上司に殺されたので、異世界で仕返しすることにしました

廿楽 亜久

契約

 頭が割れそうな痛みと吐き気。


「今回の収穫は、ひとり?」

「最近は失敗ばかりだったしな。ひとりでも、成功したならいいだろ」


 ひどく耳鳴りのような頭痛の中、誰かの声がするが、全く理解できない。


 むしろ、頭痛がひどくなる気がするから、黙ってほしい。

 考えることすら億劫だ。


 重く伸し掛かってくる瞼に、抵抗する気力はなく、そのまま瞼を閉じた。


*****


「―― ヘイ」


 誰かの声に意識が浮上してくる。


「ヘイ。お目覚めの時間だぜ? 嬢ちゃん」


 小刻みに揺れる床と誰かの声。

 自分に呼びかけられているような気がして、瞼を開けば、だるさは残るが、割れるような頭痛は無かった。


 これなら起き上がれそうだと、体を起こし、顔を上げれば、目の前には檻。

 それから、こちらを見下ろす青白く光るスーツの、何か。


 そいつの頭部は、長方形の薄型のディスプレイのようで、少なくとも人間とは思えないのに、体は人の形をしていた。

 着ぐるみだとしても、頭部のディスプレイの厚みは頭が入るほどではない。

 ”人間”と称するには自信がないが、他に何かと問われると全くわからなかった。


「グッドモーニング。良い朝だな」

「……はい?」


 檻の向こうにいるそれも理解できないが、状況も全く理解できない。


 檻は、どうやら私を捕らえるための物で、鍵は向こう側についている。

 どう考えても、目の前のそれにつけた方がいいと思うのだが。


「状況が飲み込めてないみたいだな」


 飲み込める要素がないと思う。

 ただ、目の前の画面に映された顔文字ような顔のおかげで、辛うじてディスプレイスーツの表情は理解ができた。

 今は、”呆れ”。


「端的に言えば、お前は『生まれ変わって早々、売られそうになってる』」


 嘲笑と共に語られた言葉は、簡単には理解することはできなかった。


「どういうこと?」

「言葉通りの意味だ。お前は生まれ変わって、今オークション会場に移動中」


 どうしよう。何も情報が増えない。

 辛うじて理解できるのは、私が一度死んで、生まれ変わった事。

 そして、生まれ変わって、早々オークションに売られるために檻に入れられていること。

 それから、赤ん坊というほどではないが、体は記憶にあるよりも、ずっと幼い。


 整理するにも、整理するほどの情報がないということしかわからない。


 そもそも、目の前のディスプレイスーツは何なのだろうか。

 この際、人間かどうかは置いといて、立場としては、人身売買の関係者だろうか。


「貴方は、誰? 私を売ろうとしてる人?」


 質問を口にしてみれば、脳が少し整理できたのか、フラッシュバックのように思い出される先程の記憶。


 頭痛がひどかった時だ。

 こことは別の場所で、眠る前に誰かの声を聞いた。

 もしかして、その声の主だろうか。


「違う。俺は…………まぁ、細かいことはどうでもいいだろ」

「細かくないんだけど」


 状況もわからない。

 話している相手もわからないでは、理解しようにも理解できない。


「…………ちょっとイタズラし過ぎた悪魔だ」


 画面に映される、こちらを苛立たせようとしてくるウインクしている顔に、少しイラっとしてしまった。


「それで、そのイタズラ好きの悪魔さんが、一体何の用?」


 明らかに煽ってきている、ディスプレイスーツに流されてはいけない。

 よくわからないが、目の前のディスプレイスーツは”悪魔”だという。

 悪魔など、物語の中でしか見たことがないが、実際目の前にいるのだし、自分すら生まれ変わったと言われてしまっていては、悪魔がいても些細なことだろう。

 少なくとも、煽ってくるような悪意のある奴への対応が変わることはない。


 冷静を保ちつつ問いかければ、ディスプレイスーツは、こちらを見下ろす。


「不本意だが、天使の連中に刑罰として、お前に尽くせって言われてるもんでな。仕方なく、渡されたお前の魂を、テキトーに幸薄そうな奴に放り込んだら、即オークション行きとはな。俺様もビックリだ」


 ジョークだとばかりに笑っているが、今の短い言葉の中に、色々ツッコミたいところが多い。多すぎる。


 どうやら、ディスプレイスーツは”イタズラ”し過ぎて、天使に罰として死んだ私の魂を渡された。

 刑務所の社会貢献作業的なものの、個人版のようなものだろうか。

 それが刑罰で、このディスプレイスーツは、手っ取り早く奉仕活動を終えるために、不満の多そうな、元のこの体の持ち主に、私の魂を放り込んだ。

 そして、予想以上の速さで、奉仕のタイミングが来てしまったと。

 そういうことだろうか。


 我ながら、素晴らしい悪運だと思う。


「ってわけだ。一応、俺様はお前に尽くすことになってるしな。”願い事”を聞いてやるぜ?」


 昔読んでいた絵本の悪魔もこんな顔をしていた気がする。


『ここから助けてほしい』


 それが、ディスプレイスーツの予想している私の言葉だろう。


「結構です」


 だから、拒否することにした。


「…………」


 案の定、嗤っていた見下ろしていた顔が真顔になり、足を組んでいたのを足を開いて、背を丸めてこちらを覗き込むように見下ろしてくる。


「…………Mマゾか?」

「は?」


 ただ、予想通りとばかりに高みの見物をしている奴の思い通りにしたくないというだけだ。


「ハッ! だとしたら、相当のおツムがイカれてんだな! その程度で、俺様が落ち込むとでも? 人間の一匹程度で、蚊に刺された程度だ」

「ふぅーん……じゃあ、例えば、『売られた先にも、一緒についてきて、逐一私の願いを叶えて』ってお願いしたらどうなるの?」


 そう問いかければ、嬉しそうに笑っていたはずの画面の口が、消えた。


「貴方は”私に尽くせ”って言われてるんでしょ? イタズラ好きの悪魔さん」


 本当に、ディスプレイスーツの言葉が正しいならば、私の願いを無下にすることはできないはず。


 状況としては、全くそうは思えなくても、立場としては、目の前のディスプレイよりは、私の方が上ということになる。


「もし、貴方が死ぬまで、貧しい人間にパンを与え続けなさいって言ったら――」

「――――ハッ!」


 私の言葉を遮り、被せるように続けられる言葉。


「そんなことをさせられるなら、テメェを殺した方がマシだな!」


 目の前のディスプレイが、壊れたテレビのようにノイズ交じりの点滅し始める。


 バチバチと弾けるような光。頭痛が脈動し、視界が歪む。

 頭痛と吐き気の中、無我夢中に、檻の間から手を伸ばし、指先がディスプレイスーツに触れた瞬間、力任せに引っ張った。


 直後、光の点滅は、ガシャンと音を立てて止まった。


「テ、メ……なにしやがる……」

「それはこっちのセリフよ。ポリゴンショックは禁止だって知らないの?」

「あの電気鼠と一緒にするんじゃねェ……」


 檻のこちら側と向こう側で、お互い頭を抱えるように蹲り、恨み言を零し合う。

 ようやく回復してきたはずの頭痛と吐き気に、小さな地震が起きているような揺れ。それから、とても腹立たしい感覚。


 どこか覚えがある。

 デジャブというやつだろうか。


『若いんだからもっと飲めるだろう?』

『ほらほら、せっかくなんだから飲みなさいよ。お酒も最近高くなっただろう?』

『安い酒を飲むから、酔うんだよ。良いお酒は悪酔いしないから』


―――― いや、ある。


 意味の分からない理論で、酔って羽目を外した上司が無礼講だとかいいながら、ひたすら酒を注いできて、飲み干さないとその場だけではなく、翌日の職場まで引きずられる。

 タイムカードを切っているから、パワハラ許されるよね大会場。


「…………?」


 しかし、その先の記憶がない。


 酔っても、記憶が無くならないタイプだったはずだが、あまりに嫌な記憶過ぎて忘れたのだろうか。


「そりゃお前、その後、死んだからだろ」


 ディスプレイを撫でながら、顔を上げたディスプレイスーツが、呆れた声で私の疑問への答えを教えてくれた。


 死んだ。

 あの宴会会場で。

 それはよくあるアレだ。


 ” 急性アルコール中毒 ”


 ニュースでよく見ていたけど、実際に自分がなった上に、それで死んでしまったことを知ってしまうと、妙な恥ずかしさがある。


「その後の事、教えてやろうか?」


 膝に肘をついて、見下すように笑うディスプレイスーツは、小話でも話すかのように言葉を続けた。


「お前の上司様は、酔い潰れたお前にコートを掛けて、座敷の隅に寝かせておいてやったのさ。宴会が終わっても起きねぇお前に、タクシーに乗せるほどのお優しい上司様だったんだな」


 で、タクシーの運転手が、あまりに起きない私に違和感を感じて、起こしたところ冷たくなっていることに気が付いたと。


「本当に優しすぎて、穴という穴からビールを注いでやりたいわ」

「ハッハーーッ!! そりゃいい!! そいつを願いにしろよ!」


 本当にそれを願いにしてもいいかもしれない。


「嬢ちゃんの願いっていうなら、悪行だって仕方ねェもんなァ?」


 悪魔らしくイヤらしく嗤う様は、本当によく似合う。


 というか、ディスプレイスーツにとっては、そっちの方が目的なのだろう。


「…………ねぇ、それを私の見えるところでやってって言ったらできるの?」


 報告だけ聞いたって、何も面白くないし、すっきりもしない。

 仕返しは、目の前でしてほしい。


「できねェな」


 意外な答えだった。


「ここは、嬢ちゃんたちがいた世界じゃない。さすがに、人間そのものは持ってこれねェよ。だから、嬢ちゃんだって、魂だけ寄越されたんだし」

「違う世界?」


 知らない情報が多すぎるが、確かに檻といい、妙に揺れる荷台の様子といい、オークションといい、言われてみれば現代とは思えない。

 どうやら、世界が違ったらしい。


 生まれ変わりに加えて、異世界とまできたか。


「…………魂なら持ってくれる?」

「そりゃ可能だ」

「じゃあ、それでいいや」


 私と同じなら、魂だけ持ってきても、適当なクソ上司に似ている人間の器に詰め込めば、ほぼ上司の完成である。

 ほぼ上司に、思いつく嫌がらせをしまくれば、少しはこの心のもやもやが晴れるだろう。


「なにを騒いでるんだ!! お前は大切な商品なんだ! 大人しくしてろ!!」


 薄暗い部屋に開けて入ってきた、ディスプレイスーツよりも質の悪そうなスーツを着た男は、檻の前に座るディスプレイスーツを見て、体を震わせた。


「――――!! ――!!」

「ミーティング中だ。ミュートしてな」


 男は顔を青くして、何か叫んでいるが、声は聞こえない。

 ディスプレイスーツの仕業だろう。


「さっきの願いなら、お互いウィンウィンだと思わない?」

「サイッコーの契約だと思うぜ?」


 きっと、私は今、このディスプレイに映る顔と同じ顔をしているのだろう。


「それじゃあ、まずはフライングした観客に退出願うとするか」


 立ち上がったディスプレイスーツは、逃げようとして何かに捕まっているスーツ男に向かって歩き出す。


「待って」


 その足が床につく前に、それを止めれば、不思議そうに腰に手をやりながら、振り返ったディスプレイスーツに、スーツ男を殺そうとしているならやめてほしいと口にすれば、尚更首を傾げられた。


「!!」


 嬉しそうに目を丸くしたスーツ男のことは無視して、こちらに半分体を向けたディスプレイスーツに言葉を続ける。


「オークション会場ってことは、そこにはお金があるんでしょ?」


 それも、たんまりと。


 これからどう動くにしろ、金があって困ることはない。


「――――」


 スーツ男が真っ青な顔とは、対照的に青く発光しているディスプレイスーツ。


「イエス。マイ マスター」


 そのディスプレイに映る口元は、それはもう限界とばかりに歪めて笑っていた。


*****


「お次は、今回の目玉商品! ”アマルガムガール”です!!」


 ”アマルガムガール”?

 聞き覚えのない単語だ。


 しかし、牢屋の上からかけられた布が剥ぎ取られ、当てられた照明のおかげで、それが誰を差しているのは、嫌というほどわかった。


「少年少女20人の魂を錬成して作り出したアマルガムガール! 20人分の魂がひとつの魂へ奇跡的な配合で成り立っている、まさに奇跡を身に宿した貴重な存在です! その中でも今回は貴重! 自我がはっきりとしている完全体での提供です!! そのまま使っても良し、小さく切っても良し! 自分好みにカスタマイズ可能です!!」


 丁寧にアツく説明してくれいるようだが、残念なことに、そのアマルガムガールとやらは、全く別の世界の死んだ魂を放り込まれただけの屍だ。

 偽物に他ならない。


「神の恩寵を受けた魂と肉体! 50万から!」


 金額の価値はわからないが、ほんの数秒で10倍まで上がった価格。

 まだまだ上がりそうな勢いだ。


「800万」


 特に、客席中段、ステージ目の前のVIP席のような場所に座る、目元のマスクの上から双眼鏡でこちらを見ている小太りの男。

 アイツが、値段を吊り上げている。


「1200万」


 だが、私の値段はついに決まったらしく、木槌が鳴り響く。


 1200万。

 少なくとも、ここにいる金持ちそうな服装のほとんどの人間が、手を上げられないだけの価格。

 それ以上のことはわからない。


「何か言ってみせろ」


 商品の確認に来たのか、ステージに上がってきた男は、私を見下ろしながらそう言った。


 それにしても、ディスプレイスーツはまだだろうか。

 会場に現金はないだろうからと、今は別行動しているところだが、オークションの目玉商品の落札も終わった。

 オークションも閉幕。そろそろ戻ってきてもいい時間だ。


「マスクの下、見せてもらえますか?」


 体型としては、小太り中年人間。一応、私を買った持ち主。


「主人な顔を覚えようとは、殊勝な心掛けだな」


 自慢げに口端を上げる男は、私にだけ見えるように目元のマスクを少しだけ上げる。


 会場でマスクを取るのが禁止なのだろうか。

 仕方なく、覗き込むように、男を見上げる。


 ただでさえ、逆光で見えにくいのに、マスクを上に上げるもんだから、完全に影になってしまっている。バカなんじゃないだろうか。

 だが、ふと青白い光がマスクの下を照らした。


「…………及第点」


 体系も含めて、ギリギリ上司っぽい。


「マジかァ? 似てなくないか?」


 私と同じように、首を傾げながら男の顔を覗き込むディスプレイスーツの姿に、会場がざわつく。


 異世界と聞いていたし、あまりにも普通にいるものだから、この世界ではディスプレイスーツの見た目は、一般的かと思っていたが、どうやら違うらしい。

 会場にいるほとんどが、ディスプレイスーツを指差し、恐怖に慄くように叫んでいる。


「金と魂は持ってきたの?」

「もちろん。マスターの頼みとあらば、公園のベンチで薄くなった髪をカラスに毟られてた男の魂ひとつ、当日配送ってな」


 視界の隅で開かれたディスプレイスーツの手の平には、淡い光を放つ炎。

 曰く、クソ上司の魂らしい。


「うん。素晴らしいわね。じゃあ、さっそく、やりましょう」


 ちょうど、ここは舞台の上だ。

 

「もっと吟味しなくていいのか?」

「リサイクル不可能なの?」

「まさか!」

「なら、いいわよ。感情には鮮度があるし、モチベーションは小さな報酬と成功の積み重ねよ。要は、”やってみなきゃわからない”」


 何度も魂を取り出して作り直せるなら、何度だって気が済むまで続ければいいだけじゃないか。

 振り返って、こちらを見つめるディスプレイスーツに目をやれば、肩をすくめて笑った。


「オーケー。マスター。サイコーにクールなエンターテイメントを御覧に入れましょう」


 ディスプレイスーツは、会場の人々の視線を集めながら、ステージに立ちあがった。


 甘いジュースに、スナック菓子のような揚げた小麦のお菓子。

 先程まで、現在ステージの上にいる男が使っていた椅子の座り心地は良く、ゆったりと足伸ばして、ステージを鑑賞できた。

 だが、重要なステージはといえば、濁音ばかりのユーモアの欠片もない叫び。もちろん、拍手はない。


「…………」


 つまらないな。


――――パチ


――――パチパチ


 突然、足元から聞こえてきた乾いた拍手の音に、目をやれば、先程まで行儀よく座っていた品の良い男が、床で手を叩いていた。

 男だけではない。ディスプレイスーツが、何かをするたびに、応えるように拍手が沸き上がる。


「セルフレスポンス? 寒くない?」

「演者に厳しいゲストだな……だったら、手拍子のひとつ、合いの手ひとつしてみたらどうだ?」


 大して美しくともなんともない、むしろマイナスの体に赤ワインを注ぐディスプレイスーツは、その手を一度止めて振り返ると、椅子の背もたれの上を歩きながら、私の前で足を止めた。


「体験型エンターテイメントで、触れず触らずで☆5なレビューはできねェぜ?」


 そう言って、仰々しくこちらを誘うように手を差し出してくる。


「どうぞ。お手を。お嬢さん」


 甘いジュースを吸い上げるストローが、中身が無くなったことを知らせるために音を鳴らす。


「…………」


 吸いつくしてしまった物へ執着したって意味はない。

 新しく注ぐしかないのだから。


「初心者なの。ガイドはある?」

「音声、リモートなんでもありさ」


 笑うディスプレイスーツの手を取り、ステージへ上がれば、赤く染まった男はひどく酒臭かった。


「た、助けてくれ……!!


 私と目があった男は、突然掴みかかってきたが、その手はディスプレイスーツに遮られる。


「おさわり厳禁だぜ。それは、もっと遅い時間のショーだ」

「頼む……!! 警察を……!!」


 必死に伸ばされた手と言葉。


「自首でもするんですか?」


 問いかけてみれば、揺れていた手が止まる。


 いくら気が付いていなかったとはいえ、死んでいたか、死にかけている人間をタクシーに乗せて、病院ではなく、最寄り駅へひとりで帰したのだ。

 それも、酒をムリヤリ飲ませた上で。


 法的には情状酌量の余地がついたところで、会社は厳しい判断を下しただろう。最近はハラスメント行為に厳しいし。


「違う!! アレは……俺は悪くない!! アイツが勝手に羽目を外しただけだ!!」

「…………」


 簡単に私の事と結びつく当たり、少しは気負っているということか。

 本来無関係の子供が、少し関連するワードを口にしただけで、それを叫んでしまう時点で、大分残念な人だ。

 リストラされたのも、私の一件はただの体のいい理由きっかけで、燻ぶるものは多かったのだろう。


 渡されたビール瓶を大きく振ると、上司に受けて蓋を取る。


「やめ……ッ! やめ、ろ……!!」


 勢いよく飛び出すビールを浴びながら、必死に抵抗しようとするのは、少しだけ滑稽だったが、すぐにビールの勢いは弱くなっていく。


「ふざけるなッ!! ぶっ殺してやる……ッ!!」


 唾なのか酒なのかわからない物を飛ばしながら叫ぶ上司に、気が付けば、その瓶を振り下ろしていた。


「――――」


 少しだけ、自分でも驚いた。


 腕の痺れと手の熱さ。

 それから、ひどく冷めきっている心に。


「…………意外」


 上司を、人を殴ったからではない。

 これは、思った通りにならなかったことへの悲しみだ。


「瓶って、割れないのね」


 映画では、簡単に割れていたというのに。

 これでは、ミステリーでよくある、決定的な破片を探すなんてこともできないではないか。


「甘い酒は好みじゃないんだ」

「そう」


 ディスプレイスーツに、ヒビも入っていないビール瓶を放る。


「お次のご注文は?」

「スクリュードライバー」

「――――すぐに」


 ディスプレイに映る顔は、それはもう嬉しそうに歪んでいた。


 オレンジの爽やかな喉越しを感じ、息を吐き出す。


「案外、つまらなかったわよ。なんか、汚いし」

「元々の見た目も汚いしな。醜さ倍増ってな」

「☆2」


 汚い。酒臭い。吐しゃ物臭い。

 いい点は、度数が高い酒を使えば、燃やしてしまって、掃除が簡単というところ。


 燻ぶった木材が、木炭の山になるのを眺める。


「芋でも焼くか?」

「いいわね。締めまで合わせて、☆3にしてあげる」


 燻ぶった木炭の中から芋と、先程見た魂を取り出してきたディスプレイスーツは、私に芋を放ると口の太い瓶に魂を詰め込んでいた。


「酒にでも漬けるの?」

「臭いだけで何の効能も無さそうだな」


 しかし、じっとその瓶を見つめると、新たに出したウォッカを酒瓶に詰め始めた。


「採用」


 ウォッカに満たされた瓶の中で燃え続ける炎は、燃え上がるわけでもなく、ただそこに存在し続けていた。

 魂というのだから、本物の炎と同じように考える方がおかしいのかもしれない。


「ねぇ……結局、貴方って、いつまで私に付き合ってくれるの?」


 理屈など全くわからない力を使うディスプレイスーツ。


 いきなり、異世界に転生させられた私にとって、その力の有無は生死に直結する重要な事柄だ。

 今はただ天使のペナルティとやらで手を借りられているだけ。つまり、一時的な協力関係。いつ途絶えるかもわからない関係ということだ。


 致死量の二日酔い混じりの思考では、オークションで売られようが、死のうがどうでもよかったが、腹が満たされからか、ディスプレイスーツの力を見たからか、少しだけ無くすのが惜しいように思えた。

 無くすにしても、自分が死んでからにしてほしいと思う程度には。


「この酒がうまくなるまで」


 つまり、アレだ。


「おいしくなる未来が見えないんだけど」


 私が望む悪行に関しては、天使たちの叶えるべき”善行”になるから、まだまだお互い利用し合おうということか。


「ひらめき発想創意工夫。そいつが、この世界の生きるコツだぜ? マスター」

「貴方が言うと、重みが違うわね」


 だろ? と、自信満々に笑みを作るディスプレイスーツに、つい笑みが漏れてしまう。


 いきなり死んだと言われても、正直実感はわかない。実際、今は生きているわけだし。

 しかも、異世界にいるなんて、外国に裸で放り出されたようなものだ。自暴自棄にもなる。


「…………よく考えたら、私も天使嫌いかも」


 何の恨みがあって、本人の同意なしに人生を強制リスタートさせてくるのだろうか。


「”自分がされて嬉しいことは相手にもしなさい” ママから習っただろ?」

「イヤなことじゃなくて? でもまぁ、いいわ」


 その言葉の意味は、善悪は自分で考えて決めろということ。


 例え、


 だから、天使の思惑とは違う、腹の立つ相手をいじめ尽くすことだけに、第二の人生を使っても許されるということだ。


「まずは、実験のための人が必要ね」


 発想を試す必要がある。

 試すだけの技術が必要である。

 工夫をするための知識が必要である。


 そのために、必要な物。


「教会でも開こうかな……」

「ハァ? なんで」

「いや、狂信者でも作れば、金は定期的に入るし、自主的に体を差し出す人も出るでしょ? そうすれば、その魂を入れる先もできるわけだし、わりと色々な問題を解決できる気がする」


 信者を作ることができるかどうか、そこは一旦置いておいて。

 継続的な収益と物資の確保。それらによるペナルティが最小限であるなら、なお良し。

 人間オークションがある世界の倫理観や知識が、どの程度自分と乖離しているかはわからないが、現状私に思いつくいくつかの方法の中で、最高の手であった。 


「…………お前、本当に人間か?」


 少し前屈みになって、こちらに目をやるディスプレイスーツに、同じように目をやる。


「反対?」


 問いかけてみれば、ディスプレイスーツの口端は大きく上がった。


「イヤ! 大いに賛成だ! あの天使共に初めて感謝を捧げてやる気になった!」

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上司に殺されたので、異世界で仕返しすることにしました 廿楽 亜久 @tudura

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