第5話 生徒会にて その1

 狭い一室に集まった生徒たち、その数五名。

 ただひとりを除いた誰もが口を閉ざし、机に視線を落としていた。

 唯一の例外すなわち正面を向いていた『ただひとり』は、亜麻色の髪と碧い瞳を併せ持つ少女だった。

 それはともかく――空気が重い。


「あ~、それじゃ他に何も案件はないな。なら、今日の生徒会活動はこれまでとする」


 のろのろと顔を上げた女子生徒(制服のリボンの色から三年生とわかる)の偉そうな、しんどそうな言葉とともに四人の生徒が席を立った。

 室内に沈滞していた空気がわずかに緩む。

 特に三人――四人のうち我先にと立ち上がった三人の所作からは、あからさまな安堵が滲んでいる。

 なお、お誕生日席に座ったままの女子(解散の合図を口にした三年生。ショートボブの黒髪に眼鏡が似合っている)の顔には、疲労が滲んでいた。

 誰にもねぎらわれない少女が、視線を虚空に投げたまま口を開く。


岡野おかの、ちょっと残れ」


「……はい」


 呼ばれた男子――まもるはわずかに顔をしかめてから椅子に座りなおし、部屋を後にする三人の男女の背中を羨ましげに眺めていた。

 正確には、亜麻色の髪をたなびかせる少女の背に目が釘付けになっていた。

『ふーっ』

 反対側から、大げさなため息が聞こえてくる。

 衛に聞かせるためであることに疑いようはなかった。


――どう考えても説教だよな、このパターンは。


 聞こえなかった振りをして帰っておけばよかったのではないか。

 そう思いはしたのだが、そんなことができるほど図々しくはなれない。

 しばしば『生真面目』と評される衛だったが、自分では単に要領が悪いだけだと思っている。


「俺に何か用ですか、会長?」


 沈黙に耐えきれず口火を切った衛に、三年生の女子――現生徒会長はジト目を向けてくる。

 眼鏡の奥から見つめてくる目は、後輩を詰る気持ちが多分に込められていた。


「心当たりがないとは言わせないぞ、岡野」


「いや、その、はい……すみません」


 心当たりがあったので頭を下げた。

 解散と同時に衛を一瞥することなく部屋を去った少女――『春日井 梓かすがい あずさ』の顔が思い出される。

 彼女の眼差しはゴキブリを見るそれだった。衛に対してだけ。

 ここ数日の生徒会がまともに機能していないのは、不機嫌な彼女が発する無言のオーラによる部分が大きい。

 それはそれとして。

 想いを寄せる女子にそんな目で見られるなんて……正直泣きたかった。

 その上今度は説教ときた。

『泣きっ面に蜂』とは正にこのこと。


「まったく、痴話喧嘩は余所でやってくれ」


「痴話喧嘩?」


 会長の口から出てきた単語に意表を突かれた。

 真意を掴みかね、眉間に皺を寄せつつ眼鏡のレンズ越しに会長を見やる。

 対する会長が衛に向ける視線は思いっきり胡乱げなものだった。どう見てもご機嫌斜め。

 

――腹の探り合いは……良くないな。


 腹芸の類は苦手だった。

 たった一年早く生まれてきただけの先輩は、しかし、衛よりもはるかに多くの場数を踏んでいる。見た目は一介の女子生徒に過ぎないのに、その中身たるや――教師たちや部活の連中、生徒の父兄や学校周辺の地域住民にすら一目置かれるほどの経験と実績を積み上げてきた傑物だ。話術で敵う相手ではない。


「違うのか? 梓の雰囲気がピリピリしすぎて息ができなかったんだが」


「痴話喧嘩ってカップルがやる奴ですよね? 俺と春日井は付き合ってるわけじゃありませんよ」


「じゃあフラれたのか?」


「フラれてません」


 そもそも告白してもいないのに。


「え、ホントに? フラれてないなら、ひょっとして付き合ってる? 夫婦喧嘩? いや、でもお前『付き合ってない』って言ったよな? わかるように説明しろ」


「説明も何も……俺と春日井には何もありませんから」


 口から出てくる言葉が苦かった。

 喉を通る際に痛みすら覚えるほどに。

 心のかさぶたを自分ではがしているような、拷問あるいは自傷的な辛みがあった。


「何を今さら。梓のこと好きなんだろ?」


『お前はいったい何を言っているんだ』と呆れる会長の指摘に、衛の頭がぐらりと揺れた。

 どいつもこいつも奈月と同じことばかり口にする。


「そんなことありません」


「……目が泳いでるぞ」


「誘導尋問には引っ掛かりませんから」


「いや、本当なんだけど……気づいてない?」


 会長の声はいつになく優しげで、気遣わしげですらあった。

 だからと言って、ささくれ立ち気味な心を撫でまわしてほしくはなかった。

『ハッキリ言っておくべきか』

 机の下でこぶしを握り締め、そんなことを考えた矢先――


「ま、この件については梓の気持ちもわからなくはない」


 言外に『お前が悪い』と責めてくる。

 まったくもって心外だったから、勝手に顔をしかめてしまった。


「岡野、お前……最近『黒瀬 奈月くろせ なつき』と仲がいいそうじゃないか?」


 声に粘度が増した。

 咎めるような目つきに締め付けられる感覚。

 泥の海で溺れるような息苦しさに耐えきれず、呼吸が乱れる。


「べ、別に仲良くしているわけじゃありませんよ」


「毎日のように昼飯を一緒に食べておいて、それは通用しないだろ」


「……それは」


 まったくもってそのとおりだったので返す言葉がなかった。

 今日の昼休みに奈月がゲロった『口止めのためってことにしてあるから』なんて理由は、たとえ梓以外の人間であろうとも漏らすわけにはいかない。

 この手の話題はどこで誰が聞いているかわかったものではないし、これ以上悪評を広められるのは真っ平御免だった。

 そもそも『口止め』の内容を説明できない。

 自分の身の安全を買うために、奈月や梓を売るつもりはない。


「……それが、春日井の機嫌を損ねる理由になるんですか?」


 自分で言っていて白々しいと思った。

 ことの発端である奈月と梓の逢瀬(を衛が目撃した件)を思えば、彼女の想い人である奈月と急激に距離を詰めている自分に苛立ちを覚えるのは的外れとまでは言えない。

 あるいは『口止め』と称して、裏で何をやっているのか気が気でないのかもしれない。


――妹のマンガで見たな、そんなシーン。


『バラされたくなかったら、俺の言うことを聞け』とか。

 ありえない。

 自分はそこまで悪辣な人間ではないし、奈月はそこまで殊勝な人間ではない。

 梓にしたって現実と妄想の区別ぐらいはつくだろう。


――そもそも、アイツがヒロインって柄か。


 愚痴とともにため息が漏れかけた喉が――止まる。

 会長から向けられる瞳に宿る光が思った以上にガチだったから。


「そりゃそうだろ。ついこの前まで自分に気があると思ってた男子が別の女子に色目を使い始めたとなったら、いくら梓だって面白くないって」


「……は?」


 聞き間違いかと思ったので『もう一回お願いします』と言ったら、表現し難い表情を浮かべられた。

 様々な感情がごちゃ混ぜになった顔。

『写真に撮ってコンクールに出したら、かなりいいところまで行きそうだな』と他人事のような感想を抱いてしまった。前衛的な奴だ。


「岡野……お前、ちゃんと梓の気持ちを考えてみろ」


「だから、さっきも言ったとおり俺と春日井は付き合ってるわけじゃなくてですね」


「付き合ってる付き合ってないは関係ない。梓にしてみたら自分よりも黒瀬の方がいい女だと思われてると判断せざるを得ない状況なわけだ。プライドの問題だよ」


――そ、そんなバカな!?


 濡れ衣だと叫びたかった。

 自分と奈月は付き合ってなんかいない。

 名誉棄損だとも思った。

 梓はそんな邪推をするような女性ではない。


「いったい何の根拠があって」


「根拠って……お前なぁ」


 呆れ交じりの声、そして表情。

 会長は衛から視線を外し、席を立った。

 何も言わないまま窓からグラウンドを見下ろす彼女には、きっと部活に精を出す生徒たちが見えているはずだった。


「なぁ岡野、私ももう引退だ」


「いきなりなんですか」


「そのままの意味だ。会長選挙が近い。順当にいけば、お前か梓が会長になる。残った方が副会長だ」


 唐突な話題変更に戸惑いを覚えはしたが、異議はなかった。

 生徒会会長選挙は一学期の期末試験が終わってから夏休みの間までに行われる。

 会長は基本的に二年生から選出されて、任期は一年間。三年生は夏休みに入る頃には大学受験に本腰を入れることになるから、選挙がこのタイミングになるのは致し方ない。

 そして現在の生徒会の二年生は三人いて、そのうちふたりが衛と梓であり、どちらかが会長でどちらかが副会長になるというのが校内の大半の認識であった。

 ことさらに自賛しているわけではなく、衛もそう考えている。

 だが、それと今の話がどうつながるのだろう?

 衛は口元を引き締めて次の言葉を待った。


「新しい生徒会長と副会長が最初から揉めているなんて……そんなことになったら私も安心して引退できないわけでな」


 お前、ちょっと梓と仲直りして来い。

 振り返った会長は、笑顔でトンデモナイ難題を投げつけてきた。

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