第6話

「温室育ちのティーニャに魚の捕まえ方を伝授してあげる。まずは手の温度を……」


「手の温度を下げて川の温度に近づける。魚は追うと逃げるから追いかけずに静かに待って、岩場とかに隠れている魚のエラの少し後ろと尾鰭の付け根を捕まえる」

「よ、よく知ってるじゃん……」

「知識だけです」



 気を取り直して流れの穏やかな浅瀬に降りる。

 まぁ実践の経験は俺の方があるからね、と胸を張るグエンの横に屈んだ私は、初めて見る自然の川の流れに目を奪われた。



「綺麗ですね……街の川と全然違う」

「ん?まぁアレは実質下水だから。でもあれだよ、生で飲んだらダメだからね」

「分かってます!」



 臭いを放つ濁った街中の大きな川と違い、ここの水はとても澄んでいてキラキラと太陽の光を反射している。


 ずっと屋敷の中にいたら一生見ることがなかったであろう清流の美しさ。

 川底まで見通せる透明感につられて手を伸ばすと、思ったよりもずっと冷たいそれに思わず声が出てしまった。



「冷たい!冷たいですねグエン!」



 冬の都だって大概水は冷えているはずなのに、川の水の冷たさはどこか違う。爽やかで心地の良い、それと同時に着実に体温を奪っていく冷たい厳しさ。



 パシャパシャと水を掬っては戻してを繰り返して水遊びをしていると、不意に視線を感じた。



「な、なんですか」

「ふふっ、いや……楽しいんだろうなって思ったら……プッ」



 微笑ましそうにニヤニヤと頬を緩めるグエンに、自分が随分と子供っぽい行動をしていたことに漸く気づいた。


 は、恥ずかしい!下手に揶揄われるよりも微笑ましそうにされる方が恥ずかしいかもしれない。知ったかぶりをして澄ました顔なんてしなければよかった。



「……お見苦しいところをお見せしました」

「いやいや、良いと思うよ素直なのは……ふふっ」

「笑ってるじゃないですか!もう!」



 真っ赤になってしまった顔を見られまいと顔を背けると、ちょいちょいと背中を叩かれる。

 思えば触れられるのは初めてだなと思いながら少しドキドキして振り向くと、グエンがドヤ顔で平らな石を持っていた。



「石……?それが何かあるんですか?」

「社会勉強中の貴族様に、平民の子供の遊びを見せたげるよ」



 立ち上がって中腰になった彼を見上げて何をするんだろうかと首を傾げる。それで魚でも捌けるのだろうか、でも子供の遊びって言ってたし。



「こうやって持って……ほら、見ててよ」



 そうして半歩を踏み出したグエンの手から、さっきの石が勢いよく飛び出た。

 普通ならぽしゃんとそのまま沈みそうな石は生き物みたいに跳ねて水面から飛び上がり、また水面に当たると跳ねて遠くの方まで波紋を広げて走り抜けていく。



「わぁ……!!すごい!!」

「ふふん、でしょ?」

「どうやったんですか?!私にもできますか?」

「慣れたら誰にでもできるよ」



 グエンが持っていたような平らな石を探して川底から一枚手に取る。さっきの姿勢を真似して腰を屈めて水面を睨むと、横からグエンがアドバイスをしてくれた。



「出来るだけ低い位置から投げて横回転させるように意識してみな」

「えい!」



 ぽしゃん


 呆気なく石は川底に落ちた。


 意外と難しい。投げる角度が良くなかったのかな。



「腕だけじゃなくて身体ごと捻ったほうがいいかも」

「身体ごと……それっ!」



 ぽちょん


 またダメだった。何が悪いんだろう。勢いが少ないのかな?それともやっぱり入水角度?回転が少ないって可能性もある。


 もう一度川辺から平らな石を拾って、今度は膝をついて思い切り身体ごと腕を振るう。いけ!



「おお!やるじゃん!」



 つぅ……と波紋が二つ広がって石が少し遠くに沈む。


 一回だけだけど跳ねた!ただ石が跳ねただけのことなのにそれが妙に嬉しくて両手を上げて喜んでいると、またグエンが微笑ましそうに私を見下ろしていた。


 しまった、また興奮してしまった。



「あ、えっと、教えてくれてありがとうございます」

「いや今更真面目ぶっても無駄だし。別に人前で俺のフリをしてくれたら良いだけで、無理して取り繕う必要なんて無いじゃん」

「それはそうなんですけど……」



 言われてみれば別に彼は私の正体なんて知らないんだし、本音を隠す必要なんてないのかもしれない。でもなぜか自分の感情を他人に見せるのは気が引けてしまって口をもごもごと動かしていると、一足先に川の中に入ったグエンが手招きをして私を呼んだ。



「入ってみな、寒いくらい冷たいよ」



 そういえば魚を捕りにここに来たんだった。水に濡れていた手はいつの間にか気化熱の影響でひんやりと冷えているし、もうそろそろ入っても構わないだろう。



「おぉ……すごい、気持ちいいです!」

「あんまり長居したら冷えるから早く済ませよう。コツは知ってるみたいだからあとは試行錯誤してやってみな」



 そう言って対岸の辺りに向かったグエンを見送って私もじっと川面を見つめる。入ってすぐは気持ちいいと思ったけど、確かにこのまま時間が経てば体温を奪われて風邪を引いてしまうだろう。


 早く捕まえた方がいいことに変わりはないけど焦りは禁物。相手にとって捕まることは即ち死、功を焦ると逃げられて空腹のまま一日を過ごすことになってしまう。



 そうして静かに目を凝らすこと、数分。




「……!!」



 いた。黒い斑点に赤っぽい縞模様、多分虹鱒だろうか。

 息を押し殺して波を立てないようにゆっくり腰を曲げる。そっと水中で手を動かして逃げ場のない虹鱒に狙いを定める。落ち着け……このままならいける、いける……



 指先が鱗に触れた瞬間、暴れようとする魚をぐっと押さえ込む。



「!!捕まえました!!」

「俺も〜〜」



 少し小ぶりだけどずっしりとした魚を落とさないように押さえつけながら岸に戻る。振り返るとグエンも同じ虹鱒を捕まえたらしく、借りた桶に2匹の魚を入れて持ち上げる。



「運んであげようか?」

「いえ、やらせてください。私、自分の食べ物を自分で捕まえたの初めてなんです。食べるまで自分でやってみたくて」

「よかったじゃん、楽しい?」

「はい!」



 ちゃぽちゃぽと揺れる桶が溢れないように気をつけて歩き始める。


 水が入っているせいでずっしりと思い桶をゆらゆらと揺らしながら女性のいる開けた場所に戻ると、女性はすぐに私たちを見つけるとホッとしたように目尻を下げた。



「ああ、捕まえられたみたいでよかった!もし捕れなかったらどうしようかと思って、うちからパン持って来たところだよ」

「そんな、いただけないです!」

「いいのいいの、どうせ早く食べちゃわないとだから少しくらい持ってって!」



 それから親切な女性に教えてもらいながら魚の処理の仕方を教えてもらって、内臓を取り除いた魚に塩を揉み込む。

 魚の口から串を突き刺して、一度腹を突き破って波打つようにもう一度魚に串を入れると、さっき火の周りに立てかけてあった魚と同じようなものが出来上がった。



「これでしばらく焼くんだ。時間がかかるからよかったら村の中でも見て回るかい?」

「あ、ウェインはこの村に用があったんじゃ……」

「うん、じゃあお言葉に甘えて少し村を見せてもらっても?」

「勿論!あんたみたいな男前が来たら村の子も大喜びだよ!」

「僕はここで少し休んでるから行ってきなよ」

「ありがと」



 たグエンは女性の旦那さんらしき男性に連れられて村に向かう。


 私はどさりと地べたに腰を下ろして冷えた身体を焚き火で温める。

 ふぅ、少しゆっくりしよう。川の水は思ったより冷たいし、集中していたから分からなかったけど意外と色んなところが濡れている。



「騎士様は行かないのかい?」

「あ、はい。僕はもう少しお姉さんと話がしたくて」

「あら!都会の男性は上手だねぇ!」



 パチパチと飛び散る火の粉を見ながら息を吐く。



「あの、パンは本当に結構ですよ。お返しできるものもありませんし」

「あらそう?でも今日のこのあとの食事はどうするんだい?」

「それは……」

「だろう?そうだ、あんた達二人に家族の分の料理を拵える手伝いをしてもらってもいいかい?それのお駄賃ってことでどう?」



 私が気を遣わないようにそんなことを言ってくれる女性の親切をこれ以上断るのも忍びない。それに、もしグエンがこう言われたらきっと断らないだろう。



「いいんですか?ありがとうございます」

「まぁ一先ずは体を温めることだね。その頃には男前も戻ってくるだろうし、準備はそれからだよ」

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