「──、留守番頼んだわ」

「えぇ!」


 そして両親は出かけた。

 私は夜まで帰りを待った。

 帰ってこなかった。

 それから1日が経った。

 帰ってこなかった。

 3日が経った。

 帰ってこなかった。

 1週間が経った。

 帰ってこなかった。

 そこで初めて捨てられたのだと気付いた。

 それに気付いた私は泥水をすすって生きることになった。

 家畜類は死滅し、植物も大部分が失われた世界では食料は奪うことでしか得られなかった。

 私は運良くアンドロイドの死骸の横に転がっていた銃を手にし、食料を得ることに成功していた。

 しかしある日、食料を求めて歩いていると、肥えた醜男に話しかけられる。


「お嬢ちゃん、かわいいねえ、よかったら──」


 男は私の肩に手を乗せるも、その男の腕を捻り、足を払い、押し倒す。

 この所行はいつの間にか身につけた生存のための手法であった。

 

「食料さえくれるなら腕は折らないわ」


 しかし男は予想より力が強く、逆に押し倒される。

 ニタニタと悍ましい笑みを浮かべながら、男は私の頬を撫でる。


「ガキが、男に勝てるわけねえだろ。お前は俺のおもちゃ確定」

「離して!」


 男は私を数発殴る。

 恐怖に震え、涙を流す私を見て、男はますます口を引きつらせて歓喜を露わにする。


「ふひっ、ひひ! 俺もついてるなぁ! こんな美少女を支配出来るなんて……!」


 そして私は男に支配されることになる。

 待っているのは暗い未来。

 そう思った時だった。


「よくないねえ、物理的に人を支配しようとするのは。物理学の乱用だ」


 白髪の混じった、白衣を見に纏い眼鏡をかけた冴えない男。


「なんだ? 男はいらねえよ」

「君は醜い」

「あ?」

「まず容姿。鼻は出っ張って、目は細くて腫れぼったく、二重顎。髪はボサボサでメタボリックと来た。次に性格。少女に乱暴をするなんてまるで腐った卵のようだ。なんといっても手法。暴力などという物理的手段で人を支配するという単細胞さ。一言で言えば幼稚で醜悪」

「て、てめぇ……!」


 醜悪な男は、白衣の男に殴りかかる。

 白衣の男はそれを受け、あっさり尻餅をついた。

 だらしなく鼻血まで垂らす。


「痛いじゃないか……涙が出そうだ……」

「てめえの顔を醜く作り替えてやるよ」

「それは出来ないんじゃないかな?」


 そう言い白衣の男は真ん中に赤いボタンが付いた、小さな装置をポケットから取り出す。


「レーダーって知ってるかい? これは信号をアンドロイドへ発信する奴だよ」

「なっ、そんなもの使ったらアンドロイドが襲ってくるじゃねえか! 馬鹿か!?」

「現に今襲われてるし、だったらいちかばちかアンドロイドでも呼んだ方がマシかもなぁ」

「くそっ、この狂人!」


 そして醜い男は走り去った。


「やれやれ、見たか、少女よ。おもちゃに怯んで逃げていったぞ。物理的な支配は醜いが物理学的な支配は華麗なのだよ」

「そ、それ、おもちゃなの? 物理学関係あるの? あなたはいったい?」


 私は助けられたことに驚愕し、矢継ぎ早に質問した。

 この世界には情けなんて無いと思っていた。


「私は通りすがりの物理学者。あの男はあのままではテコでも動かなかっただろう。でも知恵という重力を加えることでシーソーは逃亡へ傾いた。立派な物理学だよ」

「……それってどっちかというと心理学じゃない? 恐怖という感情でシーソーは逃亡へ傾いたんだと思うけど」


 白衣の男はそれを聞くと目を丸くする。

 そして30秒ほど考え込む。


「あのー……?」

「あ、あぁ。いや、こんな少女に論破されるとは思わなかったんだ」

「別に論破したつもりじゃないけど……」

「私を論破するのは君で3人目だ。よかったら名前を教えてくれないか」

「山田花子」

「匿名希望ってわけか」


 私は親から捨てられたことに気付いた日に名前も捨てた。


「面白い。私は多少の勇気と知恵を持った人間を探していたんだ。君は逸材かもしれない」


 そういい物理学者は眼鏡をくいっと抑える。


「私に何か出来るの? 出来ることならするわよ」

「本当か?」

「えぇ!」

「そうか、なら君に実験台になって……いや、でもやっぱそんな非人道的な事は流石に頼めないから、そうだな……うーん……肩揉みでも……」

「いいわよ」

「じゃあ頼むよ、特に左利きだからか左肩が凝ってるんだ」

「いえ、実験台になるわ」

「何軽率な事言ってるんだ!? 親が心配するとか考えないのか?」


 まるで自分のことのように心配する物理学者を見て、どこか可笑しく感じる。


「私には親なんていないわよ。なんであなたがそんな心配するのよ」

「……そうか、すまなかった」


 少しの沈黙のあと、物理学者は口を開く。


「私の目的はね、人を支配することじゃない。世界を支配することなんだ」


 物理学者は真顔で夢物語のような事を語る。


「世界を支配? こんな世界をどうするっていうのよ」

「時空の異次元的な交差により、未来からの時空が時間軸を逆行し、時空の曲率が発生しこの曲率が、未来からの情報を過去へと導入し、過去の事象を再構成するんだ」

「えっ、え? どういうこと?」

「つまり未来が過去を変えるんだ。一昔前は過去が未来を変えると考えられてたけどね」

「?? はぁ……でも、未来を変えるなんてどうやって?」

「そこでタイムマシンの出番なんだ」


 タイムマシン、と聞いて思わず笑ってしまった。


「馬鹿な、と思っただろう? ところがタイムマシンはね、基礎は出来上がっているんだ。だが君を実験台にするなど……」


 その時ぐぅ、と音が鳴る。

 私のお腹からだった。

 私は顔を赤らめるも、物理学者は笑顔で懐から乾パンを取り出す。


「よし、食事にするか。私もお腹が減っていたんだ」

「いいの? ご飯まで恵んで貰うなんて」

「恵む、なんて悲しい言い方しないでくれ。共有する、だ」


 物理学者は厳しい顔でそう言った後、再び笑顔を浮かべて乾パンを私に手渡す。


「ありがとう! 一食一飯の恩は忘れないわ」

「それを言うなら一食一杯じゃないか?」

「あ、あれ? そうだっけ?」

「国語は私も苦手だからどっちが正しいのか分からんな……国語のせいで私は浪人したんだよ……」

「ふふ、あれだけ格好付けて国語が苦手なのね」


 そして私は決心した。


「私はあなたに着いていくわ。実験台だろうがなんだろうが好きにしてちょうだい」

「やめてくれ、年頃の娘が好きにしてくれだなんて嘆かわしいことこの上ない」

「変な意味じゃないわよ! あなたのお得意の物理学もとい心理学でも私の気持ちは変わらないからね」


 物理学者はため息を吐く。


「しょうがない、ラボラトリーへ招待しよう」


 こうして科学者と実験台の同居生活が始まった。

 物理学者は、1日1食しか食事を摂らなかった。


「もっと食べなきゃ頭も働かないでしょ、私の分はいいから食べて」

「私はスマートだからね、体型もスマートを維持しなければ美しくないんだ」


 それは文字どおり痩せ我慢であることは明白であった。


「そんな小食でお腹減らないの?」

「私は食欲の代わりに脳髄の飢え……知識欲が強いんだ」

「食費もかからないしエコな欲求ね」

「……いや、エゴな欲求だ。知識を求める余りに人は人工知能を作り、アンドロイドを暴走させた」

「……そうね。でもあなたの理論なら世界を救えるんでしょ?」

「あぁ。平和な世界を最初に目撃する権利を君に捧げよう」

「具体的に何をすればいいのかしら?」

「そこなんだよなぁ……君を飛ばす事は出来るが何をするべきかは検討中なんだ」


 別の日、迷彩服を着たアンドロイドが突如襲撃してきた。

 襲撃と言ってもノックをしてからの物だった。


「お前が例の物理学者か……!」

「私のファンかな? サインならあげるが」

「俺が欲しいのは命だ。お前が死ねば我々は安泰──」


 私は物理学者の背後から照準を合わせ、引き金を引く。

 銃声が響き、アンドロイドの首を撃ち抜いた。


「続きは夢の中でやるがいい。ライオンも眠らせる麻酔弾だから夢を見ることも無いだろうが」


 そして男は倒れる。


「た、倒した……?」

「ああ。よくやった。しかしこのアンドロイドもノックをするなんて律義だよな。ドアを砕いて入ってくればいいのに微妙に個性が滲み出ている。これだから人は面白い」

「でも、殺さなくてよかったの?」

「アンドロイドも人だ。殺して良いのは病原菌だけだ」

「よくそんなんで生き抜いてこれたわね。ほんとあなたは変わってるわ」

「……私が普通だったんだ」


 物理学者は低い声で呟く。

 僅か一言なのに関わらず印象に残った。


 それから数ヶ月して、物理学者は手帳を手に何やら尋ねてくる。


「君、ちょっと身体測定したいんだけどいいかな?」

「なっ、セクハラよ!」

「い、いや、君のバストが気になる訳では……」

「ふーん、胸が気になるのね」

「誤解だ! まあ私の見立てではBカップってところだが……」

「失礼ね! Dはあるわよ!」

「え? そんなでかいの? どれどれ──」


 物理学者はまじまじと見つめる。

 私は思わずビンタをするも、物理学者はそれを受けて何故か笑った。


「あ、あなたそういう趣味の持ち主なの!?」

「いや、娘のことを思い出してね。君くらいの年齢で、よく叩かれた」

「……そう」

「私を論破したのは君が3人目、と言ったね。最初に論破したのは大学で出会った妻、2人目が娘なんだ」


 物理学者もまた、家族を無くしたという。

 それから数日して、物理学者は黒い布を渡してきた。


「女物は詳しくないが、美しく作ったつもりだ」

「私の服なんて作ってたの?」

「私は手先も器用だからね。それより着てみたまえ」


 その黒い、多少のフリルの付いた服はサイズがぴったりと合っていた。


「驚いたわ、こんなことまで出来るなんて。ありがとう」


 そして、身体測定の目的がこれだと分かると胸が暖かくなった。


「ちなみに近未来バージョンもあるんだが……」


 それは銀色の全身タイツ。


「……そっちはいらない」

「なっ!? こっちのほうが苦労したんだぞ!?」


 しかし、私は着慣れない服を着て、恥ずかしくて前髪をいじっていた。

 その様を見て、物理学者は不器用に微笑んだ。

 私はそんな物理学者の前で回転し、着用姿を見せびらかす。


「どう? 似合ってる?」

「……優れた素材を装飾すれば素材の魅力が際立つことが証明された。私の実験は成功だな」


 物理学者もまた、照れを隠している様子だった。

 いつしか私はこの物理学者のことを父親のように思っていた。

 そして私は食料を手に入れるためにアンドロイドを襲撃した。

 アンドロイドはすかさず私に銃を向けるも、私はそれより早く麻酔銃を撃った。

 私は食料を調達し、走って家へ向かった。物理学者を喜ばせるために。


「食料を手に入れたわよ! 私が腕を振るってあげる!」

「どこから手に入れた?」

「たまたま拾ったのよ」

「……そうか」


 そして、私は慣れない料理をする。

 料理と言ってもお湯を沸かし、冷凍食品を解凍するという物であった。

 その冷凍のパスタはとてつもなく美味しく、私は舌鼓を打つ間もなく平らげた。


「うっ、うぅ……こんな温かいご飯久し振りに食べたわ……」


 しかし物理学者は浮かない顔をしている。

 それが引っかかった。

 私は美味しいご飯が食べたかったわけじゃない。

 ただ、あなたを喜ばせたいだけなのに──


「……情けないな、物理学じゃどんな理論でも食料を調理は出来ても調達できないんだ」

「そんなことないわよ、あなたが私を助けて、その私が食料を手に入れた。長い目でみればあなたの力が手に入れたのよ」

「……はは、屁理屈じゃないか。だが……理屈より美しいな」


 そして物理学者まで涙を流して冷凍のパスタを食べる。


「うぅ……娘の手料理を食べてる気分だ……」

「娘でも手料理でもないけどね」

「何を言う、娘みたいなものじゃないか」

「私を娘だと思ってくれるの?」

「ああ。君も私のことは父親だと思ってくれ」

「考えておくわ」


 素っ気なく答えたが、内心は嬉しくて仕方なかった。


「この世にはね、考えなくてもいいこともあるんだよ。理屈だけでは堅苦しい。この世界を救うのも、きっと理屈じゃないと思ってる。だから私のことは父と呼ぶがいいさ」

「……一回しか言わないからね。お……」


 私は羞恥心を抑えて言う。


「……お父さん」


 頬が熱くなるのを感じた。

 しかしそれを聞くと物理学者は笑みを浮かべる。


「も、もう一回言ってくれ!」

「一回しか言わないって言ったでしょ!」

「頼む! 」

「あーもう! 嫌よ! やっぱ言わなきゃ良かった!」

「あぁ、娘よ……しかしいい加減名前を教えてくれてもいいんじゃないか?」

「名前は捨てたって前に言ったでしょ」

「じゃあ私が新しい名前をつけよう。今日は新たな娘が生まれた記念日だ」

「いいって。私の名前なんてどうでもいいでしょ」

「いや、つける。君は明るい未来を築いてくれるんだ。だから君の名前は──」


 その時、世界の時が止まる。


「え? どうしたの?」


 そして視界は真っ暗になる。


「お前にそんな名前は似合わない。過去に囚われてるお前にはなぁ! 逃げるなよ、思い出せ、本名を」


 かつて父親だった人物の声が響く。

 そうだ、私は、私の本当の名前は……


 ──


「ミライ? 大丈夫か?」

「……あれ、ここは……あぁ、そうか」


 目が覚めると同時にミライは涙を流していることに気付いた。


「酷くうなされてたが起こすのも悪くてどうしたものかと思ってたんだ」

「大丈夫よ。ありがとう。よし、元の世界に帰るためにもカイの手伝いするわ! 肩でも揉もうかしら?」

「ありがとう、結構タイピングって肩が凝るんだよ」


 そして肩を揉まれながらタイピングに勤しむ。

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