第22話 ルナの演説

 会場の二階から登場した私たちを貴賓の人々が見上げている。


 否応でも感じてしまう視線、視線、視線。

 そのどれもが良いものではないことに気付くのにそう時間はかからなかった。


 階段を下りて行く私たちを包むのは称賛の言葉などなく、ただただ悪意に満ちたものだった。


「嫌だ、本当に来てるじゃない!」

「妖精殺しの王子よ」

「末恐ろしい」

「ずっと引き籠ってくれればよかったものを」

「しっ! 聞かれたら消されてしまうかもしれないわ!」


 今まで如何いかにに家族に可愛がられ守られていたのか、星の国に来てからも優しい人たちに囲まれていたのだということを思い知らされる。


 向けられる視線と言葉は鋭利な刃物みたいで、全ての鋒がシリウス様へと向けられていた。


「化け物が」


 誰かの心無い一言でシリウス様の手が完全に私から離れる。

 そして彼は俯いたまま来た道を一目散に駆けて行ってしまった。


「シリウス様っ!」


 私の声に応えることなく走っていく彼の姿を見て、「よかった」とか「情けない」などと批判する声が聞こえてきた。

 自分勝手に意見を言う彼らは先ほどまでとは違い、大きな声でそう言っている。


 彼が来たくないと言っていた理由がやっとわかった。

 きっとこれが原因で引きこもっていたのだということも。

 人からの負の視線がこんなにも怖いなんて、初めて知った。


 あんなに酷いことを言われているのに、どうして私はすぐに庇ってあげられなかったの。

 もっと何か、できたんじゃないの。


 そんな風に自分を責めることしかできない私のもとに、一人の男性が近寄ってきた。


「よければ俺がエスコートしますよ」


 私と同い年ぐらいの若い青年だった。


 一目で爵位が高いと分かる身なりを見るに、彼がアルニラム王妃が言っていた貴族の子息なのだろうと分かった。


 黒い髪をかき上げて話す姿は自信過剰に見えて、あまり品が良いとは言えない。

 声をかけられても返答の無い私に彼はぺらぺらと口を回した。


「貴女もお可哀そうに。無理矢理嫁がされて災難でしたね、あんな化け物に」


『化け物』と音を発する彼の声は最後にシリウス様を罵倒した人のものと一緒だった。


 貴方はシリウス様の何を知っているんですか。

 優しくて嘘が下手なだけのあの人のことを、どうして知りもしないのにそんなに悪く言えるのですか。


 私の心の声など察していない貴族の男性は私の手を取ろうとしてくる。

 握られる寸前で私は彼の手をはたき落とした。


「シリウス様以外にエスコートしていただくつもりはございませんので」


 まさか叩かれるなんて思っていなかったのか、男性は目を見開いた。


 この場にシリウス様を肯定する人がいないのなら、私が彼を肯定する。

 彼のことを悪く言う人がいるなら、私が彼のいいところをその倍、いや百倍言うんだ。


 背筋を伸ばし、凛として歩く。

 貴族の男性の横を通り抜け、会場で一番目立つ場所……私とシリウス様が入って来た階段の上に戻り、大きく息を吸った。


「皆様、本日はお越しいただき誠にありがとうございます。月の国よりシリウス様へと嫁ぎにまいりました、ルナと申します」


 一つ間を置き、深々と頭を下げる。

 先ほどまでシリウス様の悪口を言っていた人も、こそこそと良くない噂話をしていた人も、皆静かに私を見上げている。


 向けられる視線は良いものではない。

 恐いと思っていたというのに、いつの間にか気にならなくなっていた。


「私は星の国の事情を知りません。シリウス様の過去を知りません。どうして皆様があの人のことを酷く言うのかも、分かりません」


 知らないことだらけで、分からないことだらけで。

 その中で、一つだけ信じられることがある。


「それでも私は、シリウス様が……彼が優しい人だということを知っています」


 私の言葉がここにいる誰かに届いてくれることを願って、私はもう一度深くお辞儀をした。

 誰も邪魔をしたり水を差したりせず、ただ静かに終わるのを待っていた。


 今言いたいことはこれ以上ない。


 私はシリウス様の走っていった方へ足を向けると、誰かが私の手を掴んできた。

 驚き振り返ると先ほど手を叩き落としたはずの貴族の男性がそこにいた。


「ど、どうしてあんな奴追おうとするんだよっ! 俺のほうがあいつよりも断然いい男だろ!」


 何を言いだすのかと思えば……自分が選ばれなかったことに納得ができず、手を掴んできたらしい。


 正直呆れて何も言いたくないのだけど、ここはビシッと言わないといけない。

 そうじゃないとこの人は諦めてくれなさそうだ。


「どうしても何も。貴方よりシリウス様のほうが素晴らしい方だからです」

「なっ! どこが!」

「他人を悪く言う人間と、他人に優しくできる人間。どちらが良いかなんて赤子でも解ることですよ」


 私の言葉に彼は顔を赤くしていく。

 論破されている姿が見世物になってしまっているようで、階下からくすくすと笑う声が聞こえてきた。


 いや……笑ってらっしゃるけれど、あなた達も彼と同じレベルです。

 掴まれていた手を無理やり振りほどき、会場に響くよう先ほどよりも大きく声を張った。


「私の夫を悪く言うということは、即ち私を悪く言うということ。ひいては、月の国を悪く言う行為になります。その意味を皆さま、ゆめゆめお忘れになりませんように」


 小さな笑い声の響いていたホールは一瞬で静まり返る。

 上から下の様子はよく見えるもので、先ほどまで余裕そうにしていた人間が揃いも揃って顔を青くしていた。


 月の国との交流がなかったから彼らは私たちがどんな人間なのか、どんな国なのかを知らない。

 それが急に恐ろしくなったのだろう。


「嫁いできたくせに、調子に乗るなよっ!」


 貴族の男性の情けない叫び声が聞こえて来るも、私は振り返ることなくこの場を去った。


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