56 第二王子と第一王子の密談
フェルリナをイルクに引きあわせたアルヴェントは、ロベスと共に王城へ戻った。
本心ではフェルリナが無茶をしないようそばについていたいが、これから話すことはフェルリナには聞かれたくない。
そのためフェルリナがイルクの手伝いを申し出てくれたのはある意味、好都合ともいえた。
本当はフェルリナにはゆっくり休んでほしいが、あの様子では言っても素直に聞かないだろう。
特別な加護を持つだけでなく、たとえ加護がなかったとしても聖女として素晴らしい腕前を持っているというのに、フェルリナは自分など取るに足らないと言わんばかりに、いつも人のために尽くそうとする。
優しいフェルリナらしいといえばそのとおりだが、きっとそれだけではない。
アルヴェントは先ほど追い払ったクライン王国からの使者の言動を思い出し、怒りに拳を握りしめる。
フェルリナが自分のことを卑下し、自信がないのも、我が身を
クライン王国でフェルリナが受けてきた仕打ちを考えると、怒りで脳が焼けつく心地がする。
未来永劫、フェルリナをクライン王国に返す気などない。
そのためにも。
アルヴェントが決然とした足取りで向かった先は王太子である兄・エイヴェルトの執務室だ。
兄には、先ほど報告をした際に、後で折り入って話があるため、時間をとってもらいたい旨を密かに伝えている。
侍従に来訪を告げると、エイヴェルトが自ら扉を開けてアルヴェントを出迎えてくれた。
「兄上、お時間を取っていただき、ありがとうございます」
部屋に入るなり、礼を言ったアルヴェントに、エイヴェルトが穏やかな笑みを浮かべてかぶりを振る。
「何を言う。お前こそ、遠征から帰ってきたばかりだというのに、休む暇なく働きづめじゃないか。お前に比べたら何ということはないよ。ふだんとは違う魔物と戦う羽目になるとは、今回の遠征も大変だっただろう」
兄のねぎらいに、アルヴェントは笑ってかぶりを振る。
「いえ。想定外の事態が起こったせいで、いつもより短い遠征でしたから、さほど疲れてはいません。何より、フェルリナがいてくれたおかげで、ふだん以上に効率よく進みましたので。遠征中、ひとりの怪我人も出なかったのは、フェルリナのおかげに他なりません」
「それは素晴らしいな」
アルヴェントの言葉に、エイヴェルトが兄弟で同じ色の目を感嘆に瞠る。
怪我を治療するにはポーションもあるものの、聖魔法と異なり、治癒の効果があらわれるにはある程度の時間がかかり、その間、安静にさせる必要がある。
そのため、怪我人が多く出ると、どうしても行軍に支障が出て速度が落ちてしまう。今回、フェルリナが乗っていた馬車も、もともとは怪我人が出た時用のものだ。
「それに、兄上がしっかり留守を預かってくださるからこそ、安心して遠征に出られるのです。俺は書類仕事には向きませんから」
やろうと思えばできないことはないが、書類に向き合っているよりも、剣を振り回しているほうがよほど性にあっている。
肩をすくめた弟の言葉にエイヴェルトが笑う。
「それほどわたしを持ち上げて、いったい何の話をするつもりだ? 先ほどの場で言わなかったということは、なかなかの厄介事なのだろう?」
エイヴェルトは弟の考えなどお見通しだったらしい。
その証拠に、すでに人払いされた部屋の中に残っているのは、アルヴェントにとってのロベスのような腹心の補佐官だけだ。
兄に促されてテーブルに向かい合って座るなり、アルヴェントは真剣な面持ちで身を乗り出した。
「兄上。折り入ってお願いがあります。もし、俺に何かあった時は……。フェルリナを決してクライン王国に返さず、この国で庇護することを約束してくださいませんか?」
アルヴェントの言葉に、エイヴェルトの眉がぴくりと上がる。
「……何を考えている? 先ほど、父上達と一緒に話した時は、そんな気弱なことなど言っていなかっただろう?」
先ほど、国王や王妃、フェルリナを交えて遠征の報告をした時にアルヴェントが報告したのは、魔境近くの森に三年前、ドラゴンが現れた時と同じ異変が生じていることと、万が一ドラゴンが現れる場合は、ふたたびタンゼスの町の鉱山を狙ってくるだろうという二点だけだった。
タンゼスの町に偵察隊を派遣し、周囲を警戒してほしいというアルヴェントの求めは、すでに話し合いの時に受け入れられている。
本当にドラゴンが接近している場合に備え、三日ほど休息をとった後は、第二騎士団はタンゼスの町に移動し、しばらくの間、襲撃に備えることになっている。
いぶかしげな兄の声音に、アルヴェントは思わず眉根を寄せる。
「フェルリナを不安にさせたくなかったのです。もちろん、ドラゴンに負ける気など、欠片もありません。何としても勝ってみせます。ですが……」
紡いだ声は、自分でも驚くほど苦かった。
「戦いでは、何が起こるかわかりません。万が一のこともあります。俺にかけられた呪いが、ドラゴンと戦っている時に何らかの
「団長っ!?」
エイヴェルトが答えるより早く、尖った声を上げたのはロベスだ。
「何を考えてらっしゃるんですかっ!?」
アルヴェントの背中を見たロベスは、呪いが進行しているのを知っている。
乳兄弟ゆえの勘の鋭さで、いざという時には、アルヴェントが命と引き換えにしてでもドラゴンを倒そうと考えているのを察したに違いない。
だが、呪いが進行していることを口に出さないのは、ロベスなりの忠誠心なのだろう。
フェルリナの力をもってしても呪いが解けなかった以上、アルヴェントが生き残るには、呪いをかけたドラゴンを倒すしかない。
そのため、報告の時にはあえて呪いのことは明かさなかった。
明かしたところで、いずれドラゴンと戦うのは決まっている未来なのだ。ならば、これ以上、余計な心配をかけたくはない。
三年前、アルヴェントが生死の境をさまよった時、家族がどれほどアルヴェントのことを案じてくれたのか……。思い出すと、いまでも申し訳なくなるほどだ。
「ロベスの言うとおりだ。戦う前から、負けた時のことを考えているなど、お前らしくないな」
エイヴェルトがアルヴェントの真意を探るような視線を向ける。
アルヴェントは苦笑してかぶりを振って兄の詮索をはぐらかした。
「俺もいつまでも無謀なままではいられません。……守るべき大切な存在ができたのです。万が一に備えておくべきでしょう?」
「お前がフェルリナ嬢に首ったけなのは、すでに城中に広まっているからな」
エイヴェルトがくすりと笑い、からかうように弟を見やる。
「ええ、そのとおりです。ですから兄上、どうか俺の心配を軽くしていただけませんか?」
真摯に頼み込んだアルヴェントに、エイヴェルトが穏やかに頷く。
「わかった。それでお前の憂いが軽くなるのなら、喜んで請け合おう。もっとも、わたしよりも騎士団の団員達が決してフェルリナ嬢を手放さないだろうがな」
苦笑交じりのエイヴェルトの言葉に、先ほどのクライン王国の騎士達とのやりとりを思い出す。
確かに、フェルリナに心酔している団員達は、フェルリナが他所に引き抜かれそうになれば、必ず阻止することだろう。
逢ったばかりの頃の不安げなフェルリナの様子を想えば、団員達に受け入れられて本当によかったと喜ばずにはいられない。
だが、団員達に任せておくよりも、第一王子であるエイヴェルトの庇護を受けられたほうが確実だ。
兄の言葉に、アルヴェントは深々と頭を下げる。
「ありがとうございます。兄上にそのように言っていただけると心強いです」
強張っていた身体が、安堵でほんのわずかにゆるんだ気がする。
これで、最大の憂いは払えた。
フェルリナの未来さえ保証されているのならば、アルヴェントはただ、刺し違えてでもドラゴンを倒すだけだ。
――それまでの間、遠征に出て以来、感じている違和感を、決して誰にも気取られぬようにして。
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