第9話 新月の訪問者

 日課になった土いじりのため、庭園を訪れる。

 フルドさんに手伝ってもらうこともあるけれど、基本的には自分で花壇を整えていた。

 植えたばかりの苗たちは成長途中といった感じで、花が咲くのはまだ先のことになりそうだ。


『フルドに手伝ってもらえるようになって良かったね』

「はい! 忙しい合間を縫ってここに来てくださるんですよ。頼もしい限りです」


 私が一人で庭園にいるとき、必ずと言って良いほどカニクラさんが姿を現す。

 と言うかむしろ彼は私一人の時にしか出てこない。

 フルドさんにカニクラさんのことを聞いたけれど知らない様子だったから顔見知りというわけでもなさそうだった。


 妖精だからあまり人間の目に触れたくないのだろうか。

 もしそうなら、誰かに見つかるかもしれないのに、私の話し相手になってくれているということになる。

 そんな彼に対して感謝してもしきれない。


 ……いや、彼なのか彼女なのかは分からないけれど。

 とにかく、カニクラさんはとっても優しいということだ。


 土いじり初日、カニクラさんは私の調子を見にきてくれた。

 汚れた手で紙を握るのは申し訳ないと思っていたところ、彼は自分で浮けることが判明した。

 私の両手が塞がっている時は今のように、目の前をふわふわと飛んでくれる。


『ずっと思っていたけれど』

「なんですか?」

『君は、どうしてここの王子様の求婚を受け入れたの?』

「どうしてって……」

『一生懸命頑張る君に会いもせず、引き籠っているのが王子だなんて笑わせる。あんな自分勝手なやつ、君には相応しくないよ』


 カニクラさんは一通り文字に起こすと、ペンを乱暴にぶんぶんと振って見せた。

 怒っているんだぞと言いたげなその動きを見て、思わず笑ってしまう。


「そんなふうに言ってくださってありがとうございます。でもシリウス王子のことを悪く言わないで。きっとご事情があると思うから」

『どうして。君はあいつのこと、許すの?』

「許すも何も。お話しもしたことがないのに、シリウス王子のことを悪い人だなんて言えませんから」


 そう伝えるとカニクラさんは沈黙した。

 言葉を発しているわけではないので、正しくはペンを止めたと言う感じだけれど。

 しばらくしてから、ゆっくりとペンが動き出す。


『君がそう言うなら、これ以上王子については何も言わない。……でも優しすぎて心配になるよ。悪い人に騙されそうで』

「そんなこと……ないと思います……多分」

『すごく自信なさそうだね』

「兄の冗談にいつも気が付かないので、騙されそうだなとは思いまして」

『本当にすごく心配』


 優しいカニクラさんがシリウス王子に対してああまで言うなんて、そんなに怖い人なのだろうか。

 でもフルドさんやアルドラさんが慕っているので、一概にそうとも言い切れない気がする。

 伝聞だけだと王子がどんな人なのかさえ、分からない。


 どうしたものかと頭の端で思いつつ、花壇の整備に精を出した。



 ◇



 夕食を済ませた後、これまた日課となったガーデニングの勉強を行う。


 持参した紙だけでは足りなくなったのでフルドさんにノートを頂いたのだが……気が付いたら結構な量になってしまっていた。


 だって、身につけた知識を自分で試せる環境ってすごく楽しい。

 すぐに成果は出ないけれど、その度に上手くいく方法を考えるのが自分の性格に合っているもかもしれない。

 月の国では本は読むばかりだったから、活かせる場があると知れたことが嬉しかった。

 それに工夫する工程も自分の力になっていると思うと、とても感慨深い。


 勉強に加えて、庭の植物の様子を日記に収めることもやっている。

 こうすると何が原因で駄目だったのかが一目瞭然になるのだ。


 楽しい感情がついてくると人間は没頭しやすいらしい。

 気が付けば何時間も経っていた。


「……いけない。もうこんな時間」


 忘れていた目の疲れが急に戻って来て、目頭を軽くマッサージする。


 夜更かしをすると明日の作業に支障が出るから早く寝よう。

 卓上ライトの灯りを消してベッドへと向かおうとした時、外が明るいことに気がついた。


 今日は新月で月の光が入ることはないはずなのに、どうして外から光が漏れて来るのだろう。

 いつもの悪い癖……もとい、好奇心が抑えきれずカーテンの外を覗くと、庭園のベンチに誰かが座っているのが見えた。


 こんな時間に、何故、あの場所に?

 お屋敷も一応は王城の敷地だから不審者ではないと思うけれど、じゃあ一体誰なのか。


 私はクローゼットで発見したフード付きのローブを身にまとい、音を立てないように部屋から抜け出た。


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