53 殿下も今回の遠征で気づかれたのでしょう?


 騎士達が口上を述べるより早く、アルヴェントが先制を取るかのように口を開く。


「ゴビュレス王国へようこそ。だが、遠路はるばるの来訪はどういったわけだ?」


 不審さを隠そうともしないアルヴェントの問いかけをいなすように、騎士達が深々と一礼する。


「遠征から戻られたばかりにもかかわらず、殿下にまでご足労いただき、誠に恐縮です。お初にお目にかかります。わたしはクレヴェス王子の近衛騎士を務めておりますケルベンと申します」


 応じたのはケルベンと名乗った二十代半ばの騎士のほうだ。もうひとりの騎士はフェルリナとそう年が変わらないように思える。きっと供としてついてきているのだろう。


 アルヴェント達が遠征から帰ってきたばかりというのは、すでに衛兵から聞いているに違いない。


 たとえ聞いていなくても、まだ旅装を解いてさえいないフェルリナ達を見れば一目瞭然だ。


「帰ってきたばかりと知りながら、俺達を呼びつけた理由は何だ? そもそも、この訪問自体、まったく先ぶれがなかっただろう?」


 不機嫌そうなアルヴェントの声に、ケルベンがあわてたようにかぶりを振る。


 フェルリナも驚いて隣に立つアルヴェントを見上げた。先ほどまでのアルヴェントは、遠征の疲れで機嫌が悪いようには見えなかったのだが、フェルリナのせいで手間をかけているせいだろうか。


「誠に申し訳ございません。殿下をお呼び立てするつもりはなかったのですが、衛兵に誤って伝わってしまったようです。わたしどもが用があるのは、あくまでもフェルリナのみでございまして……」


「あの、アルヴェント様。私に用事ということですから、私がうかがいます。どうぞアルヴェント様は先にお戻りになってください」


 アルヴェントに謝罪したケルベンに続き、フェルリナもアルヴェントを促す。


 疲れているだろうアルヴェントをフェルリナの用事につきあわせては申し訳ない。

 ケルベンもフェルリナに同意して大きく頷く。


「フェルリナの申すとおりです。殿下に聞かれてはフェルリナも気まずいでしょうから」


「俺に気まずい?」


 いぶかしげに眉毛を寄せたアルヴェントに、ケルベンが大きく頷く。


「ええ。殿下も今回の遠征で気づかれたのでしょう? いくら聖女とはいえ、加護なしの役立たずなどにさほどの価値はないと。それを本人の前で指摘してやるなんて、哀れではありませんか」


 口ではそう言いながら、フェルリナを見やったケルベンがあざけりを隠すことなく唇を吊り上げる。


「クライン王国の時とまったく変わらない薄汚れた格好だな。だが、それも当然か。遠征に随行して少しでも心証をよくするくらいしか、自分の存在意義を示せないものな」


「ケ、ケルベン殿……っ!」


 ケルベンの言動に、血相を変えた若い騎士があわてて割って入る。


「ち、違うのですっ、フェルリナ様……っ! わたしどもが参りましたのは、フェルリナ様がゴビュレス王国でおつらい思いをされているのではないかと……っ! もしそうでしたら……っ!」


「役立たずの聖女などに、何を恭しく言っている」


 割って入った若い騎士を不機嫌そうに睨みつけたケルベンが、フェルリナを見下ろし、傲岸ごうがんに告げる。


「よく聞け。クレヴェス殿下からのありがたいお言葉だ。ゴビュレス王国でもうとまれているのなら、特別に帰国を許してもよい、とな。無論、契約不履行の補償は自分自身であがなう必要があるが、いつ死ぬかもわからん遠征に出続けねばならんくらいなら、破格の処置だろう?」


「――待て」


 不意に落ちたアルヴェントの低い声に、ケルベンが呑まれたように押し黙る。


 フェルリナも驚いてアルヴェントを振り向いた。


「お前は、いったい何を言っている?」


 アルヴェントの声は、地をうようにおどろおどろしい。


 気圧けおされ、思わずといった様子で一歩身を引いたケルベンが、怯えた自分をごまかすように早口で言を継ぐ。


「ア、アルヴェント殿下がお怒りになるのもごもっともです。一緒に遠征に出られて、いかにフェルリナが役立たずなのか、殿下も目の当たりにされたことでございましょう! 役立たずの聖女でもよいという取引でしたが、ここまでとは思わなかったとお考えになるのももっともです! ですから、クレヴェス殿下もあまりに申し訳ないと、このたびわたしを遣わせた次第でして――」 


「いい加減、口をつぐめ。怒りで我を忘れた俺が殴り飛ばす前にな」


 不意に大きく一歩踏み出したアルヴェントが、ケルベンのマントの襟元えりもとをむんずと掴んで乱暴に引き寄せる。


「ひ……っ!」


 真正面から至近距離で見据えられたケルベンがかすれた悲鳴を洩らした。


「黙って聞いていれば、何という暴言だ。クライン王国にいる間、フェルリナはずっとこんな心無い言葉を浴びせ続けられていたというのか」


 怒りがおさまらぬと言いたげにアルヴェントの声が尖る。


「役立たずなのは、フェルリナが特別な加護を持っていると見抜けなかったおぬし達だろう。だというのに、よってたかってフェルリナをさげすみ、肩身の狭い思いをさせてきたとは……っ! 反吐へどが出る」


 襟元を掴む拳に骨が白く浮き出るほど力を込めたアルヴェントが、怯えるケルベンにさらに顔を寄せる。


「しかもなんだ、さっきの物言いは? 『フェルリナ』と呼び捨てだと? 自分の主が俺とどんな約束を交わしたのかすら頭に入っていないらしいな。まだ正式な結婚式は挙げていないものの、フェルリナはゴビュレス王国の第二王子である俺の妻。つまりは他国の王族だ。それを呼び捨てとは……。不敬罪でいますぐ首を斬ってやってもいいんだぞ?」


「ア、 アルヴェント様っ!?」


 とんでもないことを口にしたアルヴェントに、あわてふためいた声を上げ、ケルベンを掴む腕に思わず取りすがる。


 アルヴェントが自分のために怒ってくれているのは涙が出るほど嬉しいが、そのせいでクライン王国との関係を悪化させるわけにはいかない。


 フェルリナの声に、アルヴェントが仕方なさそうにケルベンの襟元を握りしめていた拳をほどく。


 途端、腰を抜かして尻もちをついたケルベンが口を開くより早く、若い騎士が割って入った。


「も、申し訳ございません……っ! ケルベン殿の暴言を謹んでお詫び申し上げますっ! 殿下がおっしゃるとおり、節穴だったのは我々のほうです! 特別な加護というのはわかりませんが、優れた聖女であるフェルリナ様を追い出すようにゴビュレス王国にやってしまうなど……っ!」


 地に伏せんばかりの勢いで謝罪する若い騎士の言葉に、フェルリナは驚いて目を瞠る。


 いったい、何を言い出すのだろう。確か、この騎士も、遠征に同行するならフェルリナではなくイーメリアがよいと愚痴ぐちを言っていたはずだが……。


 戸惑うフェルリナと視線があった若い騎士が、不意に両手でフェルリナの手を握りしめる。


「フェルリナ様っ! どうかクライン王国へお戻りになってくださいっ! フェルリナ様がどれほど守ってくださっていたのか、ようやく気づいたのですっ! いままで怪我ひとつなく遠征から帰ってこられたのは、フェルリナ様のおかげです! どうかこれからもクライン王国でそのお力を……っ!」


「もうフェルリナはクライン王国の聖女ではない。俺の妻から手を放してもらおうか」


 不機嫌なアルヴェントの声がすぐそばで聞こえたかと思うと、フェルリナの手を握りしめていた若い騎士の手が無理やり引きはがされる。


 同時に、フェルリナは肩を抱かれ、アルヴェントに引き寄せられた。


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