64 カースドラゴンの呪い


 自分の身体に牙が突き立つのを覚悟した瞬間――。


 フェルリナの身体のすぐ下で、咆哮が弾けた。


 同時に、容赦ようしゃのない力に突き飛ばされる。


 地面に投げ出され、驚愕にみはったフェルリナの目に飛び込んできたのは、ドラゴンの牙に貫かれたアルヴェントではなく――。


 ドラゴンの牙を素手で掴む黒紫の鱗に覆われた異形だった。


 身に着けている右半身が砕けた黒い鎧は、確かにアルヴェントのものだ。


 だが、牙に貫かれて破れた鎖帷子くさりかたびらから覗く肌や、兜が脱げてあらわになった顔を覆うのは――。


 ドラゴンと同じ、黒紫色の硬質な鱗だ。


「っ!?」


 フェルリナが以前見た、アルヴェントの背中に生えている鱗が全身に広がった姿に息を呑む。


 まるで、ドラゴンと人とが融合したかのような異形の姿。


 何より、人がドラゴンのあぎとを素手で押さえられるわけがない。


 ぶんっ、と牙を掴んだアルヴェントごと、ドラゴンが激しく首を振る。


 吹き飛ばされたアルヴェントが地面に叩きつけられる姿を想像し、息を呑む。


 だが、フェルリナの予想を裏切り、獣じみた動きで受け身を取ったアルヴェントがすぐさま立ち上がる。


 その時には、突進したドラゴンの角がアルヴェントに迫っていた。


「しょ、障壁……っ!」


 フェルリナが張った障壁がドラゴンの角に突き破られる。


 全身に走った痛みに呻きながらも、アルヴェントから目を逸らさない。


 突進の勢いをいなすかのように身をかわしたアルヴェントが角を掴む。


 貫くどころか角を掴んで頭に乗ったアルヴェントに、ドラゴンが激昂げっこうの雄叫びを上げた。


 振り払おうと頭を激しく振るが、逆にアルヴェントは角に両腕両足を絡ませ、へし折ろうとする。


 その姿は自分よりも巨大な獲物に襲い掛かる凶暴な獣のようだ。


 黒いはずの瞳は血に染まったかのように真っ赤に染まり、戦いの熱狂にぎらついている。口からほとばしる声は、言葉ではなく獣のうなりそのものだ。


「う、撃て……っ! とにかくドラゴンを倒せ……っ! 団長にだけは間違っても当てるなっ!」


 いち早く冷静な判断をくだしたロベスが呆然としている団員達を叱咤する。


 手が止まっていた団員達が我に返ったように、頭の上のアルヴェントを振り落とそうと暴れるドラゴンに攻撃を再開する。


 ドラゴンとアルヴェントの雄叫びに、矢を射る風切り音や風の魔法が唸る音が重なる。


 ドラゴンの巨体に少しずつ傷が増えてゆく。


 矢や剣の刃に塗られていた毒がようやく回り始めたのか、ドラゴンの動きが少しずつが緩慢かんまんになってゆく。


 ひときわ高くアルヴェントの咆哮ほうこうが響くと同時に、ドラゴンが苦悶の絶叫を上げた。


 角を根元からへし折られたドラゴンの巨体が、どうっと地面に倒れ伏す。


「や、やったか……っ!?」


「まだだっ! まだ動いてるっ!」


 団員達の声に、フェルリナは巨体が倒れた衝撃で立ちのぼった土煙の向こうへ目を凝らす。


 身を起こそうともがくドラゴン。


 その頭の辺りに立つのは、へし折った闇色の角を手にして立つアルヴェントだ。


 ぐるるるる、と低い唸り声をこぼし、ぼろぼろになった鎧から覗く箇所すべてが黒紫色の鱗に覆われたアルヴェントは、もはや人ではなく魔物にしか見えない。


 獲物をほふる歓喜に紅の目をぎらつかせ、アルヴェントが手にした角を振り上げる。


「だめ……っ! だめですっ!」


 もつれそうになる足を必死で動かし、フェルリナは飛びつくようにアルヴェントの腕に取りすがる。


「いけませんっ! 正気に戻ってください……っ! このままドラゴンを殺しては、アルヴェント様が元に戻れなくなってしまいます……っ!」


『カースドラゴンに呪いをかけられた者は、やがて、カースドラゴンの眷属けんぞくとなる』


 隠していることがあるだろうとアルヴェントに問われた時、フェルリナはそう打ち明けた。


 だが、古文書に書かれていたことはそれだけではなかったのだ。


『異形化したものは決して呪いを刻んだカースドラゴンと戦ってはならぬ。正気を失っている時にカースドラゴンを倒せば最後、カースドラゴンに精神を乗っ取られ、そのものが新たなカースドラゴンになるのだ』


 と――。


「お願いですっ! 正気に戻ってください……っ!」


 フェルリナの声がどこまでアルヴェントに届くのかはわからない。


 けれど、アルヴェントを助けたい一心で必死に取り縋る。


 殺意に満ちた紅い瞳は、誰が見ても正気ではない。このままカースドラゴンにとどめを刺せば、アルヴェントがアルヴェントでなくなってしまう。


「アルヴェント様……っ!」


 アルヴェントが元に戻れるのなら、自分の命を捧げらってかまわない。


「フェルリナ様っ! 危険ですっ!」


 ロベスの声を無視してアルヴェントに呼びかける。


 アルヴェントはいまや、全身を黒紫色の鱗に覆われているばかりか、口には牙が生え、こめかみからは角まで伸びつつある。


 とどめを刺すのを邪魔されたアルヴェントが低く唸り、腕に縋りつくフェルリナを乱暴に引きはがす。


 指に生えた鉤爪かぎづめがフェルリナの肌を斬り裂いた。


「っ……!」


 鋭い痛みに思わず顔が歪む。腕につぅっと血の線が流れた。


 それでもかまわずもう一度アルヴェントに取り縋ろうとして。


 アルヴェントの紅の目がみはられているのに気づく。


 凍りついたように動きを止めたアルヴェントの目に、燃え盛る殺意以外の感情が見えた気がしたのはほんの一瞬。


「フェルリナ様っ! 逃げてください……っ!」


 ナレットの叫びに振り向いた時には、最期の力を振り絞って頭をもたげたドラゴンが、邪魔をするなとばかりにフェルリナに向かってブレスを吐いていた。


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