46 私が全力でお護りいたします……っ!


「すまない、きみをいじめるつもりなんてなかったんだが……。自分の身体のことだ。鱗のことは初耳だったが、傷跡が広がっていることは、俺自身も気づいていた」


 フェルリナから視線を逸らしたアルヴェントが、何でもないことのように言を継ぐ。


「だが……。傷跡が広がり出したのは、ごく最近なんだ。それだけじゃない。少しずつ、傷跡の広がる速さが増してきている気がする……」


「っ!?」


 今度はフェルリナが息を呑む番だった。


 なぜ、最近になって広がり出したのか、フェルリナには原因の想像がつかない。


 ドラゴンがゴビュレス王国に近づきつつあるからなのか、それとも、まったく別の理由からなのか……。


 いや、それよりも大切なことは、アルヴェントに残された時間が、あとどれだけあるかということだ。


 かちかちと鳴るうるさい音が、思考の邪魔をする。


 いつまでも鳴りやまぬ音に、フェルリナはそれは自分の歯が鳴る音だとようやく気がついた。


 アルヴェントの手にふれた指先が、みっともないほど震えている。


 いまや、冷えたアルヴェントの手以上に、フェルリナの手のほうが冷たいくらいだ。


 フェルリナの様子に、アルヴェントがわずかに口の端を上げる。


「そんな顔をしないでくれ。もともと、ドラゴンが近づいてきているかもしれないとわかった時点で、次こそ仕留めると心に決めていた。呪いがあろうとなかろうと、俺がすることは変わらない。ドラゴンがゴビュレス王国に仇なすというのなら、全力で打ち倒すだけだ」


 力強く告げたアルヴェントが、口の端を上げ、にっと笑う。


 フェルリナの不安を吹き飛ばすような頼もしい笑みで。


「アルヴェント様……っ!」


 アルヴェントの手はまだ冷たい。


 けれども、アルヴェントの頼もしい笑みを見ていると、たとえそれがフェルリナを安心させるための大言壮語なのだとしても、きっと大丈夫だと無条件に信じたくなる。


「はい……っ! アルヴェント様がドラゴンに立ち向かうのでしたら、私が全力でおまもりいたします……っ!」


 胸に渦巻く不安を押しのけるように告げると、なぜかアルヴェントに苦笑された。


「きみのその気持ちは嬉しいし、頼もしいことこの上ないが……。ふつうは、騎士である俺が護るほうだろう?」


「いいえっ! 私もアルヴェント様のことを護ってみせますっ!」


 これだけは譲らないときっぱり告げると、アルヴェントの笑みが深くなった。


「フェルリナは、意外と頑固なんだな」


「……お嫌、ですか……?」


 思えば、クライン王国にいたころは、言われたことに反論したことなど、一度もなかった。


 口にしたとしても、フェルリナの意見など一蹴いっしゅうされるのだと、いつしか自分の気持ちを表に出すことすら諦めていた。


「嫌だと思うわけがないだろう?」


 フェルリナの心配を杞憂だと言わんばかりに、アルヴェントが柔らかな笑みを浮かべる。


「きみの気持ちや意見を聞けるのは嬉しいことこの上ない。きみは謙虚だからな。どんなことでも、もっと口にしてくれていいんだぞ」


 アルヴェントの拳に重ねていたフェルリナの手に、もう一方の手が重なる。


「……ありがとう」


「え……?」


 なぜ礼を言われるかわからず、きょとんと首をかしげると、アルヴェントがいたわるようにフェルリナを見つめた。


「気を失うほど、話しにくいことだったというのに……。俺にドラゴンの呪いのことを教えてくれて、ありがとう」


 真摯な声音は、アルヴェントの本心なのだと、真っ直ぐに伝わってくる。


「そんな……っ。私はアルヴェント様の心労を増やしただけですのに、お礼なんて、とんでもないことです……っ!」


 泡を食ってかぶりを振ると、「何を言う?」とアルヴェントが微笑んだ。


「知っていることは大切だ。知識があるかどうかで、大切な決断を間違わずに済む。きみに教えてもらったおかげで、心が決まった」


 一瞬、アルヴェントの黒い瞳に決意が閃く。


 だが、それはほんの刹那せつなのことで、精悍せいかんな面輪に浮かんだのは、いたわりに満ちた優しい笑みだった。


「では、そろそろフェルリナの天幕へ送ろう。……きみが俺の天幕にいつまでもいると、ロベスに刺されそうだからな……」


「ロベスさんはそんなことなどしないでしょう? 聞いたらきっと怒られるのでは……?」


「いや、あいつならやりかねん。『王妃様に釘を刺されたのに、わたしに剣まで刺させる気がですか!?』とか言って、脅してきそうだ……」


 げんなりした表情のアルヴェントに、思わずくすくすと笑みがこぼれる。


 フェルリナの笑顔に、アルヴェントがほっとしたように表情をゆるめた。


「立てそうか?」


「はい、もう大丈夫です。お騒がせしました」


「もう夜も更けている。あたたかくしてくれ」


 手を借りて寝台から下りると、手近にあったアルヴェントの上着をそっと肩にかけられた。


 アルヴェントに手を引かれるまま、天幕を出る。


 外に出ると、頭上には星空が広がっていた。


 騎士達はみな、それぞれの天幕で眠っているのだろう。き火の番をしている騎士と、見回りの騎士達しか起きていないようだ。


 どうやら思った以上に長く気を失っていたらしい。


「申し訳ありません。アルヴェント様もお疲れですのに……」


 アルヴェントのことだ。きっと、フェルリナが目覚めるまで、ずっとそばについていてくれたに違いない。


「俺がついていたかったからいいんだ。気にしないでくれ」


 騎士達を起こさないようにだろう。小声で言ったアルヴェントが小さく笑う。


 夜行性の魔物が息をひそめて隙をうかがっているかもしれない森の中の陣営なのに、アルヴェントが隣にいてくれると、怖いものなどないように思える。


 夜でも、なかなか気が休まらなかったクライン王国の遠征とは大違いだ。


 フェルリナの天幕は、アルヴェントの天幕のすぐ近くだった。


 アルヴェントのあたたかな手を離さなければならないのだと思った途端、驚くほど強い寂しさを感じてしまった自分に動揺してしまう。


 だが、これ以上、アルヴェントに負担をかけるわけにはいかない、


「本当に、ありがとうございました」


 天幕の前でつないでいた手を離し、深々と頭を下げる。


「いや、こちらこそ夜更けまで悪かった。ゆっくりと休んでくれ」


 アルヴェントがぽふ、と優しくフェルリナの頭を撫でる。


「はい。アルヴェント様も」


 長身を見上げて微笑んだ拍子に、夜空よりも深い色の瞳と視線があう。

 いまは頬の傷も夜の闇に沈んでよくわからない。


 ……もう一度、くちづけられるのではないか。


 黒い瞳に宿る熱に、ふとそんな予感を感じる。けれど。


「おやすみ。ゆっくり休むんだぞ」


 もう一度、フェルリナの頭を撫でたアルヴェントがきびすを返す。


「お、おやすみなさいませ……っ」


 自分の勘違いに穴があったら入りたい気持ちを味わいながら、フェルリナは真っ赤になった顔を隠すようにもう一度深く頭を下げた。


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