第2話 探偵少女

「……猫、好きなの?」


それが僕の、彼女に対しての第一声であった。


夕暮れが街を覆う、学校からの帰路のこと。

道端で野良猫と戯れる少女に放った、僕のファーストコンタクト。


結局、冒頭の問いに対する答えが聞けたのは、この日から随分と時間が経った後のことだった。


「うわー!?人いたー!?」


突然声を掛けてびっくりさせてしまったのか、大声で叫びながら、その場から飛び退くその子。


その拍子に、身体をねじらせてお腹まで見せていた先の猫も、ぶわっと毛を逆立て、驚くほど俊敏な速さでどこかへと逃げて行ってしまった。


「あー!?猫ちゃん逃げちゃった!?」


その子は、「待ってー!」と逃げた猫の背を追いかけるが、人間の脚力が猫のスピードに追いつけるはずもなく……


「……やっちゃった、最悪だ。」


トボトボと、肩を落とした様子で帰ってきた。


「……あー、えっと、なんか大丈夫か?」


あまりにも色々と急展開で、なんと言葉を掛れば良いのか分からないが、一応、心配のセリフを投げかけておく。


「……うーんと、あまり大丈夫じゃないかも。」


どうやら、あまり大丈夫ではないらしい。

その子は随分と気落ちした様子で、そう言葉を吐いた。


「え、えーと…………」


声を掛けたは良いが、次の言葉が見当たらない。


いや、そもそもどうして僕は声なんか掛けたんだっけ?


自分の行動を思い返すが、こうなるに至った思考を全くもって覚えていない。

気付けば彼女の目の前に居て、そのまま話しかけていた。


……非常に僕らしくない。


明確な理由も定まっていないまま、何か行動を起こすだなんて。


自分自身の起こした行動に疑問を抱く。


『思わず体が動いていた』だとか、『体が勝手に反応した』なんて言葉、僕には一番縁のない話だと思っていたが……


いつも下らないことばかりに頭を使っているのに、肝心な時に頭が働かないのがどうやら僕という人間らしい。


「……ところで、私に声を掛けてきてくれたってことは、何か私に用があるってことで良いのかな?」


結局、落ち込んだ表情を無理やり振り払った彼女が、僕に対してそう問いかけたことで静寂の時間は終わりを告げた。


「あ、いや、ごめん。別に用があったわけじゃないんだ。」


途端に、その言葉を否定する僕。


「……?そうなの?」


『それじゃあ、どうしてお前は私に声を掛けてきたんだよ。』という彼女の心の声が聞こえてきそうだ。


首を小さく傾げ、不思議そうに僕を見る彼女の目を、僕は直視できない。


いやだって、言えるわけないじゃんか。

『気付いたら君に声を掛けてました。』だなんて。


変人以外の何者でもない。


「…………うーん、と。」


何か良い言い訳を探す。


……こういう時こそ、無駄に考えることだけは好きなこの頭脳の、真髄を発揮する時ではないか。


必死に頭の中を回し続ける。


「……じー。」


……なんか、目の前から凄い視線を感じる。


しかし、そんな思考力も邪魔が入っては何の役にも立たない。


ここまで他人に凝視されるような、そんな経験など持ち合わせていない僕は、『見られている』という緊張からか、直ぐに頭が真っ白になってしまう。


「…………っ。」


その視線に耐えきれず、真正面から逸らしていた目を盗み見るように彼女の方へと向けると……彼女が口を開くのはほぼ同時だった。


「……ねぇ知ってる?言語能力を司る部位は左脳にあるんだよ。」


「…………へ?ぇ?」


一瞬、彼女が何を言っているのか分からなかった。


いや、一旦落ち着いて、その言葉の意味を理解したとしても、何故今のタイミングでそれを言ったのか、それが理解出来なかった。


「……本来ないはずのものを、あたかもあるもののように話すための言語を組み立てるには、左脳の働きが必要でね。」


左側頭部、ちょうど左脳の辺りを人差し指で指しながら、淡々と、それでいて口元に仄かな笑みをたたえて、彼女は話す。


それはまるで『お前の脳内など全てお見通しだ』と、余裕綽々とした彼女の態度から告げられているような、そんな気さえした。


そして―――


「……人の体の右半身を支配しているのは左脳だから、人が嘘をつく時は、目線が右斜め上を向きがちなんだって話だよ。」


最後、にこやかな笑みを浮かべた彼女は、そう話を締め括った。


「……え、えーと、それが何?」


結局、よく分からないまま話が終わってしまって、僕は状況を飲み込めない。


つまり、今の話で彼女が僕に伝えたかったことというのは―――


「……ううん、ごめんね。君が今、ちょうどその方向を見てたから、その話を思い出しただけ。」


『今、嘘つこうとしてただろ?』と言外にそう告げてきたということだ。


…………なんだ、こいつ。


正直に言って、少し気味が悪かった。

だって、そんなのに気付くって、常日頃からそういうことを考えているということだろう?


それともあれだろうか、あの、稀にいる人間観察が趣味とかいうやつ。


まぁ、どちらにせよ『変なやつ』であることに変わりはない。


……ほんと、何で僕はこいつに声を掛けてしまったんだよ。


後悔というか、より自分の行動に対して疑念が深まるばかり。

漏れ出そうな負の感情を、押し殺すようにため息を吐いた。


「……それにしても、君さ。」


そんな時だった。


「…………ん?なに?」


「……私とどこかで会ったりとかってしてない?」


その女が、変なことを僕に聞いてきたのは。


「いや、ね?君の顔、どこかで見た気がするんだよ。」


記憶の中を探るように、彼女は細い顎に指を添え、思案気に目を伏せる。


「……?勘違いじゃないか?僕みたいな何の特徴もない顔のやつなんか、量産型みたいにうじゃうじゃ居るんだから。」


「…………うーん、それもそっか。」


……そこは否定してくれよ!僕がただの悲しいやつじゃないか!


自分で自分のことを貶しておいてなんだが、自虐によってメンタルがガリっと削られる音が聞こえる。


あれぇ?僕ってこんなに打たれ弱かったかなぁ。


己の精神面の脆弱さに軽く衝撃を受けつつ、僕は言葉を続ける。


「……それに、あんたみたいな人間と会ってるなら、こっちが忘れないだろ。」


僕は、他人にはあまり興味関心を抱かない人間だと自覚しているが、それにしたって、出会ったことのある人の顔くらいは覚えているつもりだ。


だからこそ明言するが、僕の記憶の中にこいつの姿はない。


つまり僕らは初対面。

会話したことはおろか、会ったことすら無いはずだ。


そういうつもりで、先の発言をしたつもりだったのだが…………


「えっ!?そ、それはもしかして、私が可愛いから、一度見たら忘れられないって、そういうこと!?」


…………どういう思考回路してんだこいつ。


その女は、いきなりトンチキなことを言い出しやがった。


この頃には既に、僕の彼女を見る目が、キチガイへ向けるそれへと変わり果ててしまっていた。


「……あー、そういうこと。」


もう、なんだか会話をするのも面倒になってしまったので、そのまま話を流してしまう。


「もー、お世辞だって分かってるからね!でも嬉しかったから、特別に陽向ひなたちゃんポイントを100贈呈!」


「……あー、アザマス。」


……なんやねんそのポイント。


というツッコミも、声に出す元気はもう僕に残っていなかった。


「……って!いけない、こんなに話し込んじゃった!ごめんね?こんな無駄話に付き合わせちゃって。この後急ぎの用事があるから、私もう行くね!」


やがて、突然何かを思い出したように声を上げた目の前の彼女は、肩に提げていた鞄の中からゴソゴソと小さな用紙を一枚取り出し、それを僕に手渡してきた。


「…………へ?」


差し出されたそれを反射的に受け取る僕。


「もし私に何か頼みたいことでもあったら、いつでも気軽に連絡して!どんなことでも力になるよ!」


そんなセリフを残して彼女は、引き留める間もなく足早にこの場を去って行ってしまった。


「…………。」


まるで、嵐が過ぎ去った後のような、そんな静寂が突如として訪れる。


……何だったんだ、いったい。


僕の方から声を掛けておいてなんだが、結局、全てが意味不明なやり取りとして終わってしまった。


というか、今渡されたこれ……


ハッとして、自分の手元に視線を落とす。

親指と人差し指の間、指で挟むように彼女から受け取ったそれは―――


「…………『なんでも!探偵部』?」


中央に、そうデカデカと印字のされた、所謂『名刺』というやつであった。




























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『なんでも!探偵部』 ぬヌ @bain657

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