ブラックボックス
「この人型のプログラムは速度が半端ない。キーボードを繋げてF5キーを連打して更新しまくるぞ」
これがレンジが立てた作戦だ。サーバーに過負荷を与え、ラグを起こし、アンナのタイピングをサポートする。
昔、ネットでF5キーを連打してサーバーの運営者を困らせるといういたずらがあったが、まさにそれをやろうとしている。
それを大真面目にやるというシュールな状況だが、笑う余裕など無かった。
「だがたった3人でサーバーに過負荷を与えられるのか?」
「F5キーにはサーバーに過負荷を与えるプログラムも割り当ててある、なにもしないよりはマシだ」
「分かったわ!」
そして3人でF5キーを連打する。こうした荒療治とも思える手法だが、状況的に他の策はなかった。
「! 人型プログラムの動きが鈍った! これなら……」
アンナのプログラムは次第に膨れ上がり、変貌する。
そして、プログラムは、鈍化した人型プログラムの顔面に見事なストレートを見舞い、その存在を削除する。
デリートされた瞬間、サーバーのラグが収まる。
「アンナ……よくぞ俺の仇を打ってくれた!」
「はぁ、僕も流石に疲れたよ。次の暗号は楽できそうだけど」
「これで残るは暗号だけってわけね!」
アンナの額から汗が滴る。しかし、そのすぐ後にアンナは、少しの間でも休まることなく、最後に待ち構える暗号に取り組む。
「プログラムで自動的に解けるんだろう? 代わろうか?」
「いや、大丈夫」
次の暗号は、概ね順調だった。
暗号は実はある程度パターンが決まっており、そのパターンも事前に学習させているため多少時間はかかるが解けるのだという。
実際、暗号は俺が見たことのない異質な物で構成されていたが、問題は1問数分で解かれた。
しかし最後の暗号が意外な物だった。
8143816257578888676692357799235779976146661201829672124236253625618429357069352457338978305971235639587050589890751497599290026879543541629595926353829629299993735273938930152720282737309793837390397313524527622897827382698982215461221313606194213030214113331034619181216121131666131201213147641231316644363838839939653563739348463763839331543288……
これがまるで無限のように連なっていた。
「なにこれ、見たことない!」
俺はその正体を一瞬で見抜いていた。
「これはRSA暗号だ」
「なにそれ? 初めて聞くよ」
RSA暗号は、たとえばA=01,B=02など、文字を数値化している。
その上で3つの秘密鍵があり、さらに複雑化しているのだ。
暗号文を解読するためには、暗号文の数値を元の文に変換する必要がある。
何をすればいいのかというと……
「素因数分解すればどうにかなる。知らなければ詰んでたな」
「分かった!」
「私には何がなにやら……」
言い方は悪いがミライは戦力外だった。
そしてしばらく待っているとコンピュータが計算を終え、数字を文字に変換する。
「もう、時間かかるなぁ。早くしなきゃバレかねないのに……!」
「コンピューターの性能不足はどうしようもないな……」
苛立ちながら待っていると遂に答えを導く。
The magic word is fragile.(魔法の言葉はfraghです)
そしてアンナはそれを入力し、暗号を解除した。しかし何故俺が知っているRSA暗号が最期の問題とされていたのか。この時代では珍しい物なのだろうか。
「やるじゃん!」
「流石カイね!」
そしてアンナは一層気を引き締めて言う。
「さて、ここからいよいよブラックボックスだよ……ここまでは前座、ここからが本番だよ」
「ブラックボックス……何が待っているのかしら?」
「くれぐれも慎重に進んでくれ」
アンナは未知の領域へ足を踏み入れる。
モニターには、巨大な街が表示されている。その街は21世紀…‥2023年の東京、池袋と同じ、アスファルトの地面に無機質な建物群。空は久しぶりに見る青色で、見慣れた町並みだった。
「なんだこれ……まるで俺の住む池袋じゃないか」
「これがイケブクロ? 100年前の?」
人々はいないし、車も走っていない。静まり返った都会、それが不気味さを増長させていた。
「しかし参ったなぁ……どこへ行けばいいのやら」
案内があると信じるのは、ある種の便宜的な思い込みかもしれない。
「とりあえずログにアクセスしてみればいいんじゃないか?」
「そうだね……」
アンナの指がキーボードを舞い、ログの情報を引き寄せる。はずだった。
「あれ? 何これ……」
「どうした?」
「見たことのない言語でこの街は出来てる。E言語とは全く違う……」
次の瞬間画面に赤くMismatch(不一致)と表示された。それが何十、何百も表示されて画面を埋め尽くした。
「あ、やばい、これ」
「イアン、どうなってる?」
「僕のハッキングプログラムがこの世界の言語と違うからエラーが起きた。今ものすごい勢いで解析されてる」
流石に冷静沈着なレンジも動揺している様子だった。
「まずいな……今すぐサーバーから遮断するんだ」
「やってるんだけど動きを止められてる」
「遮断ってこうすればいいのかしら?」
そしてミライはコンピューターの電源ケーブルを引っこ抜く。
「あー! コンピューターにおいて電源引っこ抜くのは禁忌なんだよ! それにハッキングプログラムはコンピューターじゃなくてサーバーにあるから引っこ抜いても無駄なの!」
「えっ、そうなの……よく分かんないけどごめんなさい」
「とにかく僕たちの所在地も漏れてる可能性が非常に高いから今すぐアジトを変えるべきだよ」
「……そうか、分かった」
アジトを移すなら、このアジトにある物をなんとか持ち運ばなければならないはずだが……
「……しかしこのコンピューターはどうするんだ?」
レンジはやや気落ちした様子で告げる。
「……破棄するしかないだろう、命の方が大事だ」
結果、あれほど苦労して盗んだコンピューターは一つ一つ自分の手で壊し、自ら動けるケルベロスを除いて置いていくことになった。俺たちは収穫を得るどころか、失うのみであった。
「新たなアジト……どこにあるのかしら?」
「シンジュク、アキハバラに支部がある。ここイケブクロから近いのはシンジュクだろう」
そして俺たちは徒歩でシンジュクへ向かう。
途中、アンドロイドらしき人物がやってきて、慌てて隠れた。アンドロイドも特に気付くことなく、歩いて行った。しかし遭遇したのはその一人。やけに人が少ない。
「なぁ、この国に人間って何人くらいいるんだ? 随分少なく見えるが」
「分からない。多めに見積もって1万人ってところじゃないか」
俺は思わず絶句した。労働力不足とは聞いていたが……
「1万人!? 俺の時代では1億3000万人いたぞ?」
「1億……3000万……? アンドロイドと人間、全てを足しても5万人いるかどうかだと思うが……カイの時代は一体どうなっているんだ……」
今度はレンジが絶句する。あまりに想定外の数字だったらしい。
「カイのいた世界は興味深いな。ミライも2023年から来たのだろう? よければ話を……いや、すまない。記憶喪失だったな」
いいのよ、とミライはレンジに微笑んで言う。俺もミライが心配で声を掛ける。
「しかしミライ、記憶はまだ戻らないのか? 俺の推測ではタイムマシンが作られたという2063年から来たのだと思うが」
「……えぇ。気を遣わせてごめんなさい。でも大丈夫よ!」
その表情は強がりに見えた。無理して明るく振る舞っているのだ。やはり記憶が戻らないのは不安でしょうがないのだろう。
ただ、ミライは恐らく暗い境遇だろうことは察している。
記憶がないことは、もしかしたら幸いなのかもしれない。
同時に記憶が戻ったとき、もしそれが忌まわしい物なら、と思うと悲しくなる。
「カイ、暗い顔してどうしたの?」
「いや。ミライ、俺は何があってもミライの味方だからな」
「え、えぇ……」
そして1時間ほど歩いて、シンジュクへ辿り着いた。
「みんな、ご苦労。ここがアジトだ」
そこはイケブクロのアジトのような電球が1個ぶら下がっているだけの薄暗いアジトではなく、白いLEDが照らす、若干広めの部屋だった。
「前のアジトよりは広いがコンピューターはハッキング出来るほどの性能のものはない。設備にはあまり期待しないでくれ」
「ひとまず寝るスペースさえあれば文句はない」
「私もシャワーさえあればいいわ」
そうか、と安心した様子も見せず、レンジは続ける。
「それより俺が怖いのはこのアジトの場所までもが漏れてないかだ。イアン、解析されて不味くないのか?」
「あぁ、それはハッキングプログラムにシンジュクの情報ないから大丈夫。コンピューターも壊したし」
コンピューターのデータは実は完全な消去はあり得ず、復元できる。そこでどうすれば復元できないかというと、物理的に壊せばいい。
「分かった。さて、俺たちが次にやるべきことは──」
俺は気怠く答える。
「また、窃盗、だろ?」
「そうだ。まともな性能のコンピューターがないことには始まらない」
俺は凄まじい倦怠感を抱いた。またしても命がけの窃盗をしなければならない……
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