第7話 帰宅 その1
――なんなんだ、この展開は!?
太陽が西に傾く帰り道で
視界の端を亜麻色が掠める。穏やかな風に靡いて揺れていた。
隣を歩いている『
「校門までじゃなかったのか?」
余計なことを言う必要はないのではないかと思いはしたが、尋ねずにはいられなかった。
秘かに(認めたくはなかったが周囲にはバレバレらしい)想い焦がれる女子と並んで帰宅するなんて、今朝の段階では思いもよらなかった。
――
拗れ気味だった
だから、黙ってこの幸運を享受すればいい。そう思う自分がいた。
同時に、納得できていない自分もいた。
――上手くいきすぎると不安になるの、なんなんだろうな?
わざわざ問わずとも答えはハッキリしている。
生まれつきチキンな小市民だからだ。
自覚があるだけに凹む。
もっとこう……毅然とするか、あるいは鷹揚な感じでいきたいのだが。
「別に
桃色に艶めく唇から漏れ聞こえた声は耳に心地よかったが……少なからず非難めいた響きが混じっているように感じられたのは被害妄想の類が強すぎるだろうか。
努めて梓を見ないようにしながら、衛は心の中で自問した。
答えは……あまり考えたくなかった。
「私は電車通学だから駅に向かっているだけ。でも、私、今まで岡野君を駅で見たことがないわ」
どうしてあなたは付いてくるの?
横目で様子を窺うと、梓の碧い瞳は訝しげに細められていた。
最大限好意的に解釈しても、思いっきり疑われていると認めざるを得ない。
少しでも長く梓と一緒にいるために、無遠慮に付きまとっていると勘違いされていることを。
自意識過剰と嗤うことはできない。
『春日井 梓』の美貌と人気を鑑みれば、むしろ良くある話と考える方が妥当だ。
――これは良くない。
言い訳を口にするのは好みではなかったが、梓の誤解を解く必要性を考慮するならば主義を曲げることも吝かではない。
行き過ぎない程度に自己の正当性を主張する。
『加減が難しいな』と嘆いていられるほど悠長な状況ではなかった。
梓が『付いてくるな』とハッキリ言ったら終わりなのだ。
そこから食い下がる勇気や根性の持ち合わせはない。
「俺の家は駅の向こう側だ」
「そう」
「あと、帰りに駅前のスーパーで買い物もしておきたい」
「岡野君が、お買いもの?」
「ああ。ウチはそういう家事分担になっている」
疑念が滲む梓の問いに頷いた。
口から出まかせの類ではないから気楽なものだ。
基本的には力仕事を衛が担当し、料理は
帰宅が遅い両親に負担をかけないように、兄妹で決めたことだった。
どうしても疑うなら妹にも説明させてもいいと思ったが、そもそも梓の連絡先を知らない。
悲しい現実を目の当たりにして、また凹んだ。
「勉強頑張って、生徒会も頑張って、その上お買いものまで……」
指折り数える梓の声に悪意や敵意の類は感じられなかった。
どちらかというと賞賛とか感歎の類が交じっているように聞こえた。
ホッとすると同時に、『褒められるほどのことでもないな?』と首をかしげた。
自分と梓の価値観とか生活スタイルとか、改めて『違う』と考えさせられる。
その違いが良いか悪いかは、また別の話だが……『春日井 梓』という人間について、ここまで深く考えたことはなかったと気付かされた。
好きなのに?
好きだから?
さして親しくもない他人のプライベートに踏み込むことにためらいがあったし、それが女子、それも意中の女子となれば、なおさらだった。
それでも知りたいと考えるものなのだろうか?
鈍い頭痛にこめかみが疼く。
「そんなに変か?」
「……少なくとも、私はそこまでしてないわ」
「その辺はそれぞれの家庭で事情が異なるだけだろうさ」
比較することに意味はないと思った。
梓の家は(噂で耳にしたところ)相当裕福な家庭らしい。
羨ましいかと問われればもちろん羨ましいが……上流階級の振る舞いが自分にできるとは思えなかった。
自分は自分なりに、梓は梓なりに与えられた環境で精いっぱい日々を過ごしている。
ただ、それだけのことだ。
「岡野君は……いえ、岡野君のこと誤解してて、本当にごめんなさい」
「その話はもう終わってるはずだ」
「……そうね。私、ちょっと変」
梓の視線が少し下がった。
いつもは胸を張って遠くを見ている眼差しが、今は足元に向けられている。
それはそのまま彼女の心情を顕しているように見えた。
つまり、今の梓は凹んでいる。
――見ていられない。
心の中で独り言ちる。
梓を謝らせて悦に浸る気はない。
瞬間、衛の口が動いた。大げさに肩を竦めながら。
ワザとらしいほどに『やれやれ』と呆れる仕草を見せつける。
「まぁ、黒瀬と付き合ってる時点で変わっていると言えば変わっているか」
「……その話はもう終わっているはずだけど?」
ひとりごとに見せかけて呟いてみせると、横合いから冷たくて苦々しげな声が返ってきた。
注がれる視線の温度は下がり気味だったが、目線そのものは上がっている。
梓よりも衛の方が少し背が高いからだ。
――その角度がいい。
自然と口の端が緩む。
横合いから梓の視線を感じて、慌てて口元を手で隠した。
俯くのは『春日井 梓』に似合わない。
自分の好みを押し付けるのは独善に過ぎるだろうか。
考えたところで答えは出ないし、本人に尋ねるなんて言語道断だ。
物理的な距離が近くとも精神的な距離は遠かろうし、何ならふたりを隔てる壁だって聳え立っているだろうから。
「私とな……黒瀬さん、そんなに変かしら?」
「どうだろう? 旧校舎で見たときはビックリしたが」
自身に同性愛嗜好がなくとも他者の同性愛嗜好を咎めるつもりはない。
それでも……その性癖が一般的かと問われれば首を横に振るに違いない。
たとえ頭が固いとか考え方が古いとか責められても、驚くことは驚くのだ。
それはそれとして。
梓の眉間に刻まれた皺を見て、気が気でないのも間違いないのだが。
「変わっていると言ったりどうだろうとかはぐらかしたり、岡野君って案外性格悪いわね」
「心外だな。驚いたのはウソじゃないぞ」
「そんなに?」
「ああ。あまりにも……きれいだったから、声をかけるのに勇気が要った」
ウソはついていない。
薄暗い旧校舎の片隅でキスを交わす奈月と梓は、本当に言葉を失うほどに美しかった。
まるで映画のワンシーンのように。
……もちろん気まずかったことも確かだった。
「黒瀬さんは、きれいだものね」
「春日井もきれいだった」
「ありがと」
結構思い切って『きれいだ』と告げたのに、反応は素っ気なかった。
ひきつる口元に力を込めて、喉の奥から言葉を絞り出す。
「でも、校内でああいうことはしない方がいいと思う」
「それは反省しているわ。岡野君が声をかけてくれなかったら、外部の人に見られてたんだって……家に帰ってからゾッとしたもの」
でも。
梓は反省しているようだったが、納得しているわけではなさそうだった。
微妙な感情の移ろいが手に取るようにわかる。
意外と顔に出るタイプらしい。
「でも、なんだ?」
「……我慢できなかったの」
「そんなに我慢できなくなるものなのか?」
「そんなによ。好きな人と一緒にいたい。好きな人と触れ合いたい。好きな人と……」
想いはエスカレートする一方で、しかし、ふたりは人目を忍ぶ間柄だ。
『厳しいのよ、家が』と投げやり気味に梓は付け足した。
「女同士で家に呼んだり呼ばれたりして一緒に遊ぶのは、別におかしくはなくないか?」
「黒瀬さんを家に呼ぶのは問題なくても、そんなことしたら……歯止めが効かなくなるわ」
そして、事に及んだところを家族に踏み込まれたら。
それは――旧校舎での一幕を上回りかねない窮地を招く。
ならばいっそ学校で……そう考えていたと梓は口元を歪めた。
ラブホテルといった選択肢が出て来ないあたり、育ちの良さが窺える。
「意外だ」
「何が?」
「春日井はもっと理性的な人間だと思っていた」
「今でも私は理性的なつもりよ」
理性的でいられる間は、だけど。
梓の声に自嘲が混じる。
おそらく本人にとっても奈月との関係は儘ならないものなのだろうと、容易に想像できた。
「黒瀬を前にすると理性的ではいられない?」
「無理ね」
即答で断言された。
驚きのあまり首を捻って梓を見やると――碧い瞳と目が合った。
「だって、恋ってそういうものだから」
『岡野君は、経験ない?』と問われて、答えられなかった。
言葉にできない感情が、胸の奥でうねりを上げていた。
重くて苦く、どす黒いものが。直視できないものが。
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