第3話 珍しい組み合わせ その1

 肩を落としながら足を向けた昇降口に、目立つ人影がふたつ。

 ぼんやり眺めていたら、どちらも見覚えがあって……まもるは慌てて駆け寄った。

 ふたりとも、遠目に見てもただ事でない雰囲気を漂わせていたものだから。


「おい、黒瀬くろせ……と大河たいが。何をしている!?」


 声に反応して、ふたりが振り向いた。

 片方は長い付き合いな親友の『大河内 大河おおこうち たいが

 もう一方は、ここ最近急激に距離を詰め気味な『黒瀬 奈月くろせ なつき

 あまり接点がなさそうなふたりだと思ったし、得体の知れない緊迫感をひしひしと感じた。


――違うな。


 よくよく見ると、大河の顔には困惑がチラついていて。

 対する奈月の顔には、ほんの少しの苛立ちが見え隠れしている。


「ああ、岡野おかの……くん」


「衛?」


 揃って目を見開いたふたりの間に割って入るところまでは躊躇しなかったが、どちらを庇うべきか考えて……やめた。状況がまるでわからないし、どちらも悪い人間ではない。

一方的な決めつけは、この手のシチュエーションを混乱させるだけだ。


「どうかしたのか、ふたりとも」


「別に。大河内くんがしつこく付きまとってきて」


 奈月が髪を手で梳きながら視線を逸らす。

『別に』と言いながら、あからさまに機嫌が悪い。

 ちらりと大河の方を見てみると、こちらは苦笑気味に口を歪めている。


「付きまとうって人聞き悪いな。黒瀬さんの調子が悪そうだったから……さ」


「何もないって言っても信じてもらえないの」


 可愛らしくも不満げに口を尖らせる奈月に違和感を覚え、『女のふりしているのか』と納得した。

 自らを男と認識している奈月がありのままの姿を見せるのは、正体を知っている衛の前だけ。

 今は衛の他に大河がいるから取り繕っていることに遅まきながら気が付いた。


――普段は上手くやっていると言っていたが……


 とてもではないが、そうは見えない。

 常日頃から女性として振る舞っているから慣れているとは言っていたが、虫の居所が悪くなったときまで思いどおりにはいかないと見える。

 もしかしたら自覚がないのかもしれない。


――危なっかしい。


「……俺も大河の肩を持ちたいところだ」


「岡野君?」


 非難交じりの視線を向けられても、答えは変わらない。

 大河と目配せを交わし合い、ふたりで肩を竦めた。


「今の黒瀬は……傍目に見てもわかるほどに調子が悪そうだ。何だったら保健室で休んでいった方がいいんじゃないか?」


「そんなに?」


 過剰に親しくなり過ぎないように諭すと、さすがに奈月も矛先を収めた。

 自分で口出ししておきながら、その翻意に軽い驚きを覚えた。

 隣では大河が驚きに目を見張っている。


――マズいな……


 衛の交友関係はそれなりに広いが、深く関わり合う人間は意外と少ない。

 相手が女子ともなれば猶更……と言いたいところだが、一年におよぶ生徒会活動の中で『誰が相手であろうとも怯むような軟弱な素振りを見せたりはしない』という評価を得てしまっている(会長談)ゆえに、距離感の調整が難しい。

 会長評に基づくならば鋭く踏み込むべきタイミングだが、衛自身は自分のことをそこまで過大評価していない。

 ましてや、今の衛の隣には幼い頃からの親友である大河がいる。

 大河は衛にとって最大の理解者であり、その認識は衛のそれと大差ない。

 親友であるがゆえに、ほんのわずかな違和感さえ察知されてしまうことは想像に難くなく、決して油断はできない状況だ。

 そのあたりの危機感を奈月と共有しておきたいところだったが、あいにくアイコンタクトだけでそこまで察し合うほどに深い間柄ではない。


――今のところは大丈夫そうだが、気が抜けない。


 声には出さずに人目につかないように腹の下に力を籠める。

その真向かいで、奈月は神妙な表情を浮かべていた。

 今の自分が周囲からどのように見られているのかと思いを馳せているのか。

 あるいは先日の喫茶店の帰りに衛と一緒に歩いた時のことを思い出しているのか。

 あの日――フラフラしすぎて事故りそうな足取りで、自分ひとりでは歩くことすら儘ならなかった時の記憶を。


「誓って言うが、俺は何もしてない」


「お前のことは疑ってないって」


 大河の声が妙に大げさだと感じられた。

 聞き覚えのない声色と見慣れた瞳に宿る何か、その正体を掴み切れない。

『長い付き合いのはずなんだがなぁ』と心の中で首をかしげ、そういうものかもしれないと考え直した。

 完璧に相手のことを理解しているなんて言い草は、思い上がりも甚だしい。

 どれだけ近しくあろうとも、どれだけ一緒に日々を過ごそうとも。


――俺だって、何もかもを大河に話しているわけではないしな。


 人のことをどうこう言える筋合いではないと思い至り、自嘲で口元が引きつった。

 衛だって奈月がらみのアレコレはひとつも大河に話していないのだ。

 大河は大河で衛に不信感を抱いていても不思議ではない。

 もちろん、そんな奴ではないと信じているが。


「保健室は……ちょっと気が乗らないかな」


「なら、このまま帰るのか?」


「そのつもり。そんなに心配なら、駅まで送ってもらえる?」


 悪戯めいた奈月の提案に、衛と大河は互いに顔を見合わせた。

 衛ひとりだったら『わかったわかった』で済むのだが、この状況ではどうだろう?


――読めないな……


 大河のリアクションが。

 どうするかと身構えて……すぐに結論を下した。

 大河よりも奈月だ。

 今の奈月を放ってはおけない。


――まぁ、バレたらうまい具合に口裏を合わせよう。


 大河は信頼できる人間だ。

 奈月の正体については話せないにしても、『最近親しくしている』ぐらいのニュアンスで説明すれば茶化したり余計な詮索をしてきたりはしないはずだ。


「大河、部活は?」


「今日は休み」


「珍しいな」


「たまには身体を休めないとな。怪我したら元も子もない」


「それはそうだ」


 運動部とは生徒会がらみ以外で縁のない衛から見ても、今年に入ってからの大河は部活に入れ込み過ぎているように感じられた。『たまには休めばいいのに』と言ってもまるで聞く耳を持たない有様で、いったい何が親友をここまで駆り立てているのか心配で……それでも、大河には大河の考えがあるのだろうと見守ることに決めたはいいが、やはり気になることは気になっていた。


「なら、ちょうどいいな」


「そうみたいだな」


「話はまとまった?」


 からかい気味な声色に、奈月の方を振り向いた。

 ほんの僅かだが機嫌が上向いているように見えた。

 混迷する状況の中で、それだけは良いニュースだった。


「何かいいことあったのか?」


「別に。ただ、ふたりとも友だちなんだなって」


 眩しげに細められる目と、憧れが混じった声。

 正面から見つめていられなくなった衛が視線を逸らすと――その先で、大河が何とも言えない表情を作っていた。

『初めて見る顔だな』と思って、心臓がドクンと跳ねた。





「そういえば、衛」


 三人で歩いていると、唐突に大河が口を開いた。

 真ん中に奈月を置いて左に衛が、右に大河が並んでいた。

 体調不良な奈月の安全を考慮した結果とは言え横に広がり気味になってしまったので、通行の邪魔にならないか気がかりではあったが、今のところトラブルらしきものは何も発生していない。


「なんだ?」


「生徒会、ヤバくね?」


「いきなりすぎるし曖昧すぎるんだが……何がどうヤバいんだ?」


春日かすがい井さん」


 大河の口からその名が出た瞬間、奈月の身体が跳ねた。

 春日井。

春日井 梓かすがい あずさ

 亜麻色の髪と碧い瞳を持つ校内有数の美少女であり、衛と同じく生徒会の役員であり、衛が入学以来ずっと恋焦がれる相手であり、そして奈月の恋人でもあった。

 大河は奈月と梓の関係性を知らないが、衛が梓に憧れていることは知っている。

 お互いに子どもの頃からの付き合いで、好みの女子のタイプなどは把握し合っている仲だ。

 何なら入学式の当日に衛を梓のところまで連れて行ったのは大河である。紹介してはくれなかったが(大河だって梓とは初対面だったから、当然と言えば当然)。

 その梓が平静を装いながらピリピリした空気を振りまいているものだから、さして近しくない者であっても、ただならぬことが起きていると察することは難しくない。


「……まぁ、その問題は生徒会でも持ち上がっている」


「マジか」


「ああ、生徒会室の雰囲気が……その、重くてな」


「めっちゃ想像できるな、それ。あの春日井さんが怒ってるところとか始めて見るけど、一緒にいたら息がつまりそうだ」


 大河は冗談交じりに笑っているが、実際に狭い部屋で同じ時間を過ごす衛(と他の役員)にとっては、笑いごとでは済まされない。

 生徒会長直々に『何とかしろ』と責められるぐらいには切実な大問題であった。


「……春日井さん、そんなに機嫌悪いの」


「悪い。あの温厚な彼女が何をどうしたらああなるのか想像がつかない」


 真面目腐った大河の直球な答えに、奈月が頬をヒクつかせた。

 口にこそしないものの、彼女こそが諸悪の根源である。

 さすがに自覚があるようで、ちょっとホッとした。

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