第6話 生徒会にて その2

春日井かすがいと仲直りしろって言われてもなぁ」


 まもるはひとり、ため息を吐いた。

 腕を組んで廊下を歩きながら。


――俺だってこのままでいいとは思っていなかったし……まぁ、会長の言うこともわかる。


 あずさに想いを寄せる男として、いつまでも彼女に嫌われ続けるのは好ましくない。

 ましてや原因は濡れ衣なのだ。

 本音を言えば奈月なつきの首根っこを引っ掴んで梓の前に突き出して、自分の目の前で弁明させてやりたいぐらいだった。


――それができるなら苦労はしない。


 額に手を当て、またため息。

 いくら奈月が男を自称しているからと言って、そこまで乱暴には扱えない。

 そもそも奈月はそのことを衛以外の人間には明かしていない。

 自分の名誉回復のためとはいえ、彼女にとってデリケートと思われる部分を暴露するよう強要するなんて……それはそれで衛の矜持にかかわる。

 

「そんなこと、してたまるか」


 小さな声で吐き捨てた。


「だが、どうするか……」


 自分と梓と奈月の問題だけならともかく、次代の――どころか次回の生徒会活動にも大きな支障が出ることは疑いようもない状態だ。

 こちらの現状も放置したままにはできない。

 関係者以外に迷惑をかけることも本意ではない。


「はぁ」


 何度目かのため息は、ことのほか大きく廊下に響いた。

 解決する取っかかりすら見つからないせいで、歩幅が勝手に縮こまってしまう。

 頭では早く梓に追いかけなければと焦っているくせに。

 

「あ」


 重い足取りで階段を降りて昇降口に辿り着くと、そこには腰まで届く亜麻色の髪が目を惹く同級生の後姿があった。

 見覚えがあるどころか、一度目にすれば絶対に忘れない・見間違えない姿だった。

 夕方の陽光に透ける髪は、ある種の幻想的な美しさを有していた。

 話に聞いたところでは、彼女の母方の祖母が北欧の出身とのこと。

 つまり、彼女――『春日井 梓』はクォーター。

 時おり校内で教師に叱られている連中のように染めているわけではない。


――春日井……


 胸に手を当てると、心臓の鼓動が強かった。

 梓の後姿を見ているだけで全身が熱を発し、呼吸が乱れる。

 喉はカラカラに乾いているし、舌は口の内側に張り付いて動いてくれない。


――仲直りしろと言われても、そもそも声をかけるのが難しいんだが……


 呆然と立ち尽くしていると――碧い瞳が向けられていた。

 いつの間にか、前を歩く梓が振り向いていた。

 冷たい眼差しに貫かれ、背筋が凍る。


――全然気づかなかったぞ?


「何か用、岡野おかのくん?」


 知性を感じさせる落ち着いた声。

 凛々しさが強い奈月のそれ(衛とふたりきりの時以外)とは異なるものの、耳に心地いい点は共通している。

 しかして、今日の梓の声からは少なからず棘を感じる。

 皮肉なことに、その痛みで衛の意識にスイッチが入った。


「その、春日井……少し話がしたいんだが」


「私は別に話したいことなんてないわ」


 素っ気ないを通り越して拒絶の気配が濃い。

 なまじ際立つ美貌を有している分、敵対的な感情が激烈に迸っていた。

 心の中で恋い慕っている相手にここまで敵意を向けられると泣きたくなってくる。


――これをどう聞いたら痴話喧嘩になるんだ?


『自分から話しかけてきたくせに』なんて言い返す勇気はなかった。奈月や大河相手なら言えるだろうなとは思った。

 切羽詰まった挙句、なんかもう『すまなかった』と背を向けてトイレに駆け込んで個室に引き籠りたい気持ちでいっぱいだったが――衛自身意外なことに口が勝手に動いてくれた。


「少しだけでいいんだ」


「……なら、校門の前までで」


 昇降口から校門まで歩いて五分もかからない。

 まともな会話をするつもりがないという確固たる意思表示だった。

 それでも、チャンスであることは間違いない。これ以上欲張る気にはなれなかった。

 完全に拒否しないのは、梓の側でも思うところがあるから……と考えるのは都合が良すぎるだろうか?

 疑問はあったが口にはしない。

 余計なことを口走って機会を潰すのはナンセンスだ。


「それでいい」


「そう」


 少しだけ口調が変わった。

 意外そうな声色が混じって、緊迫感が緩む。

 急いで靴を履き替えると、これまた意外なことに梓は出入り口で待っていてくれた。


「話って何?」


 梓は余計な前置きをすることもなく切り込んでくる。

 どこから話すべきか悩んでいた衛は、パニックで頭の中が真っ白になりかけて――


「俺は、この前のことを誰かに話すつもりはない」


 ギリギリで踏みとどまって、一番大切なことを率直に伝えた。

 現生徒会の雰囲気が最悪だとか、次代の生徒会の運営が思いやられるだとか、打算的な理屈はスルーした。

 それは衛なりの誠意のつもりだったのだが……対する梓は眉間に皺を寄せた。


「な……黒瀬くろせさんからは、そうは聞いていないわ」


――今、『奈月』って呼ぼうとしてたな。


 その推測に嫉妬を覚えた。

 いっそのこと奈月が梓にウソをついているとぶちまけてやろうかとも思ったが、やめた。


――意味がない。


 心の中で、またため息。

 意味がないどころか、おそらく逆効果にしかならない。

 衛と奈月の言葉のどちらを梓が信じるかと考えれば、それはきっと奈月だろう。

『奈月』と呼びかけて口ごもった梓は顔をプイっとそむけたが、その頬には朱が差していた。

 夕暮れの太陽の色――ではなく、彼女の心の顕われに他ならない。

 妹の漫画で読んだ、あるいは旧校舎で目にした『恋する乙女』そのものだった。

 

――黒瀬のことを悪く言うわけにはいかない。


 衛を取り巻く混乱の元凶が奈月の二枚舌であることに間違いはない。

 それでも、梓の前で奈月を悪しざまに罵りたくはない。


『お前の傍にいるとホッとするんだわ。気が抜けるっつーか』


 ふわふわと笑う奈月の顔が思い出される。

 あの顔が曇るところを見たくないと思った。

 だから――


「ああ、黒瀬からは何度も頼まれた。そっとしておいてくれってな」


 奈月に花を持たせることにした。

 彼女の懸命な説得で衛が心を動かされた。

 これが関係者全員に最大限譲歩した筋書きだ。

 梓と奈月、ふたりの笑顔を守るためには、これ以外の方法は思いつかなかった。

 多少は自分が割を食わされている感があったが……


――まぁ、それはいいだろう。


「……」


「……」


 梓の目と衛の目が合った。

 これまでにないほどの近距離で。

 思い返してみれば、初めてのことだった。

 生徒会がらみを除けば、まともに梓と会話したことなどない。

 憧れの『春日井 梓』とふたりきり(校門前まで)。

 状況がこんな有様でなければ、踊り出したくなるようなシチュエーションだ。

 なお現実は――


「ちょっと待って」


 校門を前にして、梓が口を開いた。

 会話の終了まで目と鼻の先。

 そんな場所だった。


「何か?」


「黒瀬さんに確認するわ。スマホ、いいかしら?」


「え……あ、ああ。どうぞ」


 わざわざ断りを入れてくるあたりが、何とも梓らしい。

 たとえ相手が疑わしくて気に食わない衛であろうとも、筋は通す。

 しかし――


――俺を睨みつけながら黒瀬と通話とか、結構器用だな。


 衛を見つめる瞳からは、相変わらず警戒心が滲み出ていた。

 一方で耳に端末を当てていた梓の口は『黒瀬さん』と呼びかけると同時に緩み、小さな白い手が慌てて口元を隠してしまった。

『聞かれたくないのなら、メッセージのやり取りでいいのではなかろうか?』

 そう思いはしたが、口を差し挟める状況ではなかった。

 梓は何度か『うんうん』と首を縦に振り――端末を切ってポケットに入れた。

 そのまま手を胸に当てて何度か息を吸って、吐いて。


「……」


 彼女の呼吸が整うのを無言で待った。

 衛も自分の胸に手を当てると、爆発しそうな心臓の鼓動を感じた。

 この状況でさえこんな有様なのだから、いざ告白するとなったらどうなってしまうのだろう?

 場違いな疑問が脳裏によぎった。

 梓はそっと目蓋を下ろし、再び目を開けた。

 透き通るような碧い瞳が、真っ直ぐに衛を射抜いてくる。


「酷い態度を取ってごめんなさい、岡野君」


 きれいに頭を下げた梓、その亜麻色の髪がわずかな風にたなびいた。

 素直に自分の非を認められる梓のことを――改めて素敵だと思った。

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