第8話 そして…… その2
『よし、予行演習第二弾だ』
そう言われてしまうと、否を唱えることはできなかった。
お目当ての喫茶店に到着した際に、ほんの少しだけまろび出たいつもの『
――止める暇はなかった。でも……たとえ暇があったとしても、止めたかどうかは……
テーブル越しに向かい合って座る奈月を見ながら、
映画が終わった後も奈月の意向を確認する前にエスコートを続けようとしたのは衛の方だったから引っ込みがつかないというのもあったが……このシチュエーションをぶち壊すことに躊躇を覚えたことも事実だった。
それほどに、奈月は瀟洒な店内にマッチしていた。
楚々とした仕草でティーカップを口に運ぶ奈月。
ケーキを小さくカットして頬張る奈月。
小首をかしげて見つめてくる奈月。
――きれい、だよな。
間近で奈月の顔を見ていると、ひたすらに感歎のため息しか出て来ない。
誰かに指摘されるまでもなく『黒瀬 奈月』は掛け値なしの美少女なのだ。
艶やかなセミロングの黒髪とお揃いの瞳。
すーっと通った鼻梁と涼しげな目元。
瑞々しさすら感じさせる唇。
顔を形作るひとつひとつのパーツが丁寧に磨き上げられている。
配置もケチのつけようがないし、ベースとなる肌にも染みひとつ見当たらない。
化粧っ気はないように見受けられるのに華やかなイメージを彷彿とさせるのは純粋に凄いと思った。
「
「いや、きれいな顔だと思って」
「あら……岡野君って、そういうこと言うんだ?」
「褒めるべきものを褒めているだけだが、どこかおかしいか?」
「ううん、別におかしいわけじゃないけど……それ、
途中で奈月の声色が変わった。
お嬢様っぽかった雰囲気は霧散して――昼休みの屋上で、衛の前でだけ見せるいたずら小僧めいた気配が強まった。
自分から『予行演習第二弾』とか言いだしたくせに。
ツッコんでやりたいところではあったが、無粋だとも思った。
喉元まで出かかった言葉を飲み込んで、質問に素直に答えることにした。
「言えるか、そんなこと」
ただし、態度も口振りも全然素直ではなかった。
自分でもわかるほどに口の周囲が強張ってる。
「褒めるべきものは褒めるんじゃなかったのかよ」
「言いやすい相手と言いにくい相手がいるんだ」
「いやいや、褒めるのは惚れた女が優先だろ」
ずけずけと言いたい放題言ってくれる。
ニヤニヤと笑い、肩を竦めて呆れ――そして、少し真面目な声色で。
「それが出来たら苦労はしない」
「ま、そらそうだ。お前はそういうのは苦手そうだし」
「……もう少しさっきのままがよかったな」
「何か言ったか?」
「言ってない」
語尾が震えた。
眼前の奈月に変化が見られないから、きっと気づいたのは自分だけ。
心の揺らめきを悟られないように、できるだけ平静を装った。
冷や汗をかきながら、少しばかりの諧謔を交えながら。
「映画館で
「お、もしかしてオレに見惚れてた?」
「ああ。おかげで後半の内容は、ほとんど頭に入ってない」
「かーっ、照れるな」
『美人過ぎてすまん』
相も変わらず口を開けばバカなことばかりほざいているが、それでも衛が奈月に見惚れていたことは否定しようのない事実だ。
先ほどまでの女のふりモードも似合っていたが、こうして肩の力を抜いてざっくばらんに語り合う男モードでも違和感はない。
どちらにしても『黒瀬 奈月』は魅力的であることは間違いない。
「だがよう、岡野。オレは顔だけじゃねーぞ」
ニヤリと笑った奈月がふんぞり返ると、豊かな胸元が突き出される。
普段の制服姿でも、眼前の私服姿でもハッキリわかる魅惑的な双丘。
とっさに顔を背け、同時にチラチラと視線を向ける一方で……衛は妄想を閃かせた。
体育の授業などを思い出す限り、奈月の身体には贅肉の類はどこにも見当たらなかったはずだ。
求められるところには十分なボリュームがあり、求められないところは引き締まっていて、奈月の肢体は概ね理想的と呼んで差支えのない曲線を描いている。
同年代の女子と比してもハイレベルなシルエットは、それこそ彼女がしばしば鑑賞しているグラビアアイドルに勝るとも劣らない。
本人をして『完璧』と自慢げに誇るだけあって、確かに『黒瀬 奈月』は『顔だけ』などではない。
自画自賛が過ぎるきらいはあるが、自意識過剰ではないし自信過剰でもない。
奈月の自己評価は、おおむね適正だ。
――この身体を好きにできるって言われたら、テンション上がるかもな。
以前に『顔最高、身体最高、オレ最高』などと口にしていたときはジョークの類と解釈していたが、こうしてしげしげと観察してみれば……これはあながち冗談とも言い切れない。
『もし自分が女に生まれ変わるなら』と考えれば、確かに眼前の少女は理想的な姿をしている。
率直にそう思った。
『理想的な美少女』と差し向かいでお茶している。
その認識が、衛の頭を焦がし続けている。
「おいおい、ボーっとしてんなよ、岡野」
伸びてきた手が衛の頬をつねる。
力は込められていないので痛みはないが……頬が勝手に熱を持った。
その熱が奈月の指に伝わることに恐怖を覚え、からかい交じりの笑みが無性に癇に障った。
「やめろって」
払いのけようとした衛の手と奈月の手が空中で重なる。
絡み合った指から、奈月の体温を感じた。
「……ッ」
映画館の記憶が甦る。
あの時は闇の中だったから、奈月の顔は見えなかった。
今は――雰囲気のある喫茶店の照明が彼女の表情を明らかにしている。
お互いに至近距離であったし、遮るものは何もなかった。つまり、丸見えである。
「……」
「……」
一瞬の間があった。
ふたりとも声を上げることはなかった。
きょとんとした顔の奈月と真正面から向かい合う。
そして――
「おいおい、何マジになって……」
苦笑を浮かべた奈月の表情が――固まった。
その漆黒の眼差しは衛の顔から少しズレていて、不審に思った衛が視線を追うと……窓の外から向けられている碧い瞳とぶつかった。
――碧い?
碧い、瞳。
人形のように整った顔立ちと、陽光を孕む亜麻色の髪。
見覚えのある組み合わせだと、どこか他人事のように感じられて……それが他人事ではないと気付くまでにわずかな時間を要した。
「あ、梓!?」
「春日井!?」
奈月の口から漏れた悲鳴が衛の耳朶を強かに弾き、ようやくガラスを挟んだ先に立っている少女が誰なのか思い至った。
梓。
『春日井 梓』
奈月の恋人にして、衛の想い人。
そんな彼女が、テーブルを挟む衛と奈月を目の当たりにしている。
それが、今、この瞬間の現実だった。
『た の し そ う ね』
梓の唇が動いた。
ガラス越しだから声は聞こえなかったが、何を言ったのかはハッキリとわかった。
表情は穏やかで、ともすれば笑みを浮かべているようにすら見えるのに……その眼差しはどこまでも冷たい。
真冬の吹雪を思わせる眼光は、やはり衛から少しズレていた。
碧い瞳は衛と奈月の接触点に向けられている。
すなわち――絡み合うふたりの指と指。
『春日井から、今の自分たちはどのように見えているだろう?』
彼女の目が捉えているものの正体に思い当たった瞬間、衛の背筋を寒気が駆け上がった。
同時に、指先越しに奈月の震えを感じた。
ヤバい。
本能が察した。
しかし、身体が動かなかった。
「ちょ、ちょっと待て、梓!」
身じろぎひとつできない衛とは裏腹に、奈月は動いた。
動くところまではよかったが……慌てて腰を浮かしかけて、太腿をテーブルに打ち付けて尻もちをついてしまった。
クッションが効いた椅子のおかげで大事には至らなかったが、痛みはあるらしく今すぐに再び立ち上がることはできそうにない。
付け加えるならば、今日の奈月は外出仕様のコーディネート。
重視しているのはビジュアルであり、機敏な動作を考慮したものではない。
ガシャンとティーセットが耳障りな音を鳴らし、店内の客の視線が集まってくる。
好奇心と非難が入り混じった感情のうねりを肌で察した衛だったが、さすがにこの状況で見ず知らずの人間を慮る余裕はなかった。
――どうする!?
梓を追うか。
奈月を介抱するか。
ふたつにひとつ。
迷った。
迷ってしまった。
迷っているうちに――梓は人ごみの中に姿を消していた。
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