人の子・サメの仔・不思議な子

 海斗の成長と、誕生したイタチザメたちの成長。種を越えた二つの小さな生命たちを見守る日々だった。


 三十二匹の仔ザメを出産し、晴れて母親となったイタチザメは、仔ザメたちが回収された後も「サメの海水槽」で悠々と泳いでいる。彼女は水族館に来る前、どのような生活をしていたんだろうか。魚やらタコやらウミガメやらを食べながら大海を泳ぎ回って、体もどんどん大きくなって、そのうちいいおすを見つけて、その種を胎内に宿したんだろうか。


 仔ザメたちの養育は、ことのほか神経を使う仕事だった。「何でも食べる海のゴミ箱」という呼ばれ方をされるイタチザメも、人の飼育下では非常に繊細だ。正直、三十二匹全てがまともに育つとは思っていない。とはいえ、手元にいる全ての生き物たちが健康に過ごせるよう努めるのが全職員の義務だ。


 案の定……出産から一か月で七匹が死んでしまった。イタチザメは大型のサメの中では多産な種類として知られる。多産ということはすなわち多死を意味する。


 仔を失った母イタチザメは、我関せずといった風に餌を食べ、入園客に威容を見せつけながら泳いでいる。サメは子育てをしない生き物なので、子どもたちが死んだとて、なんの痛痒つうようも感じていないだろう。そもそも彼女の子どもたちは別の水槽にいるのだから知りようもない。


 僕はどうだろう。もし海斗を失ったら……そんな風には絶対割り切れない。サメには備わっていない、子を失うつらさを、人間は備えている。


「ユヅくん。私ね、赤ちゃんがほしいの」


 付き合い始めて間もない頃に、美聡から言われた言葉だ。戸惑わないはずがなかった。僕はまだ学生だったし、やるべきことはたくさんあった。水族館は雇用のパイ自体が少ない。特に正規雇用の枠は非常に小さく、就職は狭き門だ。


 赤ちゃんが欲しいと言われたとき、「僕が困る」っていうより、「僕みたいなのといきなり子どもをもうけようなんて正気か!?」って思った。僕は夢追い人みたいなもんで、安定した職に就ける望みは他の若い男よりも小さい。そんな僕と、このタイミングで子作りなんて早まりすぎだ、と思った。


 しかし、美聡は僕が思っていたより真剣だった。第一子は若いうちに産んでおきたいという思いがあって、そのために貯金していたそうだ。それに各種制度を利用すれば、僕の就職活動の邪魔を一切せずに出産と子育てを行える、ということも伝えられた。


 まぁ、結局僕は彼女の望みを受け入れて、その結果として海斗くんが誕生したわけだけど……突っぱねなかった僕も大概とんでもない男かもしれない。さんざん世話を焼いてもらった恩義があるっていうのもそうだけど……彼女みたいなきれいな人が、他の男ではなくて僕を選んでくれたことが、ちょっと嬉しかったってのもある。


 今となっては、後悔はしていない。仕事でヘマをして落ち込んだときも、疲れて何も考えられなくなったときでも、家に帰ると妻がいて、息子がいる。

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