賭け

「カイ、大丈夫!?」

「……あぁ、俺は平気だ。だがここにきて賭ける必要が出てきた」

「賭けって?」


 ミライの問いかけに対して、俺の声は決然としていた。


「E言語の感情を抑圧している部分を修正すれば、アンドロイドに感情が宿る。それで服従プログラムをオフにする、と言うのがこれまでの作戦だった」


 レンジは即座に俺の意図と、このプランの難点に気付いた。 


「だが、その方法だと不可能だ。人間はたちまち能力も数も勝るアンドロイドに支配されるだろう」

「そうだ。アンドロイドと人間には能力に差があるから問題が生じる。しかもアンドロイドは人間の5倍はいる。しかしE言語なら本体のスペックを調節できる。これを人間レベルにすれば……」

「なるほど、人間と同一ってことね……」

「アンドロイドはアンドロイドの子供を直接残せない。だから人間と同一になればアンドロイドを製造する意味も争う意味もなくなり、やがてアンドロイドは平和的に人間になると思う。無論俺は成功する、人間とアンドロイドは手を取り合ってやっていける可能性に賭ける」


 深い呼吸を一つ取りながら、俺はE言語の完成に向けてキーボードを叩き続けた。

 感情とは、一筋縄ではいかないもの。

 かつてD言語を学ぶ過程で、感情を持たせたAIを構築する方法を習得したときの、その核となるコードが俺の隅に浮かび上がる。

 今、俺はそのコードに手を加え、感情の抑圧を無効にする修正を施している。

 しかし、レンジは両腕を組み、深く考え込んでいる。


「……アンドロイドが一方的に能力を抑えられ納得するのか? それに彼らの寿命はテロメアの関係で人間より短い。それは差別を産みかねない。おまけに人間はアンドロイドに、アンドロイドは人間に虐げられてきた」

「だからこそ、賭けるんだ」

「どういう意味だ?」

「人間もアンドロイドも、俺たちが思ってるほど悪い人達じゃない、俺たちが思ってる以上にいい人達だって可能性に賭けるんだよ。そのために感情を持たせるんだ。感情があればきっとわかり合える」

「馬鹿な……そんな博打は認められん。カイ、君は確かに俺たちにとって恩人だがあまりにリスクが高い。タイピングをする手を止めてくれ」

「いや、これ以上単純で明快な解決策はない。俺はアイ、イーグル、フェリシアと言った素晴らしいアンドロイドの他にアンナ、カレン、ミライ、そしてレンジ。素晴らしい人間に出会って変われたんだよ。だから、人間も、アンドロイドもきっと変われる。その可能性に賭けるんだ」


 俺はタイピングを止めない。キーボードの上の指を走らせた続け、E言語の感情を抑圧しているコードを修正した。

 次にアンドロイドの服従プログラムをレベル0にし、アンドロイドを人間から解放する。

 レンジはなお思考を重ね、賭けのリスクの高さに疑問を呈する。


「……だがアンドロイドはAIを移植した2台目を作れる。アンドロイドが人間に吸収されるのでなく人間がアンドロイドに吸収される可能性すらある。この世界はアンドロイドが多数派なんだ」

「イーグルが言うには2台目はAIの移植が難しく、価値あるアンドロイドの特権だという。アンドロイドだって下手に格差を生むようなことはしないはずだ」


 アンドロイドの服従を司るプログラムに調整を施し、レベルを最低の0に設定した。


「いや、認めん。人間がアンドロイドを虐げ、アンドロイドが人間を虐げ、その連鎖だ。歴史は繰り返すんだ。タイピングを止めろ」


 レンジは銀色に輝くデザートイーグルをすかさず俺に向ける。

 しかし俺の心の中に恐怖はなかった。

 撃たないと確信していたからだ。

 俺は先ほどモノリスに教わったコードで、アンドロイドのスペックを平均値まで下げた。そしてE言語は完成する。


「それは力の釣り合いが取れていなかったからだ。人間とアンドロイド、力が等しくなればきっと手を取り合える。どちらかが強くても、弱くても駄目なんだ」

「……しかし」


 政府の中枢システムのバックアップにアクセスし、地球を模した球体を復元する。

 部屋の中央に、光の粒子が集まり始める。

 青く煌めく光の海の中から、地球儀がゆっくりと浮かび上がる。

 これに完成させたE言語を流せば、新しい世界が始まる。


「後はエンターキーを押すだけだ。エンターキーを押せば恐らく世界は作り替えられる。だからここでお別れだ。後はみんなが俺に賭けてくれるかだ」


 レンジが躊躇い、引き金を引けないでいる様を見て、カレンが後ろからレンジの肩に手を置く。


「レンジ、もう感情を押し殺すのはよせ。あたしはカイに賭ける。カイの考え方なら上手く行くと思う。この世界をきっと変えてくれる。あたしが本当に望んだ平和な世界にしてくれる」

「カレン、俺を信じてくれるのか。カレンはとても優しい、話してすぐにそれが分かった。最初は恐れてたが可憐と言う名前がよく似合ってる女の子だ」

「……へへっ!」


 カレンは俺の腹を軽く小突く。痛みはなく、元気を貰える。


 レンジも迷った末に、ついに銃を下ろす。


「人間とアンドロイドが手を取り合う、か……」


 そして代わりに手を差し出す。


「……確率は極めて低いと思う。より混乱する可能性もある……だが、カイに賭けてみたい。それが俺の本心だ」


 その顔は確かに微笑んでいた。最後の最後に初めて俺に笑顔を見せてくれた。


「……ありがとう。レンジがいなければ俺は2123年の世界で生き残れかったと思う。俺にとってもレンジは頼りになる、他に考えられないリーダーだった」

「リーダー、か……俺がリーダーでいられたのはみんなが優秀だったからだが……悪くないな」


 俺とレンジは固く握手する。


 アンナも立ち上がり、右手を高く掲げる。


「僕も賭ける。カイくんがアンドロイドも悪い人たちばかりじゃないと経験したのならそれを信じる。なにより僕の自慢の愛弟子だからね」

「アンナは俺にE言語を、ハッキングを教えてくれたな……それが今に繋がった。アンナとはよく二人で組んだな……アンナはいつも優しく俺たちを支えてくれた。アンナは俺にとって唯一無二の師匠だ」

「まあ弟子に超えられたのはちょっぴり悔しいけどね!」


 その言葉に笑いながらハイタッチを交わした。

 横たわっていたイーグルも起き上がる。


「俺はあのまま革命の時代に生きていたらきっと腐っていた。でもお前のお陰で変われたんだ。俺も本当は争いが嫌いなんだ。争いのない世界、実現してくれ。カイ、お前に賭ける」

「イーグル、着いてきてくれて実に心強かった。イーグルという穏やかな性格のアンドロイドと巡り会えたのは幸運だった。俺たちのために何度も戦ってくれてありがとう」

「俺はお前が戦えないから代わりに戦ってやっただけだ」


 拳を突き出すイーグル。

 俺も拳を突き出し、俺たちの拳は、絆を確かめるように打ち合わされた。

 その後、ミライが静かに歩み寄る。


「初めて会った時は心底あなたが憎くて、あなたの言動に呆れてた。でも、あなたは変わった。そして、あなたなら世界までも変えてくれる」

「俺が変われたのはミライのおかげなんだ。ミライがいなければ俺はマッドサイエンティストになるだけだった」

 

 そしてミライは俺を抱きしめる。


「私は一度はあなたを憎み、裏切った。あの時は本当にごめんなさい。でもあの時あなたを信じてよかった。あなたと冒険出来て良かった、心からそう思ってる。あなたは最高のパートナーだと自信を持って言える。今までありがとう」


 ミライは別れを惜しみ、頬から涙が流れ落ちた。俺も優しく抱きしめ返す。


「ミライ……俺もミライと冒険出来て本当に良かった。ミライがいてくれたから俺は変われたんだ。ここまでたどり着けたんだ。俺にとってもミライは最高のパートナーだ」


 ミライは涙を拭うと笑顔を向けた。


「最後まであなたには助けられてばかりね。カイ、あなたに全部賭けるわ!」

「ありがとう、ミライ。後は俺に任せてくれ」


 俺たちの心は一つだ。


「みんな、俺を信じてくれてありがとう。失敗したらどうなるかは分からない。でも成功すると信じている。みんなと出会ったから今があるんだ。みんなのお陰で俺はそこら辺にいたアンドロイドの代役から安藤海に生まれ変われたんだ。だから俺が世界を変える」 


 みんな頷いてくれた。本当にありがとう。

 そして、エンターキーを押す。

 瞬間眼前に映像が次々と流れる。


 レンジに射撃を教わっている映像。

 アンナと二人で潜入する映像。

 アイと日雇いの労働をしている映像。

 イーグルに銃を向けられている映像。

 フェリシアとモニターを眺めている映像。

 カレンと雑談している映像。

 ミライと抱き合う映像。

 それらの映像は流れ終わると1つ、1つ消去され、存在しなかったことになり、同時に俺の記憶から抜け落ちていく。

 眺めていると、やがて映像は全て終わり、真っ暗になる。

 そして静寂のみが暗闇に響き渡った。


 ……


 しばらくして光が差し、また映像が映る。

 その新たな世界は──

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