第9話「先は果てしなく」

「……無限に続く草原地獄」


 砂漠よりはマシかもしれないけど。


 長い長い森を抜けてから、モンスターと幾度かの戦闘を繰り返しつつ、視界のひたすら向こうまで広がる草原を歩き続けている。


 普通だったら、確実に行き倒れてる。


 身体の疲れを感じないのも、喉が渇いたりしないのも、ゲームだからこそ。


 とはいえ、精神的な疲労は変わることはない。


 身体は疲れていないのにヘトヘトに感じるのは、まさにそれが理由だろう。


「もうちょっと歩けば小さな川に出るから、そこで休憩しよう」


「もうちょっとって、どれくらい?」


「んー、あと五キロくらい?」


「あと五キロも……」


「ほら、頑張ろうっ!」


 ……エンの元気さはどこから来ているんだろう。

 でもこのくらいの歳の子って、確かに体力が無限かと思えるくらいはしゃぎ回って、家に帰ったら急にパタンキューとなるのが定石。


 きっと、この子もそういう感じなんだろうな。


「はぁ、頑張ろう」


 いつまでもくよくよしていたって、仕方ない。

 小さなため息を吐いて、意識を切り替える。



     *



 やがてエンの言っていた小川が見えてくる。


 さっきの森の中にある神秘の場所みたいな感じではないけれど、川辺特有の涼しい風が吹いて気持ちいい。


 手頃な場所を見つけて、ゆっくりと腰掛ける。


「ここまで、どれくらい歩いた?」


「大体二十五キロくらいかな?」


「森までが約五キロ、森自体が約十キロ、森を抜けてからここまで約十キロだから、残りは十五キロ……」


 半分を超えているというのは吉報。

 とはいえ問題は、その残り十五キロも無限草原地獄だということ。


「でもお姉さん、もう戦い方はお手のものだね。二、三匹のモンスターを同時に相手にしても、平気だし」


「うん、そうだね……」


「どうかしたの?」


「ううん……」


 気が重いのは、この草原地獄だけではない。


 剣を抜ける様になる、その目的に一歩も近づけていないことが最大の問題。


「……解決の糸口も、全く見えない」


 自戒の言葉は、この現状に満足しないためのもの。

 まだ私は、何一つ目的を遂げていないのだから。


「はぁ……」


 先が思いやられる。


 そんな悲壮なため息をぶった切るような、大きな腹の虫が鳴り響く。


「お腹空いた〜」


「そっか、もうお昼過ぎてるんだ……」


 東から登った太陽が南中を越えて、少し西に傾いている。

 時刻を見ても、お昼にはいい時間。


 そろそろおばあちゃんがお昼ごはんを用意してるだろうな。


 そんな時に突然ピコンッと、目の前にメッセージが現れる。


「『お昼だよ。お父さんより』。……へ?」


 なんでゲーム世界に、お父さんからメッセージが送られてくるの?


 真相は不明だけど、流石に戻った方が良さそうだ。


「ごめん、エン。ちょっとログアウトしてもいい?」


「えぇ〜! お昼はどうするの!」


「エンだけ先に食べてていいよ」


「お姉さんと一緒に食べたかったのに……」


「ごめんね、すぐに戻ってくるから」


「うん……」


 渋々ではあるけど、理解はしてくれたみたいだ。


「それじゃあ……」


 ジェスチャーでメニュー画面を出して、ログアウトボタンを押そうとして。


「……そういえば、ここでログアウトしたらどうなるんだろう?」


 ふと、気になった。

 今まではエンの助言に従って、全て街の中というセーフティーゾーンでログアウトしてきた。


 でもここにはそんなものはない。


「そういう時は身体だけここに残るんだよ。普段は身体ごと消えるけど」


「身体が残る? その場合、どうなるの?」


「モンスターに襲われる」


「ぇ……」


「前にポツンと草原の中で動かない人がいて、モンスターに食べられてたのを見たことあるよ」


「…………」


 そんなことを聞いたら、ログアウトし辛くなる。


「大丈夫大丈夫。今はボクがいるからね。ボクがお姉さんのことを守ってあげるよ」


「う、うん……お願い。早めに戻ってくるようにするから」


 エンの強さなら問題ないとは思うけど、それでもさっきのウサギみたいに数で攻めてこられたらどうしようもない。


「それじゃあ……ちょっと行ってくるね」


「いってらっしゃい〜」


 不安を完全には拭い去れないけど、エンを信じてログアウトする。



     *



 ゲームからログアウトした途端に、スマホに着信が入る。

 相手はもちろんお父さん。


「もしもし、お父さん?」


「桃華かい? SLOからはログアウトしたみたいだね」


「やっぱりお父さんだったんだ。さっきのメッセージ」


 いきなりだったから、正直混乱した。


「ディサイファーのセットアップの時に、いくつかのアカウントと連携しておいたんだ。許可した人となら、ゲーム外からでもやりとりできるようにね。予め僕とお母さんのアカウントを許可しておいたんだよ」


「そんな機能があるんだ……」


「元々は未成年のディサイファー長時間使用を抑制したり、防犯目的の機能だけどね」


「ふーん……。でもどうしてお父さんが?」


「連絡が来たんだよ。桃華が呼んでもやってこないって」


 意外だ、おじいちゃんがお父さんに連絡を取るなんて。

 お父さんがこの家を出てから、連絡なんて取り合っていないと思ってた。


「で、ゲームの方はどうなんだい?」


「今それを聞く? 私早く行きたいんだけど」


「少しくらいなら大丈夫だよ。今はなにをしてるんだい?」


「……今は二つ目の街に向かってる最中ってことくらい? ……っていうか、四十キロってなに、四十キロって」


「世界観としては正しいだろう? それくらいの距離なら歩ける距離だし」


「一日がかりじゃないと移動できない距離っておかしいでしょ! 江戸時代の宿場町だって、こんな離れた距離じゃないよ!」


「それもSLOの試練の一つだから。それに、休憩できる場所だって設けてるしね」


「…………」


 あのゲームは、何でもかんでも難易度が高いで誤魔化してる気がする……。


「あ、そうだ。お母さんに伝えておいて。本一冊読み終わったって」


「感想は?」


「うわぁっ⁉」


 いきなり電話口の声がお母さんになって、驚いた。


「そんなに驚かなくてもいいでしょう」


「いきなり声を出されたら驚きもするって!」


「それで、感想は?」


「……読んだのは、恋愛小説だけど。正直よく分からなかったかな。何が面白いのか、私にはさっぱり」


「あなたね……」


 心底呆れたという声が聞こえる。


「高校生なんだし、少しはおしゃれとか、そういったことに気を遣いなさい?」


「そりゃ、多少の肌ケアとか髪の手入れとかはしてるけど……」


 必要最低限のことはしているつもりだ。


「でも、カッコいいからどうだとか、私は共感できないし」


 クラスの女の子が話してる話題でもよく持ち上がる、誰々がイケメンだとか、芸能人がカッコいいとか。

 だからその人とお近づきになりたいとか、なにかありたいとか。


 そんなことにはちっとも共感できない。


 戦いの場で、人の外見だけでその人の全てを判断すれば命取りになる。


 その内に秘めたものを感じ取れて、初めて剣士としての一歩を歩むことができる。


 逆に言えば、その人の内面まで見てしまうからこそ、そういう色恋沙汰にピンとこないのかもしれない。


「桃華、あのね……」


「その話はまた今度。もう行くね。流石に怒られちゃうから」


 長話になりそうな雰囲気を、通話ごと断ち切る。


「早く行かなくちゃ」


 目指すはおじいちゃんとおばあちゃんの居る、お茶の間。


「来ましたね、桃華さん」


「ごめんなさい、遅くなってしまい」


「いいえ、大丈夫ですよ」


「ありがとうございます。いただきます」


 そうして、座卓の上に用意されたお昼ごはんを食べ始める。


「桃華、真之がお前に渡したものをしていたのか?」


「え……は、はい」


「そんな緊張しなくてもよい。咎めるような事はしないから安心していい」


「はい……」


「して、どうなのだ? 真之が送ってきたものは」


「正直、剣を取り戻すための糸口はまだ……。……ですが、少し学びを得ました」


 この数日、あのゲームでモンスターと戦い続けていて気がついた。


 モンスターたちはこちらの隙を確実に突いてくる。ならばあえて隙を作り出して、敵の攻撃を待って、反撃を加えればいい。


 その構図は、あの日私が大敗した戦いと同じ。


 攻撃を主とする私は、あの日も自分から打ち込んでいった。けれども私の攻撃は全て受け流され、逆撃を被った。


 つまり私の攻撃は読み解かれ、その虚を突かれて敗北した。


「それに、あのゲームでやるべきことを見つけたので」


「……ほう」


 おじいちゃんが目を光らせる。


「桃華がそんな言葉を口にするとは、思わなかったな」


「えっ、と……」


「別に反対などはしない。だが、やると決めたのなら必ず最後までやり抜くのだ。よいな?」


「はい、分かりました」 



     *



「あっ、おかえり〜」


 ゲームに戻ると、エンは近くの小川で水浴びしていた。


「…………」


 一応私の身体は無事みたいだけども。

 真剣に私の身体を守る気があったのだろうか。


「お姉さんも泳ごうよー。気持ちいいよー」


「泳がない」


 水遊びを楽しむような歳でもないし、なによりも着替えを持ってない。

 ずぶ濡れのまま、あと十五キロも歩きたくはない。


「それっ!」


「きゃっ⁉」


 水中から飛び出てきたエンに、思い切り水をかけられる。


「……やったわね、エン」


 全身ずぶ濡れ、髪から水が滴り落ちる。


「気持ちいいでしょ?」


「やっていいのは、やられる覚悟のある人だけだからね……?」 


 ここまでされて、黙っていられるはずがない。

 やられたらやり返す、倍返し。情け容赦は一切無用。


「覚悟しなさいっ!」


 川に足をつけて、手で思い切り水を掬う。


 仁義なき水掛け合戦の火蓋が、切られた。


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