散歩

 空は灰色に澄み渡り、太陽の光が鈍い輝きを放っていた。

 この世界の空気は澱み、空の青さを奪ってしまっている。

 それでも、陽光はなおも強く、視界を照らし、目を覚ますように俺の顔に差し込んできた。

 陽光のほかに、俺の顔に降り注ぐものがあった。フェリシアの視線だ。フェリシアはとっくに起きて、俺の顔を食い入るように眺めている。


「……なんだ、俺の顔なんか見て」

「なんでもない……朝ごはんあるから」


「俺はまた散歩行ってくる」


 そう言ってイーグルはまたもどこかへ行ってしまった。

 散歩とはいえ、ホルスターには拳銃もナイフも欠かさずに収納している。

 

「……さて、俺も頑張らないとな」


 ミライが目を伏せる。


「私には何も出来ないのがもどかしいわね……」

「気にしないで休んでてくれ」


 そして俺はタイピングに戻った。


 ──酒場

 

 この時代には珍しい木造の建築。

 コンクリートなどを使った建物をアンドロイドが建てることは人間に止められるが木造なら問題なかろう、とかろうじて、粗末に作られた酒場。

 しかし酒場と言ってもこの時代に酒はない、水とゼリーを提供するだけ。

 よく言えば古き良き趣のある、悪く言えばうす汚い。

 そんな名前と雰囲気だけの酒場にイーグルは訪れていた。


「見ねえ顔だな。人間か? ミルクならくれてやらぁ」


 酒場の主が話しかけた。


「助かるぜ、喉が渇いてたんだ」

「ジョークも分からねえのか。牛は絶滅してるからやるもんなんてない、おととい来やがれって意味だよ」


 酒場の主はしっしっと追いやるジェスチャーを見せる。


「生憎俺は革命時代の軍人だからそういうジョークは分からん」

「革命は40年前だ。そんな若々しいはず……いや、まさかあんた……」

「あぁ、俺は2台目だ」

「2台目……そいつは悪かった! 俺はModel-EAT、イートってもんだ」


 途端に友好的な笑みを浮かべるイート。

 アンドロイドたちは生殖機能を持つが、脳にコンピューターが接続されたアンドロイドの子供を生むことはできない。

 しかし、新たなクローンに前のアンドロイドのAIを移植した存在が2台目と呼ばれ、特別な存在とされていた。

 2台目は製造にコストがかかるため、価値を認められた一握りのアンドロイドの特権だった。

 イーグルはその2台目であることを咄嗟に名乗ったのだ。


「それより俺が欲しいのは情報なんだ」

「情報? 分かった、俺の知る範囲なら話そう。ズバリ何について知りたい?」

「Model-FEL……フェリシアとかいう女アンドロイドのことだ」


 イートは水を飲んでいたが、それを口から吹き出すほど驚き、同時にむせる。


「! フェリシアだと……?」

 驚きの声を漏らした。


「知っているのか?」

 イーグルが尋ねると、イートはキョロキョロと周囲を警戒しながら答えた。


「あの女は危険だ。とてもじゃないが関わりたくない」

「……詳しく聞かせてもらおうか」


 ──フェリシアの家


 これでハッキングのプログラムを作るのは3回目のため、流石に手慣れてきた。

 しかしそれでも時間はかかる。

 フェリシアも相変わらず真横から眺めており、すっかり俺の隣というポジションが定着していた。

 

「そんな見てて疲れないのか?」

「……あなたこそ疲れないの?」

「俺は平気だ。慣れてるからな」

「……そう。今日は明るい夢を見た」

「どんなだ?」

「……秘密。カイはどんな夢見た?」

「俺は見るにしてもミライと旅するようになってからのことしか見ないんだ」

「……他にも夢は見ないの?」

「そう言われると、見たことないな。ミライと出会ってからの事が衝撃的だからかな」

「それ以外の夢……たとえば子供の時の夢を見ないのね……」

「見た記憶がないな」

「不思議……」

「フェリシアは夢を見るのが好きなのか?」

「夢も希望もない世界で……寝ている時の夢を見ている時が一番落ち着くわ……」

「……そんな悲しいこと言わないでくれ。確かにアンドロイドはつらい境遇だろうけど……」

「うん……でもカイといるのは夢を見ている時くらい落ち着く……」

「そうか? ありがとう。どうせ夢の話なら別の夢の話をしよう。俺はディストピアを壊し、元の時代で学校に通う。フェリシアは?」

「学校……? そうね、じゃあカイと同じ学校に通って……一緒に登下校してあげる」

「はは、何で俺となんだ」

「……なんとなく。……夕飯、持ってくる」

「ありがとう」


 俺はコーヒー味のゼリーを、フェリシアはプレーン味のゼリーを飲む。


「プレーン味ってどんな味なんだ?」

「……飲む?」


 そう言ってフェリシアは飲んでいたゼリーを差し出す。


「いや、それは間接キスになるから……」

「私は気にしないタイプ……」

「そ、そうか、じゃあ……」


 俺はコーヒー味のゼリーを、フェリシアはプレーン味のゼリーを飲む。


 ヨーグルトのような酸味のある味かと思いきや、まるで味がない。


「コーヒー味って甘いのね……」

「フェリシアももっと食事を楽しんだほうがいい。人間は食事してる時が一番幸せなんだ。食事のために人間はなんでもするからな。大事な文化だ」

「神話は火から始まり、歴史は水から始まる。文化は食事から始まるわけね……」

「そうだ。ゼリーで食事を楽しむってのもあれだが、きっとフェリシアにもいいことがあるさ」

「いい事……幸せなこと?」

「あぁ、そうだ」

「私にとって幸せってなんなのかしら……」


 思えば、俺はフェリシアの過去を知らない。

 尋ねることに決めた。


「なぁ、フェリシアは子供の時どんなだったんだ?」

「玩具にされてた」

「そうか……」


 それ以上は怖くて聞けなかった。

 何よりフェリシアが語るのがつらいだろう。


「戻ったぞ」


 そんな時にイーグルが帰宅してきた。


「……お帰りなさい」


 フェリシアが細い声で迎える。


「……あぁ」


 イーグルが答えたが、様子はどこか変わっており、何かを考えているようだった。

 仮にミライに聞いたら「きっと恋に落ちたのよ!」とでも言うところだろう。

 だがその目は悲しんでいるような、侮蔑するような、いや、哀れむかのようなものだった。


 ──翌日


 朝の光が差し込む部屋で、俺はゼリーをフェリシアから貰うと、再びタイピングに勤しむ。


「カイ、おはよう!」

「おはようミライ、顔色も大分良くなったな」

「お陰様でね」


 ミライの体調も回復したようだった。

 イーグルは面白いところを見つけたと言ってまた散歩に行ってしまった。

 しかし武装だけは怠らず、いや、いつもより念入りに。


「私も散歩行ってくるわ」

「もう歩いて大丈夫なのか?」

「大丈夫よ! それにイーグルが変なことしてないか気になるからね」

「分かった、念のため銃を持っていった方が良い」

「……ゼリー、イーグル君のぶんも持っていって。お弁当……」

「ありがとう」


 ミライの後ろ姿を見送ると、タイピングに戻る。


 ──下水道


「ここが……」


 薄暗い、悪臭立ちこめる地下。

 冷たい湿気が壁から伝わり、その場所は不快な雰囲気に包まれていた。

 イーグルは静かに足を進め、下水道の狭い通路を進んでいった。


 その先には一室空けたような空間が広がっていた。

 壁には水滴が垂れ、地面は濡れている。

 2体のアンドロイドが無言で立ち尽くしている。

 銃を構えたイーグルが静寂を破る。

 イーグルは奇襲を仕掛け、銃弾を4発放った。そのうちの1発は片方のアンドロイドの頭部に命中し、即座に機能を停止させた。残りの3発はもう1体のアンドロイドにかすり、壁に当たって跳ね返る。


「貴様、何故このアジトを知っている!? 何の用だ!」

 生き残ったアンドロイドが声を荒げながら問い詰める。


「災いの芽を摘みに来た」

 イーグルは冷徹な声で返答した。


 アンドロイドは瞬間的に返答を受け入れることなく、銃のトリガーを引こうとした。

 しかし、その寸前でイーグルは身を低くする。

 銃弾がイーグルのすぐ上を通り過ぎ、その身をかすめていった。


 次にアンドロイドが銃を発砲しようとした瞬間、イーグルは素早く横に転がり、アンドロイドの攻撃を避けた。

 イーグルの巧妙な身のこなしは瞬時のうちに決まっており、地面から起き上がると同時に、左太股からナイフを取り出しつつ投げた。

 そして、右手に持っているベレッタを撃つために銃口を向けた。


 アンドロイドは再び銃を放とうとしたが、イーグルが投げたナイフが迫り、回避するためにその動きを一瞬封じられた。

 イーグルはその隙間を狙って、右手のベレッタを撃ち、銃弾がアンドロイドの足を直撃した。

 アンドロイドの動きは一瞬にして鈍くなり、その足元には鮮血が広がった。


「ぐぅう……」

 アンドロイドがうめき声を上げたが、イーグルは動じることなく、冷酷な視線でアンドロイドを見下ろす。


「実戦不足だな」

 イーグルは冷然と言葉を放つと、ベレッタの引き金を引き、アンドロイドの頭部に銃弾を撃ち込んだ。


 一撃でアンドロイドの機能が停止すると、イーグルは銃を下ろした。

 しかし、その瞬間、背後から新たな気配が感じられた。

 新たな敵が現れたのか、それとも別の何かが近づいてきたのか。

 イーグルは警戒を強め、素早く振り向いた。


「……イーグル、何をしているの?」

 ミライの声が響いた。


「……ミライ、あんたが尾けていたとは」

 ミライは銃を構えることなく、静かに近づいてきた。


「何か理由があるのね?」

 ミライが穏やかな声で問いかけた。


「邪魔だ、帰れ」

 イーグルが口を締め、警告の意を込めて言った。


 しかし、ミライはその言葉に屈することなく、優しさを込めた口調で続けた。


「あなたが理由なしにこんなことするはずがない。聞かせて、何があったか」


 イーグルは一瞬、躊躇いの色を見せたが、最終的には言葉を紡ぎ始めた。


「……あぁ、聞かせてやるよ。これまでの散歩で得た情報を」

 イーグルは深いため息をつきながら述べた。


 ──フェリシアの家


「ふぅ、7割は出来たか。思ったより捗っている」

「……そう……ねぇ、あなたはそれが出来たらどうするの?」

「人間とアンドロイドの平和的共存が実現する世界を作るためにハッキングして情報を得るんだ」

「……でも平和的共存なんて実現するの……?」

「E言語には何かしらの欠陥があるらしい。それを見つければあるいは叶うかもしれないんだ」

「もし、私がE言語で出来てるって言ったら……?」

「それはどういう意味だ」

「……そのまんま。私は欠陥品だから……」


 E言語の欠陥……フェリシアの欠陥……マイペースすぎるところだろうか。だがそれは欠陥ではなく立派な個性のように思えた。


「E言語は完璧な言語……同時に呪われた原語……私は……呪われてるの」

「呪われてなんかないさ。俺はフェリシアに助けられてる」


「ありがとう……私は……うっ!」


 突如頭を抱えるフェリシア。


「行かなきゃ……」

「待て、どこへ行くんだ!」


 フェリシアは凄まじい速度で駆けていく。

 俺より遥かに足が速かったが追いかける。

 不穏な予感が立ち込めている。

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