうしたんですか?」

と、水穂さんがそっと彼女に聞く。

「どうしたんですかって、私は、先程の発言のようなことを今まで一度も経験したことがありません。本当に無いんです。家族は仕事が忙しいからって言って、いつも、コンビニの弁当で夕飯を済ましてたんです。」

多香子さんはそう答えるのだ。

「そうですか、多香子さんはお一人ですか?ご兄弟はいらっしゃらない?」

水穂さんが聞くと、

「ええ。家族は、父と母と三人なんですけどね。どちらも仕事ばかりして、私の事は何も関心を向けてくれなかったんです。父は警察官で、母は保育士で。でも私のために働いてくれているんだって思い込んで、それで我慢していました。」

と、多香子さんは言った。

「それで、もっと私の方を見てって、言えなかったわけか。」

杉ちゃんがカレーを食べながらそう言うと、多香子さんは小さな声ではいといった。

「なるほどねえ、寂しかったわけか。まあ、そういうことは、しょうがないというか、後悔しても遅すぎることだからなあ。それよりも、お前さんは、新しい出会いに期待したほうがいいよ。過去の奴らなんてろくなやつじゃなかったんでしょ。まあ忘れろというのも難しいだろうから、とにかくな、新しい出会いに期待しな。そうすれば、すごいことが起きるわけじゃないかもしれないけれど、少しずつかわれるかもしれないから。」

杉ちゃんは、カラカラと笑いながら、そう多香子さんに言うのだった。そんなふうに、簡単に答えを出してしまえる人物も、またいないのではないかと思われた。

「そうですね。まあ人は後ろへ進むことはできませんので、新しい事に目を向けて行ってください。」

ジョチさんもありふれた答えだけど、そう言ってくれた。

それと同時に、えらく咳き込む音がした。杉ちゃんが、あれれ今日は肉は入れなかったぞと言ったと同時に、水穂さんの口元から、朱肉の様な赤い液体が噴出し、水穂さんは椅子ごと床に倒れてしまった。すぐに隣にいた市子さんが、

「大丈夫ですか?とにかく吐き出せるところまで吐き出してしまいましょう。」

と言って、水穂さんの背中を叩いて吐き出しやすくしてくれたけど、液体は止まりそうもなかった。

「あたし、救急車よびましょうか?」

と、多香子さんはそう言うが、

「いや。銘仙の着物を着てるやつを受け入れてくれる病院なんてあるわけ無いじゃないか。それはまず初めに無理だと思うべきだな。」

と、杉ちゃんに言われてそれはできなかった。多香子さんはどうしてそんな事と言っているが、

「わかりました。何処の病院も今日は盆休みですし、やってはくれないですよ。それなら私が、柳沢先生のところに連れていきます。こう見えても、私は相撲取りですから、体力と根性と持久力は自信があります!」

と市子さんはそう言って、水穂さんをひょいと背中に背負った。市子さんの背中に背負われた水穂さんは、とても小さく見えるのだった。市子さんは急いで、製鉄所の玄関先へ走って行って、靴を急いで履くと、どんどん走って行ってしまった。まるで、太ったマラソンランナーのようであった。誰も止める人はいなかった。というのはみんな、市子さんにそうしてもらうしか、水穂さんが医療を受けられる手段が無いことを知っているからであった。

「あとは、運を天に任せるしか無いですね。市子さんにああしてやってもらうのはいいものの、水穂さんが持ちこたえてくれるかどうか。」

ジョチさんがそう言うと、

「水穂さん、もうあたしの話を聞いてくれることもなくなるのかな?」

と、利用者の一人が言った。

「何馬鹿な事言ってるの!ちゃんと帰ってくるわよ。今までだって、帰ってきたじゃないの!」

別の利用者が、彼女にそういうのであるが、本当はみんなが思っているセリフであった。水穂さんは、もう帰ってこないかもしれない。

「でも市子ちゃんは、力持ちだし、体も強いし、頼りになる存在ね。」

はじめの利用者は、そうにこやかに言った。

「そうですねえ。ああいう体力のある人は、いろんなところに役にたってくれるんだけど、大体の人は、それに気が付かないで、心とか体とか、そういうところを病んでしまうのかな。それに気がついて、自分はこれだけできるって気がつけばとても幸せな人生になるんだけどね。」

と、次の利用者が言った。利用者さんたちのそういう今どきの若人は、、、みたいな話は、多香子さんは好きではなかったが、何故かこの日は、それがすんなり入ってしまうのであった。

「そうか。私も、力があれば、なにか社会の役に立つかな?」

思わず多香子さんはそう言ってしまう。

「まあ、基礎体力は人によりけりですけどね。」

とジョチさんが言うが、

「でも、体力なんて若いうちに身につければ何でもなるものよ。」

と、他の利用者が言った。

「それに年を取ってから、体力つけたくてマラソン一生懸命やっている、お年寄りも居るんだしね。」

利用者たちは、おばさんらしくそういうことを言っている。

「力がほしい。」

と、多香子さんはそういった。

「力があれば、私も、市子さんのように、困っている人を病院へ連れていけるようになれるんですね。」

「そうか。そんならそうすればいいんだ。力をつけて、困っている人の役にたてるようにすればいい。救いの答えは、意外に簡単なのかもしれないよ。」

杉ちゃんは、すぐに彼女の話しに乗った。

「まあ、それを、実現できるかできないかはまた違うと思いますけどね。」

ジョチさんはそう言うが、多香子さんはなにか決断したようだった。それと同時に、ジョチさんのスマートフォンがなる。

「はいもしもし、曾我です。ああ、市子さん。」

一瞬、全員の表情が凍りついた。

「そうですか。わかりました。じゃあ、帰れるということですね。はい、じゃあお待ちしておりますので、気をつけて帰ってきてください。」

ジョチさんはそう言って電話を切った。

「水穂さんは大丈夫だそうです。点滴をして、帰ってくるそうですから。なんでも暑気にやられてしまっただけだったということでした。杉ちゃんの料理のせいではありません。それは、気にしないでください。」

ジョチさんがそう言うと、杉ちゃんは、良かったなと大きなため息を付いた。

「それにしても、今年は、やたら暑いってことだな。水穂さんが、ああなるくらいなんだから。」

負け惜しみを忘れない杉ちゃんに、他の女性たちはそうねえと言い合ったのであった。

それからしばらくして、玄関先に人が歩いてくる足音がした。そして、玄関の戸が、ガラッと開いて、

「ただいま帰りました。水穂さんも一緒です。」

と市子さんの声が聞こえる。靴を脱ぐ音がして、市子さんは、製鉄所の中に入ってきた。そして、

「大丈夫です。無事に止まったから、しばらくは絶対安静で、静かに過ごしてくださいっていうことでした。」

と、みんなに報告し、水穂さんを布団の上に寝かせて、静かに掛ふとんをかけてやった。水穂さんは、睡眠薬でも飲んだのだろうか、静かに眠っていて、周りの人が何をしているのかなどは一切気が付かないようだった。

「本当にどうもありがとうございました。市子さんありがとうございます。こんな暑い中、病院まで走ってくれるなんて、本当にお礼のしようがありません。」

ジョチさんは、市子さんに一万円札を渡そうとしたが、

「いえ、大丈夫です。あたしは、相撲取りですから、先程も言った通り、体力と根性と持久力には自信があります。」

と、市子さんは、それを受け取らなかった。

「そうなんですね。市子さんは、相撲とりを引退したら、福祉の事業をするといいですよ。僕もなにかお手伝いしますし、あ、それとも親方になって、後継者を育てますか?」

と、ジョチさんがいうと、

「ええ。あたしは、本業は相撲取りです。だから横綱目指して頑張るのが私の使命です。引退のことは、横綱を目指してから考えます。」

市子さんはきっぱりと言った。それはとても素朴な顔で、誰かの介入もできなさそうな顔だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

力自慢の市子 増田朋美 @masubuchi4996

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る