第19話 大魔王、遅れて窮地にやって来る




 時は僅かに遡り、昼下がり。



「ふぁーあ、暇だなあ」


「オレたちが暇なのは良いことじゃねーか」



 広大なフレイベル帝国の帝都を囲む30mの壁の上で、南門付近を巡回している兵士たちが他愛もない話をしていた。



「そりゃそうだけどよー。こんなに何もないと腕がなまっちまう」


「そのために訓練するんだろ? オレたちの役目は帝都と民、そして皇帝陛下をお守りすることなんだからな」


「わーってるわーってる。ったく、お前はよくそんな臭い台詞をつらつらと吐けるもんだ」



 フレイベルの兵士は総じて練度が高い。

 それは個人の実力よりも、帝国への忠誠心と他者との協調性を重んじているからだ。


 何より、現皇帝ヴェイン・フォン・フレイベルは兵士の給料に糸目をつけない。


 普通、平和であればある程、兵士の雇用は需要が無くなってしまう。

 その結果、給料の減額や解雇に繋がるのだ。


 しかし、帝国ではそれが無い。兵士たちの練度も士気も高いのは、それが理由であった。



「……ん?」



 遠くを眺めていた兵士が首を傾げ、やがて硬直してしまう。


 同僚の異変に気付いたもう一人の兵士が、釣られて同じ方角を見た。



「なんだ? どうした? 遠くの方を……見て……おい、おいおいおいおいッ!!」


「ま、まずい!! ほ、報告を飛ばせ!! 南から魔物の大群が押し寄せてくるぞ!!」



 南から大量の魔物が迫っていた。


 その数は十や百ではない。


 千、二千、三千……。万を超えても、その勢いが止まることは無い。



「点検は怠っていないな!? 大砲の用意をしろ!! 弾薬庫からありったけの火薬と砲弾を持って来い!! 急げ!! あの数が帝都に攻め入ったら終わるぞ!! 普段タダ飯させてもらってんだ!! 死ぬ気でやれぇ!!」


「「「「了解っ!!」」」」



 兵士が報告に走ってから十数分。南門の壁上では防衛体制が整っていた。


 各兵士が非常時にやるべきことを理解しているのだろう。

 迷いのない動作で大砲の用意を済ませ、兵士たちを率いる南門警備兵部隊長アルバンは間を置かず指示を出す。



「住民を避難させろ!! 冒険者たちに依頼を出せ!!」


「冒険者たちは近隣の村々の警備に行っているので帝都にはあまりいません!!」


「ちくしょうそうだったな!! ご苦労なことだぜ!! 誰か帝城に行って騎士団を引っ張ってこい!! 連中には住民の避難誘導とお偉方の警護を任せるってな!!」


「了解!!」


「よし、てめえら!! 撃って撃って撃ちまくれ!! 一匹も魔物を通すな!! 壁上部隊は遠慮なくぶっ放せ!! 地上部隊は魔物が見えたらぶっ放せ!!」



 防備が固まる。


 迫りくる魔物の群れの数は尋常ではないが、それでも兵士たちは帝都を、民を、王を守らなければならない。


 誰一人として、魔物の群れに恐れを為している者はいなかった。


 やがて、魔物の群れが大砲の射程圏内に入る。



「撃てえっ!!」



 アルバンの号令で、砲撃が始まる。


 ドンッ!! ドドドドドドンッ!!


 絶え間ない砲撃により、帝都中へ炸裂音が響き渡る。

 その凄まじい威力は一気に数十匹の魔物を絶命させるのに十分なものであった。



「よし!! 次弾装填開始!! 壁上部隊は鉄砲で牽制だ!! 一匹も近づけさせるな!!」


「た、隊長!! アルバン隊長!!」


「なんだ!!」


「あ、あれを、あれを見てください!!」


「ん? ん!?」



 兵士の一人が指さした先には、砲撃の第一陣で絶命した魔物たちの死体がある。


 ――はずだった。


 砲撃によって立ち上った砂埃の中から、魔物たちが姿を現す。

 死体の姿はどこにもなく、ただ狂ったように進軍してくる魔物の大群だけがあった。



「な、ほ、砲撃が当たってないのか!?」


「有り得ない!! 砲弾の雨の隙間を通るなんて不可能だ!!」


「……誰か、俺の弓を持って来い」


「え? 弓?」


「良いから早くしろ!!」



 部隊長アルバンは、弓の名手だ。


 兵士になる前は冒険者としてダンジョンに潜り、その弓で魔物の脳天を粉砕した剛弓の使い手。


 そのアルバンが弓を手に取り、矢をつがえ、放った。


 魔物の脳天が弾け飛ぶ。



「おお!! 凄い!! 流石はアルバン隊長だ!!」


「……ちっ。どうなってんだ、こりゃ」


「え?」



 アルバンは嫌そうに顔を歪めた。


 兵士たちがアルバンの狙撃した魔物を見ると、まるで時が巻き戻るかのように再生していたのだ。


 それも、一瞬の再生。


 砲撃を食らっても魔物の大群が止まらなかった理由を、その場の誰もが理解した。



「そ、そんな、再生した!? そ、そんなの、そんなのって!!」


「まるで不死の軍勢だな。おい!! 砲撃を止めるな!! 足止めしろ!! せめて住民の避難が完了するまで耐えるぞ!!」



 アルバンの鼓舞で兵士たちは士気を取り戻すが、その動きは先程よりも悪い。


 当たり前だ。


 死なない軍勢と正面からやり合うなど、正気の沙汰ではない。

 しかし、誰もが正気のまま、帝都を守るために奮戦する。



「だ、駄目です!! 魔物の勢いが止まりません!! 南門に突っ込んできます!!」


「踏ん張れ!! まだ避難誘導が完了していないんだ!! 俺達がやられたら大勢の人間が魔物の餌食になるんたぞ!!」


「む、無理だ、もう帝都は……」


「寝ぼけたこと言ってんじ――」



 弱音を吐いた部下をアルバンが一発ぶん殴ろうとして、その部下は死んだ。


 上空から巨石が降り注ぎ、それを押し潰されたのだ。



「な!? 何が起こった!?」


「アルバン隊長!! 上です!! 上空にワイバーンが!! オークが乗って石を落としてます!!」


「っ、そんなのありかよ!! 壁上部隊、下に降りろ!! 落ちてくる岩に気を付けてな!!」



 兵士たちがアルバンの指示で一斉に壁上から逃げ出す。

 同時に巨岩が降り注ぎ、帝都南門は崩壊してしまった。



「ああっ!! 南門が!!」


「こ、これじゃあ、魔物の侵入を防げないぞ!!」


「ど、どうすれば……」



 皆がアルバンの指示を待つ。


 しかし、壁上の大砲は全てが南門の崩壊に巻き込まれて使用不能。

 地上にも大砲はそこそこの数があるが、火薬と砲弾が心もとないのが正直だった。


 仮に万全の状態で地上部隊の大砲を使えたとしても、地上からでは上空のワイバーンに対処することができない。


 こうしている間にもワイバーンは帝都への攻撃を続けており、住民たちが岩に押し潰されて死んでいる。


 街と住民を守るための兵士が、何も出来ない。それは兵士たちに極限のストレスを与えた。



「や、やっぱり、あれのせいだ!!」



 その時、一人の兵士が叫ぶ。



「お、おい、何を言って……」


「魔王だ!! 皇帝陛下は騙されたんだよ!! あのクソ魔王は最初から俺たちを滅ぼす気だったんだ!! 噂の留学生もスパイに違いない!!」


「……」



 アルバンは考える。


 本当に、そうなのだろうか。

 あの日の放送事故、魔王シュトラールの本音が語られた配信を、アルバンは見ていた。



『バッカお前!! バーカバーカ!! 俺は人なんか殺したくないんだよ!!』



 あれが演技だとは思えない。


 アルバンは人の悪意に敏感だ。

 冒険者を辞める切っ掛けとなった、仲間の裏切りのせいで。


 そのアルバンが、あの魔王からはおよそ悪意というものを感じなかった。


 配下と思わしきメイド魔族を叱責した時も、あの魔王は悪意を抱いていなかった。



「……泣き言を言うな。銃を構えろ。隊列を整えろ。一分でも時間を稼ぐ。俺たちはそのためにいる。そうだろう?」


「っ、了解!!」



 それは言外の死を覚悟しろという命令。


 自分たちの上司が誰よりも命を懸けている以上、部下たちが逃げるわけには行かなくなった。


 アルバンが懐から一枚の写真を取り出す。彼の家族の写真であった。



「……すまない、ロクな父親じゃなかったな」



 アルバンが弓を構え、矢をつがえる。


 大砲を潰したと判断してか、ワイバーンたちが一斉に降下してアルバンたちに襲い掛かった。


 兵士たちの脳裏に、親しい者の姿が浮かぶ。


 妻、娘、息子、あるいは恋人。親や友人、顔見知りまで。

 己の死を覚悟した兵士たちは、守るべきもののために士気を極限まで高める。


 むざむざと大切な人々を蹂躙させてたまるか。


 死ぬまで、否、死んでも魔物の畜生共を食い止めてやる。



「隊長!! 魔物がすぐそこまで来ています!!」


「行くぞお前らあ!!」


「「「「「了か――」」」」」



 その刹那。


 魔物の大群が消滅した。


 空から降り注いだ極光の熱戦が、すべての魔物を消滅させたのだ。



「……え?」


「た、隊長、あれを!!」



 視力の良い部下が、宙に浮いている謎の人物を発見する。


 謎の人物の周辺には神々しい雰囲気を放つ魔法陣が展開されており、先程の攻撃がその人物によるものだと誰もが理解した。


 部下よりも更に視力が良いアルバンは、その人物の姿を誰よりも正確に捉える。



「美しい……」



 艶のある黒髪の乙女。


 その乙女が地上にいるアルバンたちに気付いて、フッと笑った。


 まるで聖女のような微笑であった。



『よく耐えたな。すげーよ』



 そんな、誰かの感心したような声が聞こえてきたような気さえする。


 誰かが思わず呟いた。



「女神だ……」


「女神クリシュが、降臨したのか?」


「女神様……女神様万歳!! 女神様万歳!!」



 死を覚悟した兵士たちの士気は、極限を超えて高まるのであった。






――――――――――――――――――――――

あとがき

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