57 ロベスの訪問


 イルクの作業を見守り、詰所のそばに立つ薬師の作業場から自室へと戻ってきたフェルリナが古文書を読み解いていると、扉をノックする音が耳に届いた。


 聞こえてきたのはロベスの声だ。


「フェルリナ様。いらっしゃいますか? お話ししておきたいことがあるのですが、少しよろしいでしょうか?」


「もちろんです」


 しおりを挟んで古文書を閉じると、すぐさま扉へ歩み寄る。


 扉を開けると、立っていたのはロベスひとりだけだった。思えば、ロベスだけがフェルリナの自室を訪れたのはこれが初めだ。


 フェルリナが抱いている印象では、ロベスはアルヴェントのそばに常に控えている気がしていた。


 考えていることが顔に出ていたのだろう。ロベスが気難しい顔つきで教えてくれる。


「団長は詰所に寄ってらっしゃるので、ここにはいらっしゃいません。……団長には内密の話がありまして、わたしだけがうかがいました」


「わかりました。こちらへどうぞ。片付いておらず、申し訳ありませんが……」


 フェルリナ様はすぐさまロベスを招き入れるとテーブルへと案内する。


 忠義にあついロベスがアルヴェントのことで内密の話があるなんて、ドラゴンの呪いに関しての話以外、考えられない。


 テーブルの上に積まれた古文書を見たロベスが、フェルリナに視線を移す。


「古文書を読み解かれていたのですね。どうでしょうか、団長の呪いを解く手立ては……?」


 すがるような期待がにじんだ声音に、フェルリナは申し訳なさを感じながらかぶりを振る。


「残念ながら、いまはまだ、先日お話しした以上のことは……。ですが、すべての古文書を読み終えたわけではありません。もしかしたら、カースドラゴンを倒す以外に、現代には伝わっていない何らかの方法が書かれている可能性も……っ!」


「ですが、すべてを読み解くにはまだまだかなりの時間が必要ではありませんか?」


 冷静な指摘に、フェルリナは唇を噛みしめて黙り込む。


 遠征の間も帰ってきてからも、寸暇すんかを惜しんで読んでいるが、一冊読むだけでもそれなりの時間がかかる。


 さらには、書庫の古文書は内容ごとに整理されているわけではないため、目的の古文書を探すだけでもひと手間だ。


「いえ、違うのです。フェルリナ様を責めたいわけではありません!」


 フェルリナの表情を見たロベスがあわてた様子で声を上げる。


「申し訳ございません。どうかそんな顔をなさらないでください。フェルリナ様が古文書を読み解いてくださるだけで、本当にありがたいのですから。わたしひとりでは、何年かかっても読み解けなかったに違いありません」


 真摯しんしな慰めに、自責の念に囚われそうになっていたフェルリナはかぶりを振って視線を上げる。


「それで、お話というのはどんなことでしょうか? アルヴェント様の呪いについて何か……?」


 遠征から帰ってきたばかりで忙しいロベスがわざわざ訪れてきたのだから時間を無駄にするわけにはいかないと、テーブルに向かい合って座ったフェルリナはさっそく問いかける。


 一瞬、複雑そうに顔を歪めたロベスが、すぐさまテーブルに身を乗り出した。


「団長の乳兄弟であるわたしは、生まれた時からお仕えしていると言っても過言ではありません。団長はあのとおり、裏表のないご気質でいらっしゃいますから、昔から隠しごとが苦手な方なのですが……」


 ためらうように一度口をつぐんだロベスが、フェルリナを見据える。


「恥を忍んでお聞きいたします。最近の団長に、違和感を覚えることはありませんか? 何やら隠しごとをなさっているようなのですが、それが何なのか、確信が持てないのです……」


 悔しげな声音は、敬愛する主の考えを見通せない己を責めているかのようだ。


「団長はフェルリナ様をとても大切に想ってらっしゃいます。フェルリナ様にしか向けない表情を見せられることも……。ですから、もし、団長がフェルリナ様にだけ打ち明ける話があった時には、わたしにもお教えいただきたいのです!」


「アルヴェント様、が……」


 アルヴェントが自分のことを大切に想ってくれている。


 そうかもしれない、そうだったらいいと願っていたことをアルヴェントの腹心であるロベスに断言され、胸に喜びがあふれ出す。


 だが、いまはのんきに喜んでいる場合ではないと、フェルリナは気持ちを引き締め、ロベスに尋ねた。


「『確信が持てない』とおっしゃいましたが……。ということは、ロベスさんは確信はなくとも、心当たりはおありということですよね? 恥ずかしながら私は心当たりさえなくて……。ロベスさんが何に気づかれているのか、お教えいただけませんか?」


 アルヴェントと出逢ってからまだひと月も経っていないフェルリナには、ふだんとの差異がわからない。


 フェルリナの問いかけに、ロベスが惑うように視線を揺らす。


 が、覚悟を決めたのか、顔を上げると真っ直ぐにフェルリナを見つめた。


「通常でしたら、団長の信頼を裏切るような行いは決していたしません。ですが……。それが団長のお命に関わることなら別です」


 きっぱりと言い切ったロベスが打ち明ける。


「先ほど、フェルリナ様がイルクの作業につきあっている間、わたしは団長とともにエイヴェルト殿下とお会いしておりました。団長は、万が一、自分に何かあった時はフェルリナ様の庇護をエイヴェルト殿下にお願いしたいとおっしゃって……」


 ロベスが不安を握り潰そうとするかのように拳を握りしめる。


「団長は『ドラゴンとの戦いに備えて、心配ごとをなくしておきたい』とおっしゃっていましたが、それだけではないように感じるのです! まるで、自分の命と引き換えにドラゴンを倒す気でいるかのような……っ!」


「っ!」


 呻くような告白にフェルリナは思わず息を呑む。


 アルヴェントが責任感が強いことは知っている。でなければ、書類だけで妻になったフェルリナにこれほど気を遣ってくれるわけがない。


 タンゼスの町の鉱山がドラゴンに襲われたら、ゴビュレス王国にとって、どれほどの打撃となるだろう。


 そのために、何としてもドラゴンを倒さなければならないのは理解できる。


 けれど。


「だめです……っ!」


 フェルリナの震え声に、ロベスがいぶかしげに眉根を寄せる。かまわずフェルリナは声を上げた。


「ドラゴンを倒すのは、アルヴェント様の呪いを解くためなのに……っ! そのアルヴェント様が自分の命を引き換えにするなんて……っ! そんなことはだめですっ!」


「フェルリナ様のおっしゃるとおりです!」


 間髪いれずにロベスが同意する。


「ドラゴンを倒したとしても、引き換えに団長を喪っては意味がありませんっ! それなのにあの方は……っ!」


 憤懣ふんまんやるかたないと言わんばかりにロベスが目を吊り上げる。


「わたしがどんな思いでクライン王国との契約を進言し、フェルリナ様を手に入れたと思っているのか……っ!」


「ロベスさんが……?」


 驚きに思わずこぼしたフェルリナの声にはっと我に返ったロベスが、椅子に座り直して咳払いする。


「そうです。聖女を二人も有するクライン王国から、どちらか片方の聖女を迎え入れましょうと国王陛下達に進言したのはわたしです。レベル上限に達している団長や主要な団員のレベルはこれ以上上げられませんが、聖魔法に秀でた聖女を迎え入れれば、まだレベル上限に達していない団員を効率的に鍛えられます。騎士団全体の平均レベルが上がれば、ドラゴン戦に少しでも有利になるのではないかと考えたのです。まさかフェルリナ様の加護が『レベル上限解放』だったとは、僥倖ぎょうこう極まりない事態でしたが……」


 ロベスが悔しげに歯噛みする。


「あと数年あれば、団長も団員ももっと強くなれるはずなのに、まさかこんなに早くドラゴンの再来襲があるやもしれないとは……っ! ポイズントレント戦のおかげで何人かはレベル上限を超えましたが、まだわずか。あまりにも時間がなさすぎます……っ!」


 時間が足りない。


 それは、フェルリナも痛いほど痛感している。


 もっと時間があれば、古文書を読み解き、団員達もさらに強くなっているだろう。


 いまよりもずっとよい状況で、ドラゴンと戦えたはずだ。


 だが、どれほど嘆いても時間が増えることはない。フェルリナ達にできることはただ、今回の異変の原因がドラゴンでないことを祈りながら、限られた時間でできることをするだけだ。


「私も……。ロベスさんと同じ気持ちです! 絶対にアルヴェント様をうしないたくありません……っ!」


 アルヴェントを喪うかもしれない。


 そう考えただけで全身が震え、くずおれそうになる。


 まだ、何ひとつアルヴェントに恩返しをできていない。フェルリナが受け取ってばかりだ。


「呪いを解く手がかりや、ドラゴンに有効な対策を少しでも見つけられないかどうか、限られた時間でできる限り探してみせます……っ!」


「フェルリナ様にばかり、ご負担をかけて申し訳ない限りですが……。どうかよろしくお願いいたします。ですが、くれぐれもご無理だけはなさらないでください。アルヴェント様が心配なさいます。何より、騎士団全員の安全は、フェルリナ様にかかっているのですから」


 力強く宣言したフェルリナに、ロベスが深々と頭を下げる。


「わかりました。体調には十分気をつけます」


 頷きながらも、フェルリナは王城にいられる間にできる限りの古文書を読み解こうと決意した。


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