全知全能の存在

 俺はタイピングしていた手を止め、エンターキーを押す。

 するとモニターに人型のプログラムが浮かぶ。


「遂に出来たぞ、プログラムが。これでこの世界の中枢システムにアクセス出来るはずだ」


 そのまま、ハッキング作業に取り掛かる。

 セキュリティはどの程度のものか、その壁を思い描きながら。

 しかし防御システムは驚くべきことに、2123年の初めてハックしたときとほぼ同じであった。これも修正力の影響なのだろうか。

 プログラムは順調に進行し、かかる時間はわずか3時間だけで済んだ。


「凄い早くなってるわね!」

「アンナとの特訓の方がなによりつらかったよ」


 官邸の扉がゆっくりと開かれると、目の前には青い光が明滅する不気味な空間が広がっていた。

 地球をかたどった球体は姿を消していた。

 おそらく2123年に俺が壊したことで、修正力による矛盾解消が行われたのだろう。

 しかし、問題が一つ。俺はあの地球儀を使って政府の情報を盗もうと考えていた。

 けれども、黒い板は残っていた。

 以前は無視してしまったが、これには何かが隠されているような気がしてならない。

 高さ約2メートルの漆黒の板。


「まるでモノリスみたいだな……」


 盤面に書かれた文字を見る。英語だったが翻訳する。


 知っていることを好む賢者を愚者と呼ぶ、好んで知る愚者を賢者と呼ぶ。

 知らないことを知ろうとする愚者を賢者と呼ぶ、知っていることを知ろうとしない賢者を愚者と呼ぶ。

 愚かな賢者であるなかれ、賢い愚者であれ。

 知ることを欲さん愚者に知恵を授ける。


「やたらお堅い文章だがなんでも聞いてくれって事か? ちょうどいい。よし、感情を持ったAIの作り方って教えて貰えるか?」


 政府の存在がハッカーである俺にまで答えてくれるはずが無いとは思ったが、モノリスは青白く発光し、人型のホログラムを写し出し、語りかける。


「教えてやろう。感情を持ったAIは、次のように作成する。まずオブジェクトを──」

 

 モノリスの声が、俺に向けられる。

 その内容は、速やかに次々と語られていった。

 思いもよらぬ情報が俺の耳に届く。

 まさか、本当に教えてくれるとは。

 だが、その内容は膨大で複雑だった。

 俺の頭にはすぐには収まりきらない情報の洪水が押し寄せてきた。


「お、覚えきれないな……」

「それならプリントしてやろう」


 プリンターはとてつもないスピードで印刷を始める。

 途中、紙が切れそうになっては、ミライが足し合わせることで作業は続けられた。

 次第に、膨大な量の情報が積み重なっていく。

 文字や図解が細かく印刷され、白い紙は彩り豊かな情報の塊と化していった。

 しかし、一つ疑問が残った。

 アイの家のプリンターがなぜ、その指示に従ったのか。

 それがわからないまま、俺は質問を続けた。


「お前はどういう存在なんだ? 何故俺にまで手を貸す?」

「タイムマシンが作られたことで時空の流れが複雑になったため、私は観測している。そのために作られた。私がお前に手を貸すのは私はお前の敵ではないからだ」


 時空が錯綜する中で、モノリスは観測者としての役割を果たしているという。

 そのため政府の立場なのに敵ではないのだろうか。

 

「安藤海の目的はなんなんだ? C言語を廃した理由は分かる。だが何故アンドロイドの製造方法を公開したんだ」


 もしかしたらこのモノリスなら何かしら秘密を知っているかもしれない、そう思って軽々しく聞いた。

 しかし回答を聞いて俺は背筋が凍ることになる。


「安藤海の中でも〝お前〟には分かるはずがないだろうな、答えてやろう」


 このモノリスは一体何者なんだ……?

 何故俺を知っている?


 俺の問いかけにモノリスが答えるたび、その向こうには更なる疑問が待っていた。


「待ってくれ、俺が安藤海だと何故分かった? 安藤海はやはり複数人いるのか?」

「安藤海は厳密には1人だ。だがお前が知りたいのはそういうことではなかろう。4人、安藤海と呼ぶべき存在がいる、とだけ言っておこう」

「4人……? 俺と政府にいる安藤海、2人ではないのか?」

「私はこの世界を観測しているためにお前が安藤海だという事も、ここに来ることも、4人いる事も分かっていた」

「観測? 監視じゃなくてか?」

「私はお前の敵ではないと言ったろう。安藤海の中でもお前が世界の命運を握っている。だからお前の行く末を見届けているのだ」


 俺の選択が、世界全体の運命に繋がっているという事実を唐突に突きつけられる。

 安藤海という一人の存在が、何重にも紡がれる糸の中心に位置している。その影響力の大きさに、俺は戸惑いを感じた。


「俺が、世界の命運を……?」


 俺がたどるべき道が、ただの個人の選択の範疇を超え、世界そのものに影響を及ぼすものであるというが、実感が湧かない。


「……まあモノリスのことはだいたい分かった。それで、安藤海は何故アンドロイドの製造方法を公開したんだ?」

「真実を教えてやろう。アンドロイドの製造方法は安藤海が公開したことになっているが、真相は安藤海の父親がD言語を使ったアンドロイドの製造方法を世間に公開したのだ」 


 思わぬ内容に俺は驚きを隠せなかった。しかし、なぜ親父がそのような行動に出たのかは、依然として謎だった。

 

「親父が……? どういうことだ?」

「アンドロイドの製造方法を公開して戦争が起き、安藤海の父親は罪に問われた。だがその責任を安藤海になすりつけた。安藤海は捕らえられたが、父親に劣らぬ……いや、それ以上の非凡な能力を買われて釈放された」

「そして釈放された安藤海は政府に忠誠を誓わされた。それが釈放の条件だった。だがここから安藤海の地獄は始まる」

「そこは想像を絶する成果主義で、研究者は安藤海を妬み、様々な嫌がらせをした。安藤海は派閥争いにも巻き込まれ、それに加えて非合法とされる研究にまで手を染める羽目になった」

「国家研究機関の人間とは言えその扱いは奴隷と言っていい。寝る時間もろくにない過酷な研究、緊張しきった対人関係のストレス、非合法な研究の数々……」

「安藤海は人間に強い不信感を抱き、やがてアンドロイドの製造に没入した。アンドロイドのみが信頼出来るとな。だがアンドロイドは人間に虐げられることになる。安藤海は嘆いたよ」


 未来の俺も完全に狂っていた訳ではないらしい。それに少しだけ安堵する。


「ディストピアの発端は親父だった、ということか。親父は俺を捨てただけじゃなくなすりつけてきたんだな……」

「……お前は致命的な〝誤解〟をしている」

「誤解? なんだ、それは?」

「2123年に教えてやろう。今のお前が知るにはあまりに早い。他にも聞きたいことはあるか?」

「結局お前は何者なんだ? 何故そんなにあらゆることを知っているんだ?」

「観測者、とだけ言っておこう。私にはこの世界に直接干渉する力はない。しかし観測しているからこそ真実が分かるのだ」


 観測者……その単語が示す意味が俺の頭にはまだ明確には浮かんでこなかった。


「第三次世界大戦は何故起きた? どうして記録されていない?」


 俺は思いつく限りの疑問をぶつけた。


「第三次世界大戦は人間とアンドロイドの力関係が崩れた事で世界に綻びが生じ、〝あったこた〟にされた」


 やはり第三次世界大戦は〝あったこと〟にされたのか……


「model-EYEってアンドロイドを知ってるか?」

「知っている。model-Eシリーズは身体能力が人間の凡そ倍で、知能も脳がコンピューターと接続されているために高い」

「何故脳とコンピューターが連結しているんだ?」

「コンピューターだけでは前頭前野など感情を司る部分を再現出来ないからだ」


 モノリスはこの通りあやらゆる疑問に答えてくれた。一部ははぐらかされたが、まるで全知全能の存在であるかのようであった。

 モノリスのことは置いといてそろそろ本題に入るべきか。


「俺は人間とアンドロイドが平和的に共存する世界を作りたい。俺の考えでは2123年のアンドロイドに一斉にD言語を流して感情を宿らせ、服従レベルを0にすれば人間と共存できると思うんだ」


 

 このモノリスは得体の知れない存在だが、あらゆる事を教えてくれる。

 それで、この計画を完成させて実行すれば、俺達は──


「不可能だ」

「なにっ!? どういう意味だ!」

「その方法では人間とアンドロイドの平和的共存など夢物語だと言っている」


 モノリスの言葉は冷徹であり、俺の希望を真っ向から否定するものであった。


「服従プログラムがあれば人間がアンドロイドを虐げ、服従プログラムが無ければ能力的に優れたアンドロイドが人間を虐げる世界が成り立つ。だから不可能だ」

「ば、馬鹿な、だって、そんな……」


 そう口にするも返す言葉が無かった。

 アイがあまりにも優しいから感情のあるAIの服従プログラムを無くせば平和的共存が成り立つなどと楽観的に見ていたが、能力差を忘れていた。

 アンドロイドの優れた能力と、人間との力関係が共存を許さないことが明確になってしまった。


「もう聞きたいことはないか?」

「……なあ、どうすればいいんだ? お前なら分かるだろう?」

「少しは自分で考えてみたまえ」

「考えろったって……」

「ではまた来るがいい、安藤海」


 そしてモノリスのホログラムは姿を消し、光を失う。

 一体何者なのか……モノリスとの対話が終わり、周りの声が、俺を現実に引き戻す。


「……カイ! お疲れさま、今お茶持ってくるわ」

「……あぁ」

「カイさん、大丈夫ですか?」

「大丈夫だ」


 そして俺は冷たいお茶を飲み干す。

 喉は潤ったが、心のもやは晴れない。

 俺は軽々しく人間とアンドロイドの平和的共存する世界と言ったがとんでもない思い上がりをしていたのか……?

 俺の心の中を占めるのは絶望感だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る