第7話

「彼女は違うかい?」

「う〜ん、違うな」

「そうか……見つかるといいな、あんたの妹」



 川辺にいたおばさんの夫であるおじさんは気の毒そうに俺を見て、慰めるように肩を叩いてきた。


 一通り民家や畑を見せてもらったけど、この村に乙女はいなかった。もとよりそんなにすぐに見つかるとは思っていなかったし、そんなに落胆はしていなかった。



「まあでも村の若い子のあんな嬉しそうな顔久々に見たよ。もう一人の美少年も来たらもっと盛り上がったんだろうけど」

「俺だけじゃ力不足だって?」

「ははは!悪い悪い、お!そろそろ魚も焼けたんじゃないのか?」




 おばさんとティーニャの待つ川の近くに戻ると、すっかり顔色の良くなった彼女がこちらに気づいた。



「早かったね」

「うん、一通り確認は済んだから」

「妹さんの捜索……だったっけ。早く見つかるといいね」



 川にいたときは冷え切って青くなっていた唇はふっくらと血色が戻っている。よかった、と思う俺は少しではあるものの彼女に親しみを抱いているんだろう。


 正直声をかけた時は貴族の我儘傲慢娘を覚悟していたけど、話してみれはただの娘。そんな彼女が川辺で初めて触れる自然に感動した姿を見れば、自分の中に無意識にあった現体制……貴族と彼女を結びつけるような思考は自然と消え失せてしまった。



「ま、時間をかけてゆっくり探すよ。そんなに危ないところへは行かないだろうし」



 歩いている間にすっかり乾いた服を叩いて彼女の向かいに腰を下ろす。よく火が通った魚を串ごと手に取れば、空腹を刺激する香ばしい匂いに思わず涎が出てきた。



「わぁ……脂がのってて美味しいです」

「気に入ってくれて嬉しいよ。川魚ってどうしても海の魚に比べると臭みがあるから苦手な人も多いんだけど、うちの村で捕れるのは美味しいんだよ」



 柔らかい身の部分に皮ごと齧りついてガツガツと咀嚼していく。おばさんの言う通りここの魚は確かに臭みがなくて美味しい。


 空腹も相まったせいで俺はものの数分で串焼きを平らげてしまった。



「美味しかったよ。この村に寄ってよかった」

「そうかい!」



 ティーニャも腹が空いていたのか思ったよりも早く食べ終えて、満足そうに口を拭いている。



「ウェイン。さっきお姉さんに提案してもらったんだけど、ご夫婦のお家の料理を手伝ったらその一部を分けてもらえるそうなんだ。手伝ってもいいかな」

「勿論。そしたら今日の食事の心配はしなくて済むし」

「決まったみたいだね。じゃあ早速で悪いけど、うちの台所に来てもらうよ」



 人のいい笑顔のおばさんの一声で立ち上がって夫婦の後をついて歩く。



「騎士様にお見せできるような立派な家じゃないんだけどね」

「狭いし古い家だが、綺麗に使っておいて良かったな!」

「まったくだよ!あはは!」



 決して裕福な暮らし向きではないのだろうけど、明るく賑やかな二人の笑顔は幸せに溢れている。良い夫婦だと思いながら二人を見つめると、ティーニャも同じことを思っていたのか微笑ましそうに頬を緩めていた。


 そうして歩くこと数分。辿り着いたのは煉瓦造りの質素な家だった。





「はい、休む暇はないよ!それを塩漬けにしたらまた新しいのを捌く!」

「はい!」

「ウェイン君!そのビスケットが焼けたらこっちのも焼いてくれ」

「分かったよ」



 土間の台所であくせくと働く俺達、どうやら手伝ってもらうというのは本気の手伝いだったらしい。

 魚を捌いて塩漬けや燻製にしていくのを手伝うティーニャを横目に、俺はひたすらに生地を混ぜて熱いオーブンにビスケットを入れていく。



「騎士様、その小魚は唐揚げにして酢漬けにするから漬けちゃ駄目!」

「はい!」

「ウェイン君!焦げちまうよ!」

「マジか」




 そうして出来上がったのが、保存食の山だった。



「こんな量、一日で作るものなんですか?」

「まだまだ寒さなんて感じないけど、こうやってちょっとずつ冬に備えておくのさ」

「腐りそうだったら食べりゃいいからな」



 はいお駄賃、と渡されたのは布に包まれたビスケット。そして水瓶から水筒にいくらかの水を分けてもらった。


 作るのは大変だったけどかなり有難い。これで空腹に耐えなくてもいい。素直な感謝の言葉が自然と口から出た。



「ありがとうございます、おばさん」

「おばさんは余計だよ」

「奥さん、ご主人、本当にありがとうございます」

「いいんだよ、こっちも助けてもらったから!」



 二人に何度も礼を言って家を出る。



 見送ってくれる二人に手を振りながら別れを告げると、二人は大きく手を振ってそれに応えてくれた。



「良い人たちですね。有難いです」

「本当にね、これちょっと御者にも分けてやろうか。どうせ寝るので精一杯で飯なんて食べてないから」

「それがいいと思います」



 二人が見えなくなったところで振り返るのをやめると、丁度昼寝をしている御者と俺達の馬車が見えた。


 まだ太陽も真上に昇っていないけど、5時間くらいは眠れただろう。あと数時間走れば交代できるからなんとか頑張ってほしい。


 ぐうすかと気持ちよさそうに眠る御者を起こしてビスケットを握らせる。仕方ないなと言いたげに溜息をついた御者の男は、よっこいせと身体を起こして出発の準備を始めた。




「にしても、あんた本当に貴族?普通川魚素手で掴みたいとか言わないでしょ」

「し、仕方ないじゃないですか。屋敷からほとんど出たことがなくて本でしか見れなかったものが目の前にあるんですよ!」



 座席に向かい合って腰掛けると、またティーニャが無理に澄まそうとするからデコピンでパチンと小さな額を弾いてやった。



「いたぁ……!!」

「楽しいなら無理に取り繕わなくていいって。こんな機会次いつあるか分かんねぇんだし、素直に楽しい〜とか初めて見た〜とか言えば良いんだよ」



 不服そうに額を擦ったティーニャだっだけど、うろうろと視線を彷徨わせると小さく口を開いた。



「……楽しかったです。綺麗な景色は勿論ですけど、川に浸かったり石を投げたり魚を捕ったり全部全部初めてで、ワクワクしました」

「それはよかった」



 本来は素直なタチなのか、恥ずかしそうに頬を染めたティーニャはその言葉を皮切りに村の景色やおばさん達の家、魚の味まで沢山の感想を言い始めた。



「南方の村でよくある刺繍だと思うんですけど、本当にあるんだって思ったらついつい見ちゃって」

「そんなのあった?」

「ご夫婦の着てらした上衣の背中側の首元ですよ!悪いことから身を守るおまじないだそうです」



 そうこうしている間に御者から声がかかって馬車がゆっくりと動き始める。ここから都までは一日、明日の朝には向こうについているだろう。


 ふくふくとした頬を紅潮させて嬉しそうに話をするティーニャ。正直その内容は殆どが俺からしたら当たり前のことだったけど、澄ました態度で感情を隠されるよりかはよっぽど気安く感じられて好感が持てた。


 まぁよくよく見ればチビっ子じゃなくて年頃の娘だし、気も割と合うし……



「……ん?」



 好感?いやいやまさか、そんなはずはない。



「あれ、私今何か変なこと言いました?」

「あ〜〜いや、気のせいだったわ」



 小首を傾げるその仕草を悪くないと思う自分に驚きながらも、この旅の目的は乙女の暗殺だと気を引き締める。



「あの石投げるやつなんですけど」

「水切りって言うんだよアレ」

「水切り……」



 些細なことにも興味を示す彼女に抱いてるのは人としての好感だ。誰だって勉強熱心な人間は好きだし、素直で好奇心旺盛な人間は男女問わず好かれるだろう。


 そう、これは友人としての気持ちであってそういう感情じゃない。そもそも俺はそんな単純な男じゃないし、もっと全体的にデカい女が好みなんだ。見たことはないけどグレース侯女みたいな。



「また今度川を見つけたらやりましょうね、水切り!」



 だから、その言葉に少し喜んでしまったのは多分気のせいだ。

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