第7話「歪な日常」
『はぁあああああっ!』
己の内から響かせるのは、敵を斬るという威武を込めた掛け声。
同時に放つのは、上から下への振り下ろし。
——スパンッッッ!!!
真竹が打ち合う音が、会場にこだまする。
『くっ』
相手の剣先による受け流しの妙技が、私の竹刀を弾き返す。
『しまっ!』
振り下ろされる相手の竹刀、それにコンマ数秒遅れて頭を揺らす衝撃が襲ってくる。
『一本!』
視界の奥で振り上げられる白旗。
『……負け、た』
何も、できないままに。
『っ——』
面の奥から見えた対戦相手の目は、失望の眼差し。
『なんで……?』
これまで血を吐くほどの努力を重ねてきた。
『なんで……』
ずっと、剣に生きてきたのに。私の剣は届かなかった。
『なんでっ!』
一心不乱に剣を振るう。
一秒でも、一瞬でも早く。
日本一を取った、私の剣戟を————。
『っ!』
振り下ろした剣先から、鈍い感覚を受ける。
『大変だ!』
気がつけば、模擬戦の相手が倒れていた。
『大丈夫か⁉』
周囲にいた人が、一斉に駆け寄ってくる。
『タンカー! 早く!』
胴着の上に来た防具が脱がされ、運び出されていく。
タンカーからはみ出した彼女の手は、力なくダランと落ちる。
『あっ、あっ……』
手に持っていた竹刀が、音を立てて床に落ちた。
『あああ……』
私は一体、なにをした……?
『あああああ……っ』
私は、私の剣は、一体なんのために……?
「っは!」
ガバッと身体を起こす。
周囲を見渡せば、見慣れたいつもの自室。
「また……、あの夢……」
まだ頭が覚醒しきっていないまま辺りを眺めていると、だんだんと夢見た記憶が脳裏に蘇ってくる。
何度も夢見た、あの日の光景が。
「っ……」
首を激しく左右に振った。
「なんのために、か……」
夢の中で呟いていたはずの言葉が、まだ口に残っている。
その自問に、私はまだ答えを出せていない。
だから、私は……。
そんな思考をかき消すように、スマホにセットしておいたアラームが鳴る。
「……行かなくちゃ」
布団から起きて、タンスから胴着を取った。
*
「…………」
まだ朝日の差し込まない、薄暗い道場の真ん中で正座して、目をつぶって集中する。
冷え切った空気が、私に伝えることに耳を傾ける。
左斜め後ろから、上段の構えのまま、音を立てずに近づいてくる。
やがて、ピタッと足が止まる。剣の間合いに私を捉えたのだろう。
いつ、構えた剣を振り下ろすのか。
その読み合いの時間。
「————!」
やがて、その沈黙は破られる。
私の呼吸を、ほんの少し外した瞬間を狙って、音もなく剣が振り下ろされる。
「っ!」
正座を崩してすぐに間合いの外に立ち退いて、居抜きの姿勢を取る。
そんな私の動きを、剣を振るった師範が見定める。
「少し、迷いがあるな」
「……すみません」
動きがいつもより鈍かった、それは自分でもわかった。
「まだあの一戦を、乗り越えられずにいるか」
「それは……」
今朝見た夢が、まだ頭にこびりついて離れてくれない。
そのことを、見抜かれたのだろう。
「責めているわけではない。今のお前の戦い方に限界が見えたということだろう」
「限界……ですがそれは」
「勘違いしてはいけないぞ。あくまで今のお前の戦い方に限界があるというだけで、新島の剣が限界ということではない」
「…………」
「昔私も同じような壁にぶつかった。もちろんその時は納得出来なかった、今のお前のようにな」
「そうなんですか……?」
おじいちゃんにそんなことがあるなんて、意外だ。
「これから幾度もぶつかるであろう壁を、一つ一つ乗り越えてこそ、真の強さが手に入るのだ。いいか桃華、お前にとって初めての経験を大切にするんだ」
「分かりました」
「む、日が昇ったな。そろそろ朝稽古は終わりとしよう」
この時期は、朝7時前になると窓枠から太陽の光が差し込んでくる。
それは朝稽古の終わりを告げる陽の光。
「はい。ありがとうございました」
師範と神棚に一礼して、道場を後にする。
*
「行ってきます」
制服に着替えて、バッグを携えて家を出る。
丘の上にある私の家から駅までは、歩いて20分くらい。
「お、桃華ちゃん。おはよう」
「おはようございます」
毎朝の散歩に出てるおじさんに声をかけられる。
丘の上一帯の土地を持っていて、そこに家屋と剣道場を持つ新島家。
昔からこの土地を治めてきたとかで、この辺では名前が知れ渡っている。
「桃華ちゃんも、もう高校生なんだねぇ」
「去年も同じことを言ってましたよ。それに、高校生になってもう二年生です」
「そうだったかい? 頑張ってるねぇ」
「ありがとうございます。それでは私は学校に行くので」
「いってらっしゃい」
おじいちゃんと別れて、再び歩き出す。
「あ、お姉ちゃん!」
次に声をかけてきたのは、うちの道場に通っている、ランドセルを背負った男の子。
昔と比べると数は大分減ったらしいけど、この辺に住んでいてうちの道場に通う子どもたちは少なくない。
うちは剣道だけじゃなく、護身術の教室も開いていて、そっちに定期的に通う子もいるし、なんなら主婦の方やサラリーマンの方も不定期でやってきたりする。
それくらい、地元に愛されてるのがうちの道場の強みで、誇るべき美徳。
「今度俺と勝負してよ!」
「はいはい、また今度ね。ちゃんと勉強もするんだよ?」
「はーい」
元気な返事を返しつつ、その子は集団登校の列に駆けていった。
「勝負か……」
そうして色んな人と会話しながら駅に向かう。
電車に揺られて三十分。
学校の最寄り駅には、同じ制服を着た人がたくさん。
その人の波に紛れて、私の通う高校にたどり着く。
三階にある二年四組が、私の教室。
「「「「「…………」」」」」
厭嫌の目を受けながら後ろの扉から教室に入って、窓際の後ろにある自席に座る。
一限目に必要なものを用意しておいて、朝のホームルームが始まるまでは持ってきた本を読む。
剣以外の事に触れる一環として、お母さんが送ってきた本。だけど、
(……これのどこが面白いんだろう?)
たくさん送られてきた本のうち、数日前から読んでいるのは恋愛小説。
恋愛以前に初恋さえしたことない私にとっては、全くさっぱり理解のできない世界が本の中に広がっている。
確かお母さんって、お父さんと一緒に居るゲーム世界で、シナリオライターしてるんだったっけ?
そういう意味では、いろんな種類の小説を持っているのは分かるけど。
だからといって、いい歳してこんなものを読んでるっていうのはちょっと……。
そんなことを思いながら一通り本を読み終えると、そのタイミングで担任の先生が教室にやってくる。
「今日も欠席はなし、連絡事項も特になし。それじゃあ今日も一日励むように」
短いホームルームが終わって、すぐに一限目の数学が始まる。
軽く予習をしてあるから、分からなかったところを重点的に聞けばいい。
同じように二限目から四限目までを過ごして、お昼休み。
「……ん、今日も空いてる」
お弁当を持って、中庭の隅にあるベンチに腰掛ける。
建物と木で完全に陽が当たらず、少し肌寒いここは、あまり人気がないスポット。
だからこそ、静かに過ごすにはもってこいの場所。
ゆっくりと、時間をかけてお弁当を食べて、残りの時間はなにをするでもなく、ただぼーっとして過ごしたり、たまに考え事をしたり。
そうして予鈴が鳴る頃に教室に戻って、五・六限目の授業。
「特に連絡事項もなし。今日も終わりだ。また明日」
短いホームルームが終わって、手早く荷物をまとめて教室を後にする。
他のクラスも同じように放課後を迎え、思い思いに過ごす生徒たちで廊下が混み合ってくる。
そんな間を縫って昇降口へ向かう。
「————」
「……?」
そんな人混みの中で、私を呼ぶ声が聞こえた気がした。
……ううん、今のはきっと、窓から吹く風が運んできた空耳だろうな。
私のことを呼ぶような人は、ここにはいないのだから。
上履きを履き替えて、朝より空いている道を歩いていく。
「ただいま」
来た道をそのまま辿って帰宅したら、手洗いうがいをして、自室で勉強。
小一時間ほど机に向かっていると、時間は五時を過ぎる。
「そろそろ着替えないと」
剣道教室と、夕稽古が始まる。
タンスにしまってある胴着に着替えて、道場へ。
「失礼します」
「桃華、今日はお前が音頭を取りなさい」
「分かりました」
入場の作法を済ませて、塾頭の役割を果たすべく剣道教室の指導を開始する。
とはいえ、今日は小学生が中心だから、それほど気合を入れて取り組むものではない。
「構えが少し低いね。もう少し、こう……」
素振りする塾生を見回りながら、適宜声をかけ補助に入る。
ここにいる子の多くは剣の初心者。だからこそ指導は優しく、竹刀を振ることの楽しさを覚えてもらうのがメイン。
「お姉ちゃん! 今日こそ俺と勝負してよ!」
朝、登校の時にすれ違った子が、私に挑みかかってくる。
「はいはい、また今度ね」
そんなわがままをのらりくらりと躱しながら、みんなへの指導を続けていく。
約一時間半の剣道教室を終えて、それからは私と師範だけの夕稽古が始まる。
と言っても、竹刀を握ることができない今の私ができることは限られている。
ただひたすらに、己が感覚を研ぎ澄ませること。
目に頼るだけでは、剣士とは言えない。五感の全てを使って、敵の手を読み切る。
そのための鍛錬をひたすら繰り返す。
そうして一時間、滝のような量の汗をかきながら稽古を終える。
お風呂で汗を流して、夕食を取って、部屋に戻って勉強して、時間になったら就寝。
それが私の基本的な生活スタイル。
けれども最近は、さらに一つやることが増えた。
「『トランスレイト・イグニッション』」
頭にディサイファーをつけて、呟く。
やがて視界は、ゲームの世界へと誘われる。
「あ、お姉さん!」
私の姿を見るなり近寄ってくるエン。
「お待たせ。短い時間だけど、今日も始めよっか」
これが今の私の日常。
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