第9話

「で、今日の宿だけど。ここでいい?」

「瑠璃鳥屋……構わないよ。僕はあまり宿には詳しくないけど、雰囲気も客層も悪くはないし綺麗にされている宿だね」



 年頃の娘が泊まって万が一のことが起こらないように、という保険も込めて俺が選んだ宿。それは街の中でも割と上等な部類の個人経営の民宿だった。



「すみません、2名で今日から3泊お世話になりたいんですけど」

「それならちょうど二人用の部屋が開いてるよ」

「じゃあそれでお願いします。あとすみません、身体を拭きたいので水を分けていただいても?」

「あいよ」



 そうして案内された部屋は俺が間借りしてた部屋よりも随分清潔な部屋で、ここなら衛生的だろうとホッと息を吐いた。



 最悪盗まれても良い荷物だけを部屋に置いたほうがいい。荷物を置いて貴重品とそうでないものを分けて整理する。

 そういえばティーニャの荷物は随分と少ない。おそらくお金と地図、水筒にナイフと必要最低限のものしか詰めなかったのだろう。



「ティーニャ、服は着替えなくていいの?ここから長旅だし、必要ならこの街で揃えといた方がいいと思うよ」

「確かに……でも平民の男性ってそんなにしょっちゅうお風呂に入ったり洗濯したりしないんじゃ」

「水が豊かなところは風呂も洗濯もしょっちゅうって言うし、そこはティーニャの好きにしたらいいじゃん」



 そう言うとティーニャも本音では清潔な服を着たかったらしく、地図を広げて目的地までに必要な物を考え始めた。



「荷物が多くなるからあんまり沢山は買えないですよね。数日に一回着替えて、綺麗な川があったら洗いたいな」

「灰から取った洗剤でよかったら街にも売ってると思うよ」

「なるほど、あとで買いに行きます」



 服はまぁ勲章持ち以上なら基本的に店で買うことが多いから、この後メンズの服屋にでも連れて行けばいいだろう。あと必要なのはこの先北に向かうにつれて寒さが厳しくなってくるから外套と寝袋と……結構多いな。



「服とか買い始めると時間かかるし、取り敢えず街に出て考えよっか」

「そうですね」



 買い物はできるだけ一日で済ませたい。明日以降は革新派の仲間のところに行って情報を集めたりしたいし、次の出発に向けて身体を休めたい。



 ティーニャも何日も俺のフリをして出歩くのはしんどいだろうし、今日決めてしまおう。






 そんな俺の読みは正解だったらしく、昼前に買い物を始めたはずの俺たちが一通りのものを揃えられたのは日もかなり傾いた夕方のことだった。



「こんなものですかね。丸一日付き合ってもらっちゃってすみません」

「や、俺も色々買い足せたしよかったよ」



 ヨタヨタと重そうな荷物を抱えるティーニャは、けれども満足そうに笑うともう一度荷物を抱えなおした。


 どうみても娘の持てる重さではないけど、外ではティーニャは俺ということになっている。宿までなんとか持ち堪えてもらわないと。



「もうすぐだから頑張れ」

「ぐぬぬ……」



 そうして踏ん張るティーニャの目がふと止まる。その方向に目を向ければ、平民向けのアクセサリーの店が仕事帰りの若い娘で賑わっていた。



「最後に寄る?」

「いえ、大丈夫です……荷物も多いし、なにより男があの中に入るのはちょっと」



 確かに店の中は女性が殆ど、たまに恋人らしき男性の姿もあるけど、大荷物を抱えた男二人が入れるような雰囲気ではない。



「いいんです、旅には必要のないものですし」

「そう?それならいいんだけど」



 名残惜しそうな目を伏せて、ティーニャは宿に向けてまた一歩進み始める。

 もう一度店を見ると、白い外壁のその店は晶繍装飾品店という名前の店らしいことが分かった。



「ふーん……」

「ウェイン、早く!」

「はいはい」



 腕が限界らしいティーニャに呼ばれて後を追う。



「はい、どうぞ」



 宿の扉を開けてやると、ティーニャはその勢いのまま階段を駆け上がって、最後の力を尽くして部屋に倒れ込んだ。余程重かったらしい。まぁ服って何着もあると重いし、洗剤は希釈用だからそんなに大きくはないけど液体だ。



「お疲れさん、ちょっと休憩しな」

「はい……グエンもお疲れ様です」



 荷物を床に置いてベッドに寝転ぶティーニャは疲労感満載のとろんとした目でぼんやりと俺を見てニコリと笑った。



 人好きのする笑顔はどこからどう見ても年頃の娘で、とても騎士には見えない。その笑顔につられてついつい笑い返してしまうけど、これは多分あれだ、子供が成長していくのを微笑ましく思う親心みたいなものだ。



「グエンって、意外と面倒見いいですよね」

「は?初めて言われたんだけど」

「最初は意地悪な人だな〜って思いましたけど色々教えてくれるし、買い物にも付き合ってくれるし、親切ですね」

「それは……」



 そう言われてみると確かに結構彼女の世話をしてやってる気がする。元々俺はそんなに人と関わるのが好きなタイプじゃないけど、もしかすると彼女の言う通りティーニャに下の兄弟の姿を重ねているのかもしれない。



「俺兄弟が多くてさ。次男なんだけど下に5人くらい兄弟がいるから、身体に染み付いてんだろ」

「なるほどぉ。グエンはいいお兄ちゃんだったんですね」



 下心のない純粋な褒め言葉に思わず素で喜んでしまう。

 ダメだ、旅を始めてからどんどん馬鹿になっていく気がする。


 別に俺は単純バカでもお世辞を理解できないやつでもない、なのにベッドに横たわってふくふくと笑うティーニャの一挙一動に素直に反応してしまうのだから俺にも人としての感情は残っていたらしい。



「ティーニャは兄弟とかいないの?」



 国家転覆なんて一大事を目論んでるくせに妙に人間らしい自分の気持ち悪くて、気を紛らわせるためにそんなことを聞くと暫くの無言の後ティーニャが口を開いた。



「私、ちょうど真ん中なんです。兄弟姉妹全員いるので友達からはよく羨ましがられました」

「へぇ、仲良いの?」

「普通ですよ。兄とは殆ど喋りませんし、姉はもう社交とかで忙しいのでたまにしか会えません。妹はまだ幼くて母と一緒に母の実家に残ってますし」

「じゃあ弟が一番関わり多かったんだ」

「はい。でも弟も最近は家を空けることが多かったので正直……寂しかったですね」



 旅に出るまで家族と殆ど会えなかった彼女と、戦争に出てから家族に会うことを避けた俺。きっかけも理由も何もかも違うけど、その根底にある感情はなんとなく分かる気がした。



 家族への遠慮、迷惑をかけたくないという気持ちと自分を見てほしいという幼い感情。誰にでもある感情なのにそれを言い合える相手がいなかったティーニャが、俺にはその気持ちを打ち明けてくれたという事実が嬉しかった。




「俺も親に迷惑かけたくなくて士官学校に通って王立軍に入ったんだよ。士官学校って給料出るし、手に職もつけられるから。んで成人するなり戦地に行かされたんだけど……軍を辞めたなんて心配かけるから言えないじゃん?」

「辞めてから一度も帰らなかったんですか?」

「うん、あと言わなくても帰ったら結婚しろとか言われそうだし」

「確かに、私達そういう年頃ですもんね」




 ティーニャは貴族だから結婚も早いのだろう。もしかするとこの旅が成人の儀式みたいなもので、これを済ませればさっさと親の決めた相手と結婚させられるのかもしれない。


 貴族は大変だな、やっぱりティーニャと俺では住んでいる世界が違う。



「それに俺モテるからね、結婚ならいつでもできるし」

「かっこいいですもんね」

「……まぁね」



 喜ぶな、お世辞だ、いつもの俺の軽口に軽口で返しただけ。自分で言った軽口にノられていちいち挙動不審になるなんて馬鹿じゃん。



 なんとかいつもの自分を保っていたくて、無意識に口を開く。




「ティーニャも可愛い方だよね」



 軽口に軽口で返しただけ。これでおあいこだ。

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