第6話 対決 その2
『お断りよ』
――は? え……それだけ?
あまりにも即答だったから、一瞬何を言われたのかわからなかった。
幸いと言うべきか、声そのものは脳にしっかり刻み込まれていたらしく、じわりじわりと『お断りよ』の六文字が心に沁み込んできた。
否。
まったくもって『幸い』などではない。
どう考えても『不幸』である。
ただ――にもかかわらず――
――いや、しかし、なぁ?
頭の奥が痺れてしまって、何も考えることができないようでいて……実のところ『なんか想像してたのと違う』と首を捻っている。
衛がイメージしていた恋愛的な意味での告白(主に妹の部屋に散らかっているマンガから生成された妄想)とは、もっと厳粛な儀式であって……たとえ断られるにしても、もう少し体裁を整えるとでも表現すべき感じに言葉を尽くすものだと信じて疑っていなかった。
――お断りよって……お断りよって……
ここまで一直線にダメ出しされるとは完全に想定外。
少なくとも『ごめんなさい』ぐらいは言われると思っていたのだが……
「……」
「……」
じっと見つめてくる梓の表情に冗談の気配は見当たらない。
この期に及んで冗談を口にする人柄ではないと思ってはいたから、解釈そのものは一致するのだが……どうにも腑に落ちない。
それでも、時が過ぎるほどに梓を見つめる衛の方も頭が冷えてくる。
少しずつ。
ほんの少しずつ。
いつの間にか引き結んでいた口元から力が抜けて、言葉が零れ落ちた。
「そうか、それは……残念だ」
「そう?」
「ああ。俺は……入学以来ずっと
「ふぅん」
「もしよければ……どうしてダメなのか、どこがダメなのか教えてくれないか?」
素っ気ない返事ばかりの梓に理由を尋ねた。
傷口に塩を塗り込むような行為だとわかってはいたが、口が勝手に動いてしまった。
完膚なきまでに否定されてしまうほどに梓から嫌われる要因があるのなら、このまま放置しておきたくはなかった。
「そういうところよ」
「は?」
「自分の胸に聞いてみたら?」
続けざまに浴びせられた言葉に眉をひそめた。
先ほどの『お断りよ』とは違い、ちゃんと耳が捉えた音は脳に届いているし、単語を理解しているのも関わらず、梓が何を言っているのかわからなかったからだ。
困惑する衛を憐れむような、そして、どこか蔑むような眼で見つめてくる梓。
「私は高校に入ってから何人もの男子に告白されてきたわ。まぁ、中学校の時も似たようなものだったけれど」
突然始まった自慢話(?)に戸惑いながらも首を縦に振った。
告白は衛(を含む諸兄)にとっては一大イベントでも、梓にとっては日常茶飯事。
恋愛という名の戦場における残酷な現実を突きつけられて、どう反応したものか判断に苦しむ衛を意に介することなく、梓は滔々と言葉を続けた。
「だから……告白してきた男子が私に断られた時にどう反応するのかもたくさん見てきた」
「それは、そうだろうな」
「ほとんどの男子はへらへら笑って、後になって武勇譚みたいに友だちに話してるの。バカなんじゃないかって思うけど、そういう人は本当に多かったわ」
梓のきれいな眉が忌々しげに歪んだ。
彼女の気持ちもわからなくはなかったものの、同時に断られた連中の気持ちも理解できてしまう。梓はお気に召さないようだが、告白を断られて本能的にメンタルを守りに入る男子を嗤う気にはなれなかった。
もちろん、咎めるつもりもなかった。
梓のことも、他の男子たちのことも。
「もちろん、全員が全員そんな人ばかりってわけでもなかった。断った私が言うべきではないのだろうけれど、見ていて可哀そうなくらいに落ち込んでしまう人だっていた」
『真摯な……真剣な人たちね。彼らのような人に好かれることは誇らしいし、想いに応えられないことを申し訳ないとも思うわ』
梓はそう続けた。
こちらは彼女にとって好ましい人柄のようだが、どうにも素直に頷けない。
好ましかろうが誇らしかろうが、断られた本人にしてみれば堪ったものではないし、何の慰めにもならない。
「でも、
「違う?」
穏やかな声に反して、梓の眼差しが鋭さを増した。
「あなたはヘラヘラ笑いもしないし、落ち込みもしない。あえて言うなら……そう、納得しているように見えるの」
あるいは答え合わせをしているのかしら。
梓は声に含まれる棘を隠そうとしていない。
『そんなバカな』と呟いて、衛は自分の胸を抑えた。
手のひら越しに伝わってくる心臓の鼓動は――いつもと変わらなかった。
こめかみからひと筋の汗が頬を伝って流れ落ちる。嫌な予感。冷たい感触に背筋が震えた。
「私には……あなたが嘘をついているようには見えない。私のことを好きでいてくれたと言うのは、きっと本当のことだと思ってる。でも、だったら……あなたはどうしてそんなに平然としていられるの? フラれたのよ?」
「春日井、俺は……」
言葉が続かなかった。
答えは胸の内にあるはずなのに、声が喉につかえて出て来ない。
無自覚な名状しがたい感情が喉元を抑え込んでいる。
『口にしてはいけない』と本能が訴えてくる。
「答えは簡単よね。岡野君、あなたは確かに私に恋してくれたかもしれない。でも……今のあなたは、今のあなたにとっては、私よりも大切な人がいる。大切な人ができた」
それが誰なのか、言わなくてもわかるわよね。
梓の声に怒りはなかった。
彼女の推測に間違いがなければ、衛は彼女を蔑ろにしているはずなのに。
「
その名前を聞いた瞬間、衛の心臓がハッキリわかるほどに跳ねた。
頭の中で『ないない、それはない』と笑い飛ばそうとして、できなかった。
梓は動揺して混乱する衛をジーっと見つめ、さらなる言葉を唇から紡いでいった。
「私よりも奈月のことが好きになったから、私に告白を断られても動揺しない。むしろホッとしてる。そんなところかしら?」
「待て、春日井。それは……」
「自分の用事を……告白を差し置いてまで奈月のことを優先した。おかしな話だとは思うけれど、あなたにとって私が奈月のことを誤解しているという状況は耐え難いものなのね」
黙っていた方が自分に有利になるのに。
苦笑いに梓の口元が緩み、そっと目蓋が伏せられて――開かれる。
碧い瞳には、峻烈な輝きが宿っていた。
「奈月だって……奈月だって、私と一緒にいるときにはあんな顔を見せてくれたこと、一度だってないッ!」
「あんな顔?」
「ええ、そうよ。とても穏やかで柔らかい笑顔。くつろいでいるって、ひと目でわかる顔」
「それは……春日井の前ではカッコつけたいだけだろ、アイツ」
「そうかもしれない。奈月のこと、よくわかってるのね」
「……」
鋭い指摘に口が強張った。
同時に気づいた。
『春日井 梓』は――『岡野 衛』に嫉妬している、と。
付き合っているはずの自分よりも奈月に詳しい衛に我慢ならない、と。
「何か言い返そうとは思わないの?」
「……それは、俺は……俺が、
梓が自分に嫉妬しているという発想はなかった。
梓の心を奪った奈月に自分が嫉妬する方が自然だと思っていた。
思いもよらない指摘に指一本動かすこともできないまま、茫然と梓の言葉を待った。
「『この学校の男子の中で』と言う条件を付ければ、私が一番好ましいと思っていたのは岡野君。あなたよ」
「春日井?」
衛の眉が不可思議な弧を描く。
前提条件に引っかかるところはあるにしても、梓が自分に好意的であったなどと言うトンデモ情報が理性を混乱の坩堝に突き落としてくる。
――何がどうしてそうなるんだ!?
生徒会の業務以外でロクに関わりを持った記憶すらないのに。
相変わらず冗談を口にしているようには見えない。皮肉の類でもない。
それどころか、今の梓は過去に見覚えがないほどに真剣な表情を浮かべている。
「そんな顔するほど変なことを言っているかしら、私? 岡野君は……真面目だし、人あたりもいいし、仕事もしっかりするし、誰かが困っていたら率先して手助けするし……まぁ、時々『何やってるのかしら、この人?』ってビックリするぐらい自分から貧乏くじを引きに行ったりもするけど……私は、そんなあなたのことを、とても好ましく思っていたわ」
事実よ。
梓は微笑み――次の瞬間、目元に力を込める。
碧い瞳から放たれた凄まじい眼力が、不可視の矢となって衛を貫いた。
「でも――私はあなたに恋しない。告白されたって首を縦になんて振ってあげない」
力強く言い放つなり、梓が近づいてくる。
地面を踏みしめる音が、耳について離れない。
その迫力に気圧されながらも、どうにか視線を逸らさないまま姿勢を保った。
梓はさらに距離を詰めてきて――衛の横を通り抜けた。
刹那、衛の耳朶を透明な声が掠める。
「だって、あなたは私のライバルだもの」
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