第2話
目を開くと景色は一変していた。
熾烈な戦いを繰り広げた勇者一行も共に長年過ごしてきた大勢の魔王軍もいなくなっている。
視界にはただ広い青空だけが広がっていた。
「…我はあの後どうなったんだ?」
横たわっている自分の腹を手で触ってみると聖剣で刺された筈の怪我が消えている。
そしてここは激しい戦いの舞台となった魔王城ですら無く、背中全体からふわふわとした優しい感触が伝わってくる。
仰向けのまま横に視線を向けると大きな白い塊が目に入ってくる。
現在魔王は身体よりも遥かに大きい雲の上に横たわっていた。
「雲の上?なんだこれは?死後の世界か?」
先程までと状況が変わり過ぎて困惑気味に呟く。
「まあそんなところかな。」
「っ!?」
魔王は突然聞こえてきた声に驚きながら素早く身体を起こす。
声の聞こえてきた方を見ると若く美しい女性がにこやかに手を振っており、その後ろに厳つい顔付きの老人が佇んでいる。
突然の状況に少し呆けていたとは言え、こんなに近くにいるのに気配に気付く事が出来なかったので、魔王は底の知れない二人を前に冷や汗を流しながら油断無く構える。
これ程の得体の知れない存在は産まれてから初めて目にしたかもしれない。
「おろろ、そんなに敵意を向けてこないでよ。こっちには戦うつもりなんて無いからさ。」
女性が両手を上げて降参のポーズを取りながら言う。
確かに二人からは殺意どころか敵意も一切感じ取れない。
しかし実力の底が見えないのも確かなので戦っても勝つビジョンが見えない為、魔王からすれば有り難い提案である。
構えを解いて楽な姿勢で二人に対峙する。
「何やら知っている様子だな。我について知っている事を話してもらえると助かる。」
戦うつもりは無いと言っても相手の真意が分からないので一先ず探りを入れてみる。
「警戒されちゃってるよね。いきなりこんな状況だもん、仕方無いか。それなら先に自己紹介といこっかな。初めまして魔王君、私の名前はヴィンセクトだよ。よろしくね。」
女性がにこやかにそう言って手を差し出してくる。
「一つ質問をしたい。」
魔王はその手を握る前に尋ねたい事が出来た。
この女性の言っている言葉が真実ならとんでもない事である。
「…質問は良いけどこの差し出した手が寂しそうだと思わないかい?」
魔王に握ってもらえずに差し出したままとなっている手を見ながらヴィンセクトが言う。
「貴方が騙っていないのならば女神ヴィンセクト本人だとでも言うのか?」
魔王が気にしている点はこれだ。
ヴィンセクトと言えば世界の創世の神と呼ばれる者の名前と同じなのである。
そしてこの名を騙る愚か者は見た事が無い。
神の名を騙ると神罰があると昔から言い伝えられてきたからだ。
名を騙った者の一族が不幸な呪いを受けた、神の加護を金儲けに利用した国王の国が滅びた、神から賜ったと偽の神器を見せびらかしているとたちまち呪いの道具に変貌した等と逸話は尽きない。
「そうだとも、私がその女神のヴィンセクトだよ。」
ヴィンセクトは魔王に認知されていた事に満足そうにしながら差し出していた手を更に突き出す。
「そうなるとそちらの方も神であると?」
魔王はヴィンセクトの後ろに佇んでいる老人に視線を向ける。
正直こちらの方が只者では無い感が凄まじい。
「…分かってる分かってるよ、恐れ多いんだろ?神の手を取るなんて恐れ多いんだよね?世界よりも広く深い懐を持つ神の私が折れてあげるよ。」
ヴィンセクトは悲しそうに呟きながら手を引っ込める。
魔王としてはもう一人の者が気になるのもあるが、ヴィンセクトが言う通り恐れ多さもあった。
神と名乗る者の手を取って何か信じられない事が起こってしまうのは避けたい。
死んでいる身ではあるが慎重に行動するべきだ。
「我が名はゼウス。お前の言う通り神の一柱だ。聞き覚えは無いと思うがな。」
一人悲しんでいるヴィンセクトをスルーしてゼウスが喋る。
思った通りヴィンセクトと同じ神であった。
しかしゼウスが言う様に魔王には聞き覚えが無い名である。
この世界で神と言えばヴィンセクトの事を指し、他は特に聞いた事が無い。
「無知で申し訳無い。」
「異世界の神だからな、それは仕方無い。お前が知らないのも当然だ。」
自分の無知について謝罪するとゼウスがそう言ってきた。
そもそもこの世界の神でないのであれば魔王が知らないのも当然だ。
「異世界の神?」
「その辺も含めて説明しないとね。魔王君は突然過ぎて状況が理解出来ていないと思うし。」
この状況について理解しているであろうヴィンセクトが何も現状について分かっていない魔王を見て言う。
「先ずは何から話そうかな。自分が死んだのは覚えてる?」
「勇者の聖剣で腹を貫かれたのは覚えている。死んだのならばそれが原因だろうか?」
勇者から受けた一撃は間違い無く致命傷と呼べるレベルの傷であった。
自分が死んだとすればそれ以外に原因は考えられない。
「そうだね。そして死んだ者は新たな生を受けて生まれ変わる。それは魔王君も同じだ。」
人は生と死を何度も繰り返しており、死んだ者は再び世界に新たな生を受けて誕生する。
「我はこれから転生すると言う事か。」
魔王も勇者の一撃によって命を落とした。
輪廻転生の輪に入っているので生まれ変わる事になる。
「うんうん、本来なら新しい生を受けてこの世界で転生してもらう予定だったんだ。」
「予定だった?」
どうやらヴィンセクトの予定とは違って普通に輪廻転生する訳では無さそうだ。
「魔王君は自分の種族の事を考えて一生懸命に生きていたよね。勇者君の行動も仕方が無かったとは言え、まさか皆の為に死すらも受け入れるなんて中々出来る事じゃないよ。」
魔王も勇者も自分の立場を考えての最善を選択した。
その結果が自らの死であったとしても、魔王としては何も後悔は無いし勇者を恨んでもいない。
「そこで魔王君には特別な転生をプレゼントしちゃおうかなって思ったんだ!」
「特別な転生?」
「そうそう、その名も異世界転生!どうどう?ワクワクする響きでしょ?」
ヴィンセクトが子供の様に無邪気に笑いながら言ってくる。
「異世界転生、こことは異なる世界への転生。だから別世界の神が?」
この場に異世界の神がいるのは自分の転生に関わっているからだと魔王は考えた。
「そう言う事だ。お前が我が世界に転生する事を選ぶのならば、ヴィンセクトに代わって転生作業を行う。」
ゼウスは魔王の言葉を肯定した。
どうやら異世界転生をする為の手伝いとして赴いてくれたらしい。
「魔王君どうする?選ぶのは魔王君の自由だよ!ちなみに異世界転生を選ぶんなら大サービスで記憶はそのままにしてあげちゃう!」
「記憶を?」
普通であれば輪廻転生する者は新たな生を受ける事になるので記憶もリセットされる事になる。
記憶を残した状態での転生は普通ではあり得ない事だ。
「本来なら転生する時は記憶をリセットするんだけど、せっかく異世界転生を選んでも記憶が無いんじゃ意味無いでしょ?元の世界と新しい世界との違いを楽しめなくっちゃね。」
「成る程。」
ヴィンセクトの言葉に納得する。
確かに記憶が残っていないのならば、普通に転生しようと異世界に転生しようと来世の自分は何も疑問には思わないだろう。
それでは異世界にいく意味も無い。
「ちなみに私のお勧めは異世界転生だね。こちらの世界との違いに魔王君も驚く筈だよ。」
「世界が変わるとそんなに変わるのだろうか?」
異世界と言う言葉は理解出来るが想像は付かない。
「全っ然違うよ!ゼウス君の世界はこっちの世界と違って魔力が無いし、種族は人間だけ。剣や魔法やスキルも無いし魔物もいないんだ。」
「そんなに違うのか!?」
ヴィンセクトの説明を聞いて魔王は驚いて思わず声を上げる。
全て魔王が生きてきた世界では当たり前の事であった。
それらが存在しないなんて考えられない事だ。
「驚くよね。自分にとっての当たり前が当たり前じゃないんだから。」
魔王の反応を見てヴィンセクトがうんうんと頷いている。
世界観が違い過ぎて驚くのは当然だ。
「魔力が無くて不自由しないのだろうか?魔法道具が使えないだろう?」
ヴィンセクトの管理する世界で日常的に扱われている魔法道具。
魔力をエネルギーとして様々な事が出来る魔法道具は言わば生活必需品である。
魔力が無いとなるとあって当たり前の魔法道具も使えない事になる。
それでは生活が不便だと感じる。
「魔法道具も存在しないよ。なんたって魔力が無いんだからね。その代わり電力って言うエネルギーがあるよ。」
「電力?雷系統の魔法やスキルか?」
電力と言うエネルギーには当然聞き覚えは無い。
「似てるけど違うかな。電力には魔力が必要無いからね。その電力を使って魔法道具に似て非なる電化製品って言う便利な道具を使ったり出来るんだって。」
雷系統の魔法やスキルは扱うのに魔力を要する。
同じ電気ではあるが電力とはそれらとは別物みたいだ。
「こちらの世界も全てがそちらに劣っている訳では無い。お前が気にいる物も何かしらあるだろう。」
ゼウスは魔王が心配する程不便な世界では無いと言う。
実際に体験すれば直ぐに理解してもらえるだろう。
「こっちの世界と違って発展しているのは、やっぱり食と娯楽かな!ゼウスが前に持ってきてくれた洋菓子は美味しかったし、ゲームも面白くてずっとやっちゃったよ!」
「洋菓子?ゲーム?聞き慣れない単語ばかりだな。」
ヴィンセクトが楽しそうに話す言葉はどれも聞いた事の無いものばかりだ。
だが楽しそうに語る様子から素晴らしい物だと言う事は伝わってくる。
「そう言う魔王君にとって未知の物に溢れる世界って事だよ。どう?興味湧いてきた?」
「未知か。確かにそう言った物にせっかく触れる機会にあるのなら、経験しないのは損かもしれない。」
魔王は未知と言う言葉に弱かった。
種族の特徴故か魔王としてかなり長い間生きてきたので、世界の凡ゆる事について知識を持っていた。
未知との遭遇なんてここ暫くの間は無かったので、未知に溢れる世界と言うのは純粋に興味がある。
「うんうん、魔王君も気に入っちゃうと思うよ。他にも沢山の未知で溢れているからね。世界が変われば全てが新しく珍しく楽しく見えてくるのさ。」
ヴィンセクトは直接ゼウスの世界を見た訳では無いがゼウスからの貰い物でゼウスの世界の事についてはそれなりに把握している。
異世界の物と言うのは女神であるヴィンセクトをも魅了する物ばかりなのだ。
「分かった、では異世界転生をさせてほしい。」
魔王は少し悩んだが異世界への転生を選択する事にした。
ヴィンセクトやゼウスの言葉を受けて、意識は未知なる異世界へと傾いている。
「おっけーおっけー、異世界を沢山楽しんでくるといいよ。」
魔王の決断を聞いてヴィンセクトは嬉しそうに頷きながら言う。
その言葉に大変満足そうな様子だ。
「では最終確認だ。我が世界に転生する場合、お前は人間となって生を受ける。そしてこちらの世界で培った力は失われる。だが記憶はそのままだ。これで問題無ければ異世界転生を行う。」
世界の在り方がまるで違うので魔王をそのまま転生させる事は出来無い。
ゼウスの管理する世界は人間しかいないので、魔族の姿を持つ魔王がそのままの姿でいけば大騒ぎとなるだろう。
「問題無いので宜しく頼む。」
新しい生を魔王は受け入れる。
異世界への転生の為に魔王である自分とはここでお別れだ。
「うむ、では我が世界へ歓迎する。」
ゼウスがそう呟くと魔王の身体が発光してその場から消えた。
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