60 ドラゴン戦を前に


 フェルリナが初めて訪れたタンゼスの町は、鉱山が主要な産業というだけであって山裾に位置する町だった。


 そのため、立地上どうしても森からの距離が近くなる。


 タンゼスの鉱山からは良質な鉄鉱石が採れるため、騎士団員の武具の多くもこの町で作られたものらしい。


 もし鉱山がドラゴンに占拠され、採掘ができなくなれば、ゴビュレス王国にとって大打撃になるだろう。


 本来なら多くの鉱夫や鍛冶師達でにぎわっているだろう町は、あわただしく不穏な気配に満ちていた。


 ドラゴンの接近がわかった時点で、住民達の多くには、王城からの早馬で避難勧告が出されている。


 街道には、到着した騎士団と入れ違いに出ていく住民達の荷馬車や荷車が列をなしていた。


 町の機能を完全に止めるわけにはいかないため、住民全員が避難するわけではないが、半数以上の住民が一時的に避難する予定となっている。


 もちろん、騎士団としては町にまでドラゴンを近づけさせる気など、まったくない。


 だが、万が一のことが起こった時、住民が避難していなければ被害が甚大になる。


 フェルリナ達騎士団は、坑道前に開けた広場に布陣していた。


 広場の周りには採掘に必要な道具を置いた小屋や鉱夫達の休憩所、鉱山の管理人の詰め所、鉱夫達のための食堂など、いくつもの建物が立ち並んでいる。


 森に近い建物の屋根には急ごしらえの台座が作られ、騎士団がつよりひと足早く王城から輸送されたバリスタが一台ずつ備えつけられていた。


 弓矢よりさらに強力なバリスタなら、ドラゴンの硬いうろこを貫けないかと期待してのことだ。


 矢じりにはポイズントレントの毒果からイルクが調合した毒が塗られ、重苦しい薄墨色の雲の間から射し込む秋の陽光を受けて、ぬめるように光っている。


 屋根の上に登った弓兵や魔法士達以外の騎士達は、広場の各所に位置どっていた。


 フェルリナも、詰め所の屋根に登っている。


 すでに騎士団員全員に防御力アップと攻撃力アップの補助魔法をかけているが、怪我を負った者の治癒などいつ誰に聖魔法をかけなければならないか読めないため、視界がきく高所のほうが対応しやすいためだ。


 地面に立っているのは、アルヴェントやロベスなど、剣の腕が立つ者、もしくはナレットのように身軽な者や、盾の扱いに秀でた防御力の高い者に限られていた。


 並の人間では、ドラゴンと白兵戦は危険すぎるためだ。


 密集隊形を取っていないのも、ドラゴンのブレスを警戒してのことだ。森の中に潜んだまま、ブレスを吐かれ続けては対処が難しくなってしまう。


 間もなく姿を現すであろうドラゴンを待ち構える騎士団は、張りつめた空気で満ちていた。


 偵察隊の働きによって、ドラゴンについてできる限りの情報が集められている。


 黒紫色の鱗を持つまだ若い個体で、左目が白濁しているらしい。


 三年前、アルヴェントは生死の境を彷徨さまようと傷と引き換えに、ドラゴンの左目に深い傷を負わせ、退けている。以前、タンゼスの町の鉱山を襲おうとしたドラゴンと同じ個体で間違いない。


 報告によると、ドラゴンは魔境から真っ直ぐに鉱山を目指しているとのことで、森の魔獣の分布に影響が出ている原因らしい。


 実際、ふだんなら遭遇しないポイズントレントやポイズンスクワールなどと戦ったフェルリナ達は、ドラゴンの移動による変化を目の当たりにしている。


 ドラゴンを恐れて鳥や動物達がいっせいに逃げ出したのか、フェルリナ達が迎撃態勢を整えた先に広がる森も、まるで生物が死に絶えたかのように静まり返っていた。


 空には重く雲が立ち込め、まだ昼間だとは思えない薄暗さが嫌でも不安をかき立てる。


 静寂と緊張に満ちた空気は、ぎりぎりまで引き絞った弓の弦のようで、肌がちりちりとあぶられるような心地がする。


 誰もが無言で息をひそめているため、武具がこすれるかすかな音のほかは、過ぎ行く風が紅葉した葉を揺らすかすかな音しか聞こえない。


 胃がきりきりと絞られている気がして、フェルリナは革鎧の上から思わず胸に手を当てた。


 他の団員達と異なり、フェルリナだけがドラゴンと相対するのは初めてだ。


 いままで何度も遠征には同行したが、これほど強大な敵と、命を懸けた戦いをしたことなどない。


 アルヴェントの運命がかかっているというのに、どうして緊張せずにいられるだろう。


 だが、緊張は大切だが、あまりに張り詰めすぎると身体が強張ってとっさに動けなくなってしまう。


 特に呪文を唱えねばならない魔法士や聖女にとっては、喉が干上がって声が出ないなど、もってのほかだ。


 唇を湿らせようとして、フェルリナは口の中がからからに渇いていることにようやく気づいた。


 クライン王国での遠征の時は、こんな風になったことなど、最初の遠征の時しかない。


 落ち着け落ち着け、とフェルリナは自分に言い聞かせる。


 アルヴェントがフェルリナをめとってくれたのは、妻としてぐうするためではなく、ドラゴン戦で守りの要とするためなのだから。


 いまこそ役に立たなくては、クライン王国での辛い境遇から助けてくれたアルヴェントに顔向けができない。


 強力無比なドラゴンの攻撃に、フェルリナの聖魔法がどこまで対抗できるのかはわからない。


 だが、それでも力を尽くしてアルヴェント達を守らなければ。


 己を叱咤しったし、固く拳を握りしめる。


 なのに、落ち着かねばと思えば思うほど、焦ってどんどん緊張が増してくる。


 それどころか、身体が震えて声すら出てくる気がしない。


 この戦いだけは、何としても勝たなくてはならないのに。


 何より、もしアルヴェントに何かあったらと思うと、これからドラゴンと対峙する以上の恐ろしさに襲われて何も考えられなくなってしまう。


 自分ではどうにも抑えられない焦りで恐慌に陥ったフェルリナの耳に、ざっ、と誰かが土を踏む足音が届く。


 視線を上げれば、黒いよろいまとい、剣を腰にはいたアルヴェントがロベスを従えて騎士団員達の前へと歩み出ていた。


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