第8話
「ティーニャ、ティーニャ、着いたってさ」
「んん……?」
ゆさゆさと肩を揺さぶられて意識が浮上する。
眠い目を擦って目を開けると、同じく寝起きらしいグエンが欠伸をしながら荷物の準備をしていた。
「着いた……?」
「そ、都だよ」
肩までかけていたはずの上着が膝でぐしゃぐしゃになっている。どうやら村ではしゃぎすぎて完全に熟睡していたらしい。
グエンも隣にいるのに私完全に油断してた!どうしよう、いびきとか寝言とか歯軋りとか聞かれてたら……涎垂れてないよね、白目剥いてなかった?
「あ、あの、熟睡しちゃってたんですけどうるさくありませんでしたか?」
「全然、寧ろ生きてる?ってくらい静かで不安になったよ」
「よかった〜」
「心配しなくても俺も熟睡だったから」
取り敢えず恥ずかしいところは見られてなさそうでよかった。グエンが今更私の物を盗んだり乱暴をするなんてことは考えていないけど、年頃の娘としてだらしないところを見られるのが一番の気がかりだったから。
「準備が済んだら降りよう。風呂入りたくない?公衆浴場行こうかな」
「私は……宿で水を借ります」
「それがいいよ、男はまだしも特に貴族の娘が行くところじゃない」
確かにそろそろ身体を拭きたい気分だ。昨日川に入って足はスッキリしてるけど、ずっと座ってたせいで背中とかがベタベタしてる気もする。
「グエンは人探しをするんですよね?都にはどのくらい滞在する予定なんですか?」
「元々都に住んでて知り合いも探してくれてるからそこまで長居はしないよ。4日くらいかなぁ。ま、でも旅に出るのに家の契約切っちゃったから、今回は宿借りないとね」
その言葉を聞きながらぼんやりと寝起きの髪に櫛を通して毛先を編んでいく。この格好を始めて何度もしている動作だけど、自分の見えないところを編むのはやはり難しい。
手間取ってもたもたと腕を動かしているとグエンが見かねて声をかけてくれた。
「髪に触ってもいいなら、編んであげようか」
「いいんですか?お願いします」
この髪型に慣れているグエンは手際よく髪を束に分け、スムーズに髪を編んでいく。昨日までならこんなことしなかっただろうしさせなかったけど、昨日一日で随分と打ち解けたものだ。
「あの、取り敢えず都までって約束でしたけどどうします?可能なら私はこのまま一緒に行けたらって思うんですけど」
「いいよ、俺たち気が合いそうだし。俺もちょうどそう思ってたとこ」
「よかった〜」
グエンは男性だけど姉様が言うような色情魔ではないし、身分や金銭的な余裕があるからか私のお金を盗むなんてこともしない。旅をするうえでこれ以上のパートナーはいないと思っていたから、正直彼と旅を続けられるのはかなり心強かった。
「はい完成。人の髪を編むのは初めてだけど結構良い感じにできたよ」
「流石ですね」
満足げにうんうんと頷くグエンに礼を言って帽子を被る。
馬車の扉を開けると、村と違って早朝にもかかわらず賑やかな声が聞こえてくる。どうやら私たちと同じように馬車で都まで来た人たちがここに集まっているらしい。
「ありがとうございました、これお代とチップです」
「これは俺からね」
「毎度あり!」
御者に礼を言って地面に降り立つ。舗装された石畳がこの街の豊かさを示しているようで、私は初めて見る街中の喧騒に少し怖くなった。
「あれ、都の街にも出たことないの?」
「はい、恥ずかしながら」
「恥ずかしくないって。来なよ、俺が案内してあげる」
「あ……」
私を置いて歩き出してしまったグエンのあとを慌てて追いかける。
私が住んでいたのは都の中でも皇城近くの貴族の屋敷が立ち並ぶ区画、花の都の街並みをこんなに間近で見るのは初めてだったのだ。
「屋敷には寄らないんだよね、先に宿取ろっか」
「はい。あの、それと宿も良ければグエンと同じ部屋がいいんですけど……」
「は?!」
宿は特に押し入られたら危険だと姉様に口酸っぱく言われた。グエンは私に変な気を起こすこともないし、部屋だって一人一部屋よりも二人で一部屋にしたほうが安く済む。
「あ、で、でもグエンにも恋人とかいたら全然それは気にしないで」
「いやいないけど……俺結婚とかまだしたくないし」
唸りながら首筋を押さえるグエンにやっぱりダメかと肩を落とす。そうだよね、そんな気はなくても未婚の男女が同じ部屋なんてはしたないし、悪いこと言っちゃったな。
「あの、やっぱり……」
「……や、いいよ。お互い着替える時は部屋の前にいればいいし、あんたを俺ってことにするなら男同士の二人旅で別の部屋を取る方がおかしい。その代わりベッドは二つだよ」
「当たり前です!」
そうこうしている間に周囲に人が増えてきて、私たちはティーニャとグエンからグエナエルとウェインに意識を変える。
「ウェイン、あの看板は何の店?」
「あそこが風呂屋だよ。俺が今日行く予定のところ」
「じゃああれは?ボタンの看板だから服屋?」
「手芸用品店かなぁ、あんまり注意して見たことがないんだけど……」
「じゃああれは?あの路地の先にあるの……」
「あそこは知らなくていい」
知らないものだらけの自分に呆れたりせずに一つ一つ教えてくれるグエン。最初は揶揄ってくる斜に構えた人だと思ってたけど、意外と面倒見がいいのだろう。もしかしたら下に兄弟がいるのかもしれない。
「ウェイン、あの店すごい人だかり!美味しいのかな」
「あぁ、あそこのパニーニは美味しいらしいよ」
「買ってみてもいい?」
「いちいち聞かなくていいよ。折角来たんだし自分の金なんだからしたいようにすればいい」
「うん!」
行列の最後尾に並んで、チーズの焦げる良い匂いに期待を膨らませる。
これだけ人がいたら誰かしらにグエンの正体がバレたり過激派に狙われたりしそうなものだけど、みんな自分のことに精一杯なのか私達に注目する人は誰もいなかった。
人を隠すなら人の中、ということだなと得心がいく。
「ウェインも食べる?今まで色々と教えてくれたお礼に奢るよ」
「お、じゃあ有難くご相伴にあずかろうかな」
「僕はあのトマトのやつにしようかな……でもローストポークが入ったやつも美味しそう」
「加熱したやつにしときな、腹壊すから」
「じゃあローストポークかな」
人は多いけど回転がいいのかあっという間に私たちの番が来た。
手際の良い看板娘に注文を伝えてお金を渡すと、すぐに二人分のパニーニが直接手渡される。
「美味しそう〜!」
「あれ、食べ物を買うのは初めてじゃないんだ」
「だってウェインに出会う前にサンドウィッチ食べたし、靴磨きもしてもらって帽子も買ったから」
「ぼったくられなかった?」
「ぼったくられるのも騎士の仕事だよ」
「言うじゃん」
少し離れた壁際に移動してはむりとアツアツの生地に噛みつく。屋敷にいたころはこんな大口を開けた食べ方なんてありえなかったし食べるものも全然違ったけど、この格好をしていると殆ど抵抗なく素手で食べ物を摘んだり出来るようになってきた。
歯ごたえのある生地を飲み込んでポークに噛みつく。こんがり焼けた肉からじゅわりと溢れ出した肉汁が熱くて生理的な涙が溢れてくる。
「熱い……!!でも美味しい!」
「やっぱ肉は美味しいね」
「塩漬け……ですかね?でも香草の良い匂いもするような」
「臭みを消すのに色々入れてんだよ」
確かに豚特有の臭みが奥にあるけどあまり気にならない。なるほど、こうやって美味しく食べる工夫をしてるんだ。
「グ……ウェインもこれで良かったの?他にも沢山お店あるけど」
「自分で食べたいと思う店は大抵行ったことあるからいいよ。あんたに合わせたからこの店が美味しいってことも知れたんだし」
その言葉になんだか胸が温かくなって思わず笑みがこぼれる。
「ふふっ」
「何?」
「いや、美味しいね」
街に入ってまだ1時間も経ってないのに、単純な私にはこの瞬間が住んでいた十数年よりも濃い時間であるかのように感じられたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます