54 恨むのなら、自国の愚かさを恨むんだな


「ひゃっ」


 よろめいたフェルリナをしっかと抱きとめたアルヴェントが、愕然がくぜんとした表情の若い騎士に淡々と告げる。


「フェルリナの素晴らしさに気づいたことは褒めてやらんでもないが、あまりにも遅すぎたな。たとえ気づいたところで、俺もゴビュレス王国も、フェルリナを手放すことは未来永劫、決してない。恨むのなら、フェルリナの優しさに甘え、彼女をないがしろにし続けてきた自国の愚かさを恨むんだな」


「一言一句、団長の言うとおりです!」


「そ~ですよぉ~! いまさらフェルリナ様を返せなんて、虫がよすぎますぅ~!」


 アルヴェントの声に、ナレットとチェルシーの声が重なる。


 いや、二人だけではない。「そうだ、そうだ」と重なる声に驚いて振り向くと、詰め所にいたはずの団員達がずらりと勢ぞろいしていた。


「フェルリナ様はゴビュレス王国の女神なんだ! いまさらクライン王国なんかに帰すわけがないだろ!」


「さっきから好き勝手なことを……っ! 団長が怒ってなかったら、おれ達が殴ってたぜ!」


「何のために来たんだか知らないが、とっとと帰るんだな!」


「なっ、な……っ!」


 軽蔑もあらわな団員達の言葉に、ケルベンが顔を真っ赤にしてわなわなと震え出す。


「それこそ、そっちの勝手な言い分だろう!? フェルリナ自身はどう思っている!? こんな辺鄙へんぴで危険な国、誰が好き好んで――」


「私は!」


 考えるより早く声が飛び出す。


 フェルリナは地面にへたり込んだままのケルベンを見据えるときっぱりと断言した。


「私はクライン王国には決して戻りませんっ! 私がこれからの人生を生きていくのは、ここ、ゴビュレス王国ですっ!」


「な……っ!?」


 まさか、真正面からフェルリナに断られるとは思っていなかったのだろう。ケルベンが信じられないと言いたげに目を見開く。


「ほ、本気か……っ!? 本気でこんな国に骨をうずめると……っ!? 正気の沙汰じゃないっ!」


「それは、ケルベン様がゴビュレス王国がどれほど素晴らしい国かご存じないからです」


 フェルリナはもう、二度とクライン王国に戻りたいとは思わない。フェルリナを大切にしてくれるアルヴェントや団員達がいるというのに、どうして戻りたいと思うことがあるだろう。


「クレヴェス殿下からどのように聞いて来られたのかは存じませんが、私はもう、クライン王国とは無関係の身。アルヴェント殿下と交わされた書面にもはっきりとそう書かれていたはずです。ですから、どうぞお引き取りくださいっ!」


「衛兵! クライン王国からのお客人はお帰りだ! 丁重にお見送りしろ!」


 はっきりと拒絶したフェルリナの言葉を尊重するように、声を張り上げて衛兵に命じたアルヴェントが、フェルリナの肩に回したままの手に力を込める。


「フェルリナ、戻ろう。きみがこれ以上、こいつらにわずらわされる必要はない」


 穏やかな声とともにそっと肩を押され、こくんと頷く。


 きっとどれほど話し合っても、アルヴェントとケルベンの主張が交わることはないだろう。


 何より、フェルリナのせいでこれ以上、ケルベンの暴言をアルヴェントに聞かせたくない。


「ま、待て……っ!」


 ケルベンがあわてたように声を上げるが、団員達に囲まれ、フェルリナ達のところまでは来られそうにない。


 アルヴェントがフェルリナを連れていったのは、詰め所ではなく、王城だった。


「疲れただろう。さっきのことは忘れて、ゆっくり休むといい。父上達に報告できる時間が近づいたら、声をかけるから、のんびり過ごしてくれ。すぐに侍女達が湯浴みの準備を整える」


 フェルリナの部屋の前までつき添ってくれたアルヴェントが、ドアを開けながら告げる。


 詰め所にいた時にすでに指示を出してくれていたのだろう。部屋の中ではアンをはじめとした侍女達があわただしく立ち働いていた。


「それと――」


「はい?」


 他にも指示があるのだろうかと長身を見上げたフェルリナと目をあわせたアルヴェントが、にこりと微笑む。


「ありがとう。この国に残ることを選んでくれて。いくら感謝を言っても言い足りない」


 心から嬉しいと思ってくれているのがひと目でわかる柔らかな笑みに、思わず心臓がぱくんと跳ねる。


「い、いえ……っ! ゴビュレス王国にいたいと思えるのは、アルヴェント様と団員のみなさんのおかげですから……っ」


 速くなった鼓動を隠すように早口に告げてかぶりを振る。


 これほど幸せな日々が来るなんて、想像すらしたことがなかった。


「お礼を申し上げないといけないのは、私のほうです……っ! 本当に、いつもありがとうございます。先ほども私のために怒ってくださって……」


「大切なきみを軽んじられたんだ。怒るのは当然だろう」


 即座にアルシェルドが力強く頷く。


「きみが止めてくれなければ、国交に支障をきたしてもかまわないから殴り飛ばしていたところだ」


「ア、アルヴェント様っ!?」


 過激極まりないことを言うアルヴェントに、すっとんきょうな声が飛び出す。


「い、いけませんっ、そんな……っ! いくらご冗談でも……っ!」


「冗談などではない。きっと母上がさっきのやりとりを聞けば、『どうして殴らなかったの!?』と言うに違いないからな」


 大真面目な顔で冗談を言うアルヴェントに、思わず笑みがこぼれる。と、アルヴェントがほっとしたように表情をゆるめた。


「ようやく笑ってくれたな。ケルベン達のことは、もう気にしなくていい。もう決してきみに近づけないよう、衛兵達にも重々命じておくからな。さあ、せっかく帰ってきたんだ。少しはゆっくりしてくれ」


 アルヴェントの大きな手が、そっとフェルリナの頭を撫でる。


「はい……っ! 本当に、ありがとうございます……っ!」


 心からの感謝を込め、凛々しい面輪を見上げて告げると、あたたかな手のひらが頭から頬へとすべった。


 黒い瞳とまなざしが交じりあい――。


 アルヴェントの手が、不意に頬から離れる。


「俺も、自室で身支度を整えてこよう。では、後でな」


 頬にふれていた拳を握り込んだアルヴェントが、きびすを返す。


「アルヴェント様も、少しでもゆっくりなさってください……っ」


 隣の部屋へ去ってゆくアルヴェント背に、フェルリナは精いっぱいの気持ちを込めて声をかけた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る