47 森の異変


「森が……っ! 森が動いています……っ!」


 偵察に出ていた団員のひとりが、泡を食って帰ってきたのは、翌朝、そろそろ野営地を引き払おうとフェルリナ達が準備をしていた時だった。


「森が動く!? いったい何を言っているんですか!? 偵察なのですから、もっとしっかり職務を果たしなさいっ!」


 あわてふためく団員を叱責したのはロベスだ。が、団員は怒られたことを気にも止めずにさらに言い募る。


「で、ですがっ、本当に森が動いているんです……っ! めりめりと木々がへし折れる音が聞こえて……っ!」


「おいっ! 確かに聞こえてくるぞっ!」


 団員がみなまで言い終わらぬうちに、別の団員が声を上げる。


 耳をそばだてていたフェルリナも、団員が言う音をかすかに捉える。同時に、ほんのわずかに地面が振動する揺れも。


「も、もしかしてドラゴンが……っ!?」


 誰かが洩らした呟きに、騎士団員達に動揺が走る。


 それを押し留めたのはフェルリナの隣に立つアルヴェントの力強い声だった。


「落ち着け! 何のためにこの三年間、経験を積んできた!? たとえドラゴンだったとしても、俺がいる! 今度こそ、討ち取ってやろう!」


 頼もしい宣言に、浮足立ちそうになっていた団員が落ち着きを取り戻す。


 と、偵察に出ていた団員が自分が来た方向を指さした。


「あっ! あれですっ! 森が……っ!」


 その声に、いっせいに全員を指さしたほうを振り向く。


 秋の深まってきたいま、森の木々は常緑樹を除けば、色づき、木の葉を落とす木々も多い。


 だが、色とりどりの枝葉の向こうで揺れたモノは、明らかに他とは色彩が異なっていた。


 森の木々のこずえより、優に馬一頭分以上高くそびえている枝葉は、風もないのにざわざわと揺れている。


 それだけではない。葉の色は、黒とも見まごうおどろおどろしい緑色だ。手招きするように揺れる枝葉は、朝なのにそこだけ夜の幽霊が消えそこねたように見えなくもない。


 だが、耳に届く枝葉がざわめく音も、靴の底から伝わってくる振動も、間違いなく現実だ。


「まさか、トレントまで魔境から出てくるとはな……」


「え……っ!?」


 隣から聞こえたアルヴェントの低い呟きに、フェルリナは驚いてもう一度動く枝葉を見つめる。


 あれが、トレントだというのか。クライン王国でもトレントに遭遇したことはあるが、せいぜい、大きくでも普通の木くらいの高さだった。


 ゴビュレス王国の深い森の木々よりもさらに大きなトレントなんて、見たこともない。


 いったいどれほどの幹の太さなのだろうか。


「しかもあの色、おそらくポイズントレントですね……」


 アルヴェントを挟んだフェルリナの反対側で、ロベスが苦々しい声を出す。


 その言葉に、昨日のできごとが脳裏に閃く。


「もしかして、昨日、ポイズンスクワールと遭遇したのは……っ!?」


 フェルリナの推測にアルヴェントが頷く。


「ああ、おそらく、巣にしていたトレントが動き出したせいで、新しいねぐらを探して移動中だったんだろう。ポイズンスクワールはポイズントレントをねぐらにすることで、他の魔獣から巣を狙われないようにしていると聞いた覚えがあるが、まさか、ポイズントレントそのものに出くわすとはな……」


「ですが、ポイズントレントなら、ドラゴンより遥かに御しやすい相手です。毒があるのが厄介ですが、いまはフェルリナ様がいらっしゃいます。森に火が移らないよう気をつけなければいけませんが、遠くから火魔法で燃やせば……」


「ま、待ってくださいっ!」


 ゆっくりとこちらに近づいてくるポイズントレントから視線を外さぬまま作戦を練り始めたロベスを、フェルリナは思わず止める。


「あの……っ! ポイズントレントということは、きっと毒果が実っていますよね……っ!?」


「ああ、この季節ならおそらくな。だが、それがどうした?」


 身を乗り出して問うたフェルリナに、不思議そうにアルヴェントが問い返す。


「なんとか、その毒果を手に入れることはできないでしょうか……っ!?」


「毒果を?」


 いぶかしげに眉を上げたアルヴェントに大きく頷く。


「そうですっ! ポイズントレントの毒果なら、かなり強い毒のはずです……っ! それを利用すれば、ドラゴンに対抗できる毒の罠や毒矢を作れませんか……っ!?」


 トレントは薬効が高い希少な実がなることで知られている。それを得るために、火の魔法を使わずに倒す場合もあるほどだ。


 ドラゴンにふつうの毒は効かぬだろう。


 だが、ポイズントレントの毒なら、もしかしたら。


 一縷いちるの望みをかけて告げた提案に、しかしアルヴェントから返ってきたのは、険しい表情だった。


「確かに、ポイズントレントの毒果なら、ドラゴンにも効くかもしれん。だが、そのために団員達を危険にさらすわけにはいかん」


「ですが、ドラゴンに真っ向から挑むほうが結果的に危険ではありませんか……っ!?」


 アルヴェントが相手だということも忘れ、食ってかかる。


 ドラゴンと戦う時に最も危険な役目を負うのは、間違いなくアルヴェントだ。


 毒果で危険が少しでも軽減されるかもしれないのなら、いまポイズントレントと遭遇したのは僥倖ぎょうこうと言ってもいい。


 フェルリナの提案を肯定したのはロベスだった。


「フェルリナ様のおっしゃるとおりです。ポイズントレントよりドラゴンのほうが強敵なのは自明の理。ドラゴンに抗せる手段があるのなら、積極的に準備しておくべきでしょう」


 副団長の提言に、アルヴェントがさらに顔をしかめる。


「だが、ドラゴンが魔境から出ているかどうか、確実な情報はない。昨日までの異変は、ポイズントレントの移動のせいで引き起こされていた可能性のほうが高い。毒果を得たとしても、その効能が何年も持つわけではないだろう? 比較的安全に倒せる手段があるというのに、確実に使うかどうかわからぬもののために団員を危険な目に遭わせるわけには……」


「では、私がトレントに登って毒果を取ってきます!」


「馬鹿を言うなっ!」


 アルヴェントの言葉を遮るように宣言すると、即座に怒鳴られた。


 あまりの大声に、思わず身体が震え、周りにいた団員達が何事かとフェルリナ達を振り向く。


「きみにそんな危ない真似をさせられるわけがないだろう!? きみが行くくらいなら俺が行くっ!」


「で、ですが、アルヴェント様は指揮が――」


「そんなものはロベスに任せればいいっ! きみに無茶をさせるくらいなら、俺がしたほうがよほどマシだ! ロベス、革鎧かわよろいを出せ。金属鎧では木登りもできん!」


「アルヴェント様っ!?」


 毒果を得たいのは確かだが、アルヴェントに木登りをさせるつもりなんてない。


 うろたえた声を上げ、思わずアルヴェントに取りすがったフェルリナの後ろから聞こえてきたのは、ナレットとチェルシーの声だった。


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