55 騎士団付きの薬師
「初めまして。イルクと申します。噂の聖女様にお会いできて光栄です」
アルヴェントやロベスとともに、王や王妃、王太子への遠征の報告を終えたあと、アルヴェントとロベスに案内されたフェルリナが引き合わされたのは、騎士団付きの薬師だという青年だった。
まだ三十歳にも満たない年だが、調合の腕前はお墨付きだという。
「噂、ですか……?」
いったいどんな噂なのだろう。
おずおずと尋ねたフェルリナに、イルクがからりと笑う。
「ええ、いろいろとうかがっています。アルヴェント殿下はもとより、団員達がみんな首ったけだとか、敬愛してやまないだとか、聖女として素晴らしい力をお持ちで、そのうち僕はクビになりそうだとか」
「えぇぇ……っ!?」
さらりととんでもないことを口にしたイルクに思わず変な声が出る。隣に立つアルヴェントからすぐさま苦い声が飛んだ。
「イルク。フェルリナを驚かせるな。フェルリナが来たとしても、お前が騎士団にとって大切な薬師だというのは今後も変わらん。クビになど、するわけがないだろう」
「申し訳ありません、フェルリナ様。冗談です」
イルクがあっさりと言を
「フェルリナ様が来てくださって、感謝しているのは僕も同じなんです。本当は、もっと薬草に関する研究に打ち込みたいのですが、騎士団がかなりの量のポーションを使うので、それを作るための作業でなかなか研究が進まず……。ですが、フェルリナ様が来てくださったおかげで、今回の遠征で使ったポーションは無しですよ、無しっ! しかも、ポイズントレントの毒果を取ってきてくださったとか……っ! いやぁもう、フェルリナ様にはいくら感謝しても足りませんっ!」
「あ、あの……っ!?」
「おいっ!」
フェルリナの手を握りしめようとしたイルクの両手をアルヴェントが叩き落す。
「痛っ!」
「フェルリナを驚かせるなと言っているだろう!?」
「驚かせるつもりなんてありませんよ。感謝の気持ちをお伝えしようとしただけです。というか……」
にやりとイルクが楽しげに唇を吊り上げる。
「団長がフェルリナ様に首ったけっていう噂は本当だったんですね~。しかも、首どころか、頭のてっぺんまでどっぷりとは……っ! これは、他の団員にも広めないといけませんね!」
「やめろ!」
「団長のおっしゃるとおりです」
うきうきと告げたイルクに、すかさずアルヴェントの声が飛ぶ。冷静極まる声で
「無駄なことはやめなさい。あなたがそんなことをしなくても、団員はもう、全員知っています」
淡々と告げられた言葉にイルクが吹き出し、アルヴェントが凛々しい面輪を思いきりしかめる。
フェルリナはいったい何と言えばいいのかわからず、おろおろするばかりだ。鏡を見なくても、自分の顔が真っ赤になっているだろうことはわかっている。
ひとり表情の変わらぬロベスが言を継いだ。
「そんな無駄なことより、あなたにはポイズントレントの毒果の加工をお願いします。
「かしこまりました」
笑いをおさめたイルクが、生真面目な表情で了承する。
フェルリナはずっと気にかかっていたことをおずおずとイルクに問いかけた。
「あの、イルクさん。ポイズントレントの毒果で、ドラゴンに効く毒薬は作れそうでしょうか……?」
フェルリナの発案で団員達を危険な目に遭わせたのだ。これで、残念ながら不可能です、と言われたら、申し訳なさすぎる。
不安もあらわに問うたフェルリナに、イルクが「たぶん大丈夫ですよ」と笑顔で応じる。
「ポイズントレントの毒はかなり強力で取り扱い要注意だといいますからね! ドラゴンにどこまで効果があるかは実際に使ってみないとわかりませんが、多少は弱らせられると思います。むしろ問題は、ドラゴンにどうやって毒を与えるか、ですね……」
うーん、と眉毛を寄せたイルクの視線がアルヴェントに向く。つられるようにフェルリナも隣のアルヴェントを見上げた。
イルクの表情がうつったかのように、アルヴェントとロベスも苦い顔をしている。
「確かに、それが最大の問題だな。肉などに仕込んだところで、知能が高いドラゴンが
「団長っ! フェルリナ様がいらっしゃるとはいえ、無茶はしないでください! 三年前、生死の境をさまよったことをお忘れですか!?」
しかめっ面でこぼしたアルヴェントに、ロベスが目を吊り上げる。
二人の様子に苦笑いしたイルクが穏やかに割って入る。
「では、まだ用途は確定していないものの、ひとまず粉状に加工するということでよろしいでしょうか? 粉状なら練って丸薬にすることもできますし、溶かして液体状にすることも可能ですから、用途に応じてすぐに加工できます」
「あのっ、私に何かお手伝いできることはありますか……っ!?」
フェルリナは思わずイルクに申し出る。
「ポイズントレントの毒果が取り扱い要注意なのでしたら、調合するイルクさんも危険ではありませんか? 私がいれば、もし何か起こった時もすぐに解毒できますし……!」
ドラゴンを倒さなければ、アルヴェントにかけられた呪いが解けない。
呪いが進行しているとわかったいま、わずかなりともドラゴン戦で有利になることがあるのなら、どんなことでもするつもりだ。
「きみがイルクの手伝いをする必要はない」
イルクが答えるより早く、苦い顔で引きとめたのはアルヴェントだ。
「しっかり休んで遠征の疲れをとるようにと言っただろう? それはきみも例外じゃない」
「ですが、私は他のみなさんと違って、移動中も馬車に乗せていただいていましたし……」
「だが、他の団員は何年も行っている遠征だが、きみにとっては慣れない環境での初めての遠征だ。きみが他の者より疲労していない保証はどこにもない。何より、唯一の聖女であるきみに何かあれば、騎士団全体の安全にかかわる。これは団長命令だ。どうか、ゆっくり休んでくれ」
穏やかに諭すアルヴェントの言葉に、フェルリナは唇を噛みしめる。
アルヴェントがフェルリナのことを心配して言ってくれているのはわかっている。
だが、アルヴェントの呪われた傷を実際に見てしまったいま、呪いを解くために打てる手は、すべて打っておきたい。
「少しだけでもいいんですっ! どうか手伝わせてくださいっ! お願いします……っ!」
「あー、では、こういうのはいかがでしょう?」
深く頭を下げたフェルリナの耳に、イルクの声が届く。
「フェルリナ様には、ポイズントレントの毒果を割るまでの間、そばで見守っていただくというのはどうでしょうか? 僕もポイズントレントの毒果を扱うのは初めてなので、うっかり力を入れすぎて万が一、中身が飛び散ったら大変なことになりますし、フェルリナ様がいてくださったら安心です。その後の作業は、お手伝いいただかなくとも十分、作業できますから、フェルリナ様には戻って休んでいただくということでどうですか?」
アルヴェントとフェルリナを交互に見ながらイルクが提案した内容に、フェルリナは大きく頷く。
「はいっ、しっかり見守らせていただきますっ! このくらいでしたらよろしいですよねっ!?」
勢いよくアルヴェントを振り向くと、仕方なさそうな吐息が返ってきた。
「わかった。そこまで言うなら、手伝うといい。だが!」
きっ、と黒い瞳に強い光が宿る。
「手伝ったあとは、すぐに休むんだぞ!? イルクもいいな!? フェルリナに無理はさせるなよ!?」
「ありがとうございます!」
「もちろん、承知しております」
はずんだ声で礼を言ったフェルリナと、笑顔で請け負ったイルクにアルヴェントがもう一度吐息する。
「叶うなら俺がついていたいが……。すまんが、まだ用があってな。俺はつきあえん。代わりにナレットとチェルシーをつけてもいいが……」
「お二人までつきあわせては申し訳ありません。私でしたらひとりで大丈夫ですので、アルヴェント様もご自身のせねばならないことをなさってください」
かぶりを振って答えると、アルヴェントに苦笑された。
「きみらしいな。自分自身のこともそのくらい気遣ってほしいが……。本当に、無理はするなよ?」
「はい。気をつけます。ですが、アルヴェント様もどうかご無理はなさらないでください」
長身を見上げて祈るように告げると、「もちろんだ」と穏やかな笑みが降ってきた。
「……見た目はこんなに違うのに、中身は意外と似た者夫婦ですよね……」
「仲がよくてよいのではないですか?」
どこか呆れたようなロベスの声に、イルクが笑う。
微笑ましいものを見るような二人の視線にフェルリナは恥ずかしくなって思わず顔を伏せた。
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