『天才』と呼ばれるのが嫌い

御厨カイト

『天才』と呼ばれるのが嫌い


「私って『天才』と呼ばれるのが嫌いなんだよね」



 ペンを走らせる音とキーボードを叩く音が入り交じるこの室内。

 そんな中で僕の向かい側に座り、原稿用紙とにらめっこしていた先輩がショートカットの黒髪を耳にかけながらいきなりそう口を開いた。



「……急にどうしたんですか、弱冠18歳で作家デビューを決めた天才小説家の朝日南あさひな先輩」


「……ホント、変な所ですぐ頭が回るな君は。私のような女の子にモテないぞ?」


「別に女子にも先輩にもモテるために生きてる訳じゃないんで」



 パソコンのモニターに目を向けながら、そんな脈絡のないやり取りをする僕らがいるのは北側にある少し日当たりの悪い部屋。

 元々何かの準備室だった部屋で、僕ら文芸部は活動している。

 僕と先輩、たった2人だけの空間。



 案外、悪くない。



 あしらうようにいつものノリで答える僕だったが、先輩の方は意外と真剣だったようでぷくっと頬を膨らませていた。

 それを見て「面倒臭いな」と思った気持ちを出来るだけ隠して仕方なく続ける。



「それで、どうして天才小説家の先輩は『天才』って呼ばれるのが嫌いなんですか?」


「……おい、いい加減にしないとそろそろ怒るぞ。温厚な人ほど怒ると怖いんだからな」



 今度はキッと鋭い目つきでこちらを睨んでくる先輩に対して、軽く笑みを浮かべながら俺は降参を表すように両手を上に挙げる。



「先輩が温厚かどうかは置いといて、怒ると凄く面倒くさいので止めておきます」


「うむ、賢明な判断だね。それじゃ、さっそく本題に答えていく……前に少し後輩君、君に一つ質問しよう」


「……なんでしょう?」


「君は『天才』というのは一体どのような人の事を指す言葉だと思う?」


「うーん、そうですね……類稀な才能を持ち、その才能を活かして活躍している人、でしょうか」



 脳内にある知識を使ってそう表現すると、先輩は納得したように顎に手を当てて「ふむふむ」と軽く頷く。



「まぁ、一般的なイメージとしてそんな感じだろう。だが、私は少々違う考えを持っている。『天才』というのは『神が羨むほどの才能を持っている人』の事を指す言葉だ」


「神が……羨むほど……?」


「そうだ。あぁ、一応今から話すことは私の個人的な価値観であり考え方、所謂持論であると言っておこう」


「な、なるほど」


「まず、なぜ私がそう考えたかを説明しよう。先程も君が言った通り一般的に言う『天才』とは『凡人が努力しても届かない領域にいる人間』の事を指す事が多いと思う。しかしそれは果たして本当に正しいと言えるだろうか? そもそも『天才』という言葉は神の事を指す『天』と才能のことを指す『才』で構成されている。つまり、『天才』という言葉にそれをそのまま当てはめると『才能を持つ者』、『神に愛された存在』という事になるのだが……ここまでは分かるかい?」


「えぇ、大丈夫です」


「よろしい。では次に考えていこう。もし仮に君が『天才』と呼ばれる程の創作能力を持っていたとする。その時、君は自分が『天才』だと自覚する事が出来るか?」


「……」



 僕は言葉に詰まる。

 先輩が何を言いたいのかはなんとなく分かったけど、それが自分に当て嵌めるとなると話が変わってくるのだ。

 自分の事を客観的に見る事は難しいし、何より自分はそういうタイプではない。

 だけど、先輩はそんな僕の反応を見越していたかのように小さく微笑んで言葉を継いだ。



「そこで黙ってしまう時点で君の思考回路はだいたい理解出来る。普通なら自分の事を『天才』と言うはずだろうが、生憎と私はそこまで自惚れてはいない。だからあえて私は『自分は『天才』ではない』と答えよう。その理由は至極単純で『自分より面白い話を書ける人を知っている』からだ。それも一人や二人どころの話じゃない。少なくとも百人は確実にいると断言できるほどの優秀な人間がこの界隈に飛び込むと身近にいたんだよ」


「それが……さっき言っていた『神が羨むほどの才能を持っている人』ってことですか?」


「正解。やはり君は話が早くて助かるよ。でも、まぁ、『神に愛されている』なんて表現は大袈裟すぎるかもしれないが、私は断言出来るよ。彼ら彼女らこそが本物の『天才』なのだとね」」


「……うーむ、なるほど……という事は先輩がこの『天才』という言葉が嫌いなのは人よりも重い意味をこの言葉に持っているから、という事ですか?」



 先輩の意見について僕が感じたことをパッと言うと、先輩は満足げにニッと微笑む。

 どうやら正解だったようだ。良かった。



「おぉ、流石だね。その通りだよ。文学賞で受賞したことにより18歳という若さで作家デビューを果たした私。そんな私の事を年齢だけを見たメディアはこう書く訳さ、『若き天才』と」


「確かに、しょっちゅうテレビとかネットニュースの見出しでそういう風に紹介されてましたもんね、先輩って」


「そう。『宣伝だから受けとけ』と出版社から言われたから受けてたが……ホントはそういう取材とかも嫌だった。だって、私はう所の『神が羨むほどの才能』を持っていないのだから」



 何だかそのまま壊れてしまうのではないかと思うぐらいの危うさを孕んだ目でそう言う先輩。

 静かな口調のはずなのにひしひしと感じる迫力で僕は思わず口を噤んでしまう。

 目の前に流れてきた前髪をサッと払うように耳に掛けた彼女は話を続けた。



「……この5年間ひたすら書き続け、落ち続けていたのに今回偶然賞を取ってしまった私が『天才』な訳が無い。……これを言うと『賞を辞退すれば良かったのに』と思うかもしれないがやっぱり夢には勝てなかったんだ」



 この話を始めた時のテンションとは打って変わって、先輩は目を伏せながら話……というよりかは自分の奥底に埋まっていたであろう想いを吐露する。

 きっと先輩の事だ。今まで誰にもこんな事、言うことは出来なかったのだろう。

 ……この人、変な所でプライド高いからな。


 そんな風に思いつつ、僕は口を開く。僕が今言えることはただ一つ。

 先輩が吐き出したことについて寄り添い、肯定することだけだ。だから、それを口に出す。

 これこそが僕の役目。彼女が僕を必要としてくれる限り―――いや、必要とされなくても、彼女の力になる。



「先輩……先輩は罪悪感があったんですね。才能が無く、ただ努力してきただけの自分が『天才』と呼ばれることに」


「……そうだな、全くその通りだ。『天才』という言葉は私に荷が重すぎるのだよ。まぁ、あともう一つ、嫌いな理由があるんだ」


「もう一つ?」


「この『天才』という言葉って結構人を褒める時とかに使われることが多い言葉だ。本来の意味としては『人の努力では至らないレベルの才能を秘めた人物』を指す言葉であるから、そもそも軽く使うべきではない言葉でもある」



 一息入れるように言い終えたところで先輩は原稿用紙の上に置いていたシャーペンを手に取ると、くるくると回し始める。

 そして、どこか哀愁漂う雰囲気を感じさせるような少し悲しげな表情を浮かべながら再び口を開いた。



「私もよく言われるが、個人的には今までの努力というのがその『天才』というたった一言で済まされてしまっている感じがするんだ」



 静かにそう呟く先輩の声色は微かに震えている。おそらく、僕が知らないだけでこれまで色々あったのだろう。

 僕も小説を書いている身だから、この気持ちは痛いほどよく分かる。

 自分に才能が無いと分かった時の絶望感。

 そして、それを乗り越える為にやってきた努力が今度は全て『天才』という言葉で片付けられてしまう。


 これがいかに残酷なことだろうか。


 先輩はそれに耐えられなかったのだ。

 だからこそ、『天才』という言葉を嫌っている。……だけど、それでもやはりこの人は天才なのだ。

 僕なんかよりもずっと才能に恵まれていて、その才能を遺憾なく発揮している。

 それ故、僕はいつか近い内にその才能が彼女自身を苦しめる日が来るのではないかという危機感を僅かに抱いた。



 僕が黙り込んでいると先輩はこちらをチラッと見た後に小さく溜め息をつき、さらに呆れたように笑った。

 まるでそれは何かを諦めたかのような、そんな軽い笑顔だった。

 そして、彼女はとうとうこの会話に終止符を打つためにいつも言う言葉で話を結ぶ。



「だから、私は自分が『天才』と呼ばれるのが嫌いなのだよ。私は天才などではなく『ただ人よりも努力した凡人』なのだから」


「『人よりも努力した凡人』……いつも通り長いですね」


「はははっ!そっちのほうが的を射ているからな!」



 途中までの表情と打って変わって、まるで自分の心に巣食う闇を吹き飛ばすような勢いのある声で元気に笑う先輩。






 久しぶりに脳裏に浮かんできた。

 あぁ、懐かしい。



 急に立ち上がりながら両手を腰に当て、壁のような胸を反らしながらいつも通り笑い声を上げる彼女の事を見てあの時は安堵したものだ。

 丁度、後ろの窓には夕日が映っており色々と眩しかったのを覚えている。


「……おっと」


 思い出に浸っていると、手の上でクルクルと回していたシャーペンが床にコロンと落ちた。

 僕はそれを拾い上げ、原稿用紙だらけの机の上に置きながら立ち上がる。

 ……執筆がアナログになったのも確か先輩の影響だったっけな。




 そんな先輩と『天才』という言葉について話した日から、早数年。




 結局、彼女はあの話をしてから2年後に自ら命を絶った。




 単純に仕事が辛かったのか。

 それとも、ずっと呼ばれていた『天才』という言葉に押しつぶされてしまったのか。

 ……『天才』という言葉から解放されたかったのか。

 今となってはもう知りようがない。



 そんな中でニュースは彼女の死をこう報じた。


「若き『天才』の死」と。


 彼女はこの先もきっと『天才』として人の記憶に残り、そして忘れ去られていくのかもしれない。



 だけど、僕だけはずっと覚えておきたいと思う。




『天才』の名前を嫌った『ただ人よりも努力した凡人』の事を。








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『天才』と呼ばれるのが嫌い 御厨カイト @mikuriya777

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