第2話 抱えがいのある頭、ふたつ その2
生徒会室は、かつてないほどに重苦しい空気に支配されていた。
誰もが口を閉ざし、互いに目配せを交わし合い、責めるような眼差しを
『どうにかしろ』
彼ら彼女らの心の声が聞こえてくる。
それは(被害妄想から来る)幻聴ではあったものの、あながち的外れでも勘違いでもないだろうと確信できてしまい、衛は『それが出来たら苦労はしない』とため息を吐いた。
元凶に目を向けながら。
「ほかに何かありませんか?」
甘くて優しげで耳に心地よい声……のはずだった。
なお、現実は非情だった。
彼女の声を耳にした瞬間、先輩後輩男女を問わず全員の背筋が頭のてっぺんを真上に引っ張られるようにピンと伸びて、誰もが表情を強張らせてしまう。
声の主――『
彼女に声をかける者は、誰ひとり存在しなかった。
静かにドアが閉じられた瞬間、室内の空気が緩んだ。
そこかしこから『ふ~』と息を吐く声が聞こえてくる。
「……
「はい」
恨みがましげな生徒会長からのご指名に、衛は渋々ながら返事をした。
実に実に不本意ではあったから、気を落ち着けるために眼鏡を外してレンズを拭いた。
その間に会長は他の役員に『今日はもう解散な』とワザとらしいほどに軽い口振りで告げており、ようやく解放されたと言わんばかりの彼らは腕をぐるぐる回したり首をゴキゴキ鳴らしたりしてから、同情混じりの視線を衛に向けてくる。
そう、同情だ。
軽蔑・侮蔑・嫌悪といったネガティブな感情は含まれていない。
確かに彼らは梓が放つプレッシャーに辟易していたし、その原因の一端(正確には大半)が衛にあることを察していたが、同時に衛が梓に想いを寄せていることも知っていたし(
……それはそれとして、すがるような眼差しを向けられても衛としては反応に困るわけだが。
――俺にどうしろと言うのだ……
ともあれ、最後まで衛の様子を窺っていた一年の女子が姿を消すなり、会長は大げさに全身を弛緩させ誰よりも大きく息を吐き出した。
「なぁ、岡野」
「はい」
先ほどと全く同じリアクション。
生徒会長を軽んじているわけではない。
どちらかというと尊敬していると言ってもいい。
だが、だからと言って……憂鬱になる(であろう)未来に思いを馳せると、どうしても口が重くなってしまうことは避けられなかった。
会長は会長で、衛の不躾な態度を咎めようとはしなかった。
「言わなくてもわかっているとは思うが……なんか前よりも状況悪くなってないか?」
「……」
前よりも。
すなわち前回の梓が不機嫌な気配をまき散らしていたときと比較して、だ。
あの時は
実際には説得されるまでもなく言いふらすつもりはなかったし、正体をバラしてしまった奈月がこれ幸いと衛の傍で息抜きしていただけだったのだが。
――あの時はまぁ、事実無根だった……んだが……なぁ……
今回は違う。
奈月と一緒に映画を見に行って(さすがにこのあたりのアレコレを梓は知らないと思う。当初からずっと後をつけられていたら、ちょっとどころではなく怖い)、そのあとで喫茶店に入ってお茶を飲んでいたところを偶然見つかってしまった。
事実有根だ。
そんな言い方があるのかはともかくとして。
それよりも大きな問題がある。そう、冷たく光る彼女の瞳の先には――ふざけて衛の頬をつねる奈月の手があって、その手を遮る衛の手があった。
ふたりの指は割としっかり絡んでいた。
『た の し そ う ね』
ガラス越しだったから、その声を直接耳にしたわけではない。
きれいな桃色の唇の動きに目が釘付けになってしまったから、何を言っているのかわかってしまっただけ。
知らないままで済ませておいた方がよかったような、それはそれで今よりも致命的な状況になっていたような。
どっちにせよロクなことにならないことは間違いなかった。
普段は理性的で理知的で、その顔立ちからは優しげで穏やかなイメージが先行しがちな梓が見せた、あらゆる表情が抜け落ちた顔。
それは衛の心胆を寒からしめるに十分すぎる代物だった。
ついでに奈月も衛とほとんど同じか、それ以上のダメージを受けていた。
あれ以来ずっと凹み続けている奈月の憔悴は目を覆うばかりのもので、こちらも衛を悩ませる要因となっている。
閑話休題。
「その、色々とありまして」
「そりゃそうだろ。何もなくてあれだったら逆に怖いわ」
「確かに」
同意したら胡乱げな目を向けられた。
衛と梓は昨年からの引き続きで生徒会に所属している。
始まりは入学直後で、今の会長とはその頃からの付き合いになる。
ふたり揃って会長には色々世話になっていたし、基本的には今だって頭は上がらないのだが……ここ最近の梓の急降下気味な不機嫌ぶりには、会長をして直接原因を聞くことにためらうだけの何かがあるらしかった。
たぶん怖いのだと思う。
「告白して、フラれて、それで何をしたんだ」
「告白してませんし、フラれてません」
「何かはしたのか」
「……」
誘導尋問を避けたつもりだったが、避けられなかった。
告白したとかフラれたとか、そのあたりを問題視していないあたりから、どのように見られているのか想像がついてしまって、衛は思わず眉間を揉んだ。
会長は以前にも衛と奈月の接近を梓が快く思っていないと忠告してくれた。
原因はある程度見透かされているのかもしれない。
「……春日井には何もしていません」
「そこを強調されてもなぁ。お前が梓に何かできるとは思ってない」
生暖かい声に『どういう意味だ?』と問い返そうとして、やめた。
そんな甲斐性はない……ではなく、そんな大それたことができるほど性格が悪逆な方向に振り切れていないと評価されている。
そう好意的に解釈することにした。
たぶん、両方だろうとも思った。
「しかし、困ったなぁ」
「何がですか?」
「いや、前にも言ったけど来期の生徒会さ」
「はぁ」
生徒会長選挙の立候補受付開始日は目前だ。
現状では衛か梓のどちらかが次期会長に就任して、落選したほうが副会長となって現生徒会の方針を引き継げば安泰……みたいな構想を会長が抱いていたと記憶している。
現生徒会の評判は良好だから、急激な方針転換や予想外の人事は誰にも望まれていない。
「お前が当選して梓を選ぶとしたら今の空気はやりづらいだろうし、梓が会長になったら……お前、ハブられるんじゃないか?」
「そんなことは……」
あり得ると思ってしまった。
あの日あの時梓が見せたあの眼差しが、頭にこびりついて離れてくれないプレッシャーが、衛に楽観的な未来予想を許さない。
「まぁ、その、なんだ。私もお前たちのプライベートをどうこう言おうとは思わないんだが……こう、もう少し周囲への配慮と言うものをだな」
言葉の意味は理解できる……ようで微妙にできない。
配慮と言われても困る。会長も色恋沙汰は苦手なのかもしれないと思った。
少なくとも生徒会入りしてから一年と少々の間、会長席でもごもごと言葉を濁す彼女がらみの恋愛ネタを聞いた覚えがない。
自力での解決が困難なことは明らかで、なればこそ信頼できる誰かに相談したい。
知恵を拝借できるだけでもありがたいし、仲立ちしてもらえるならなおさらのこと。
『溺れる者は藁をもつかむ』と言うわけで、そういう目論見を込めて会長を見つめてみると――
――いや、この人は正直……
役に立たない気がする。
ことは衛と梓のふたりの問題ではない。
状況は奈月が絡んだ三角関係であり、そして奈月自身にはさらに説明しづらい事情が存在する。
迂闊に誰かに話せる内容ではないし、詳細を語ることが出来なければ有用なアドバイスを期待することもできない。
生徒会長の恋愛遍歴が云々を抜きにしても状況が詰んでいる。
そう思わざるを得なかった。
「岡野……お前、今、すごく失礼なことを考えていないか?」
「考えてません」
食い気味に即答したら、さらにジト目で睨まれた。
つくづく何事も上手く行ってくれない。
肩を竦めて吐き出した空気は、ねっとりと澱んでいた。
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