45 どうしてもお伝えしたいことがあるのです


 アルヴェントが寝台に額をぶつけそうなほど、深々と頭を下げている。


「きみの笑顔が愛らしすぎて気持ちが抑えきれず、思わず……っ!いやっ、謝って済む問題ではないことはわかっている! どれだけ罵倒ばとうされても足りんっ! 何なら殴り飛ばしてくれても……っ!」


「ア、アルヴェント様っ!? お、落ち着いてください……っ!」


 突然、恐慌に陥った様子のアルヴェントの狼狽ろうばいがうつったように、フェルリナもあわあわと声をかける。


 決して顔を上げようとしないアルヴェントに困り果て、フェルリナはすぐそばのアルヴェントの髪を優しく撫でた。


 アルヴェントの大きな身体がびくりと揺れる。だが、顔はまだ上がらない。


「きみの気が済むのなら、好きなだけ髪の毛を引き抜いてくれてもかまわない……っ!」


「な、なんてことをおっしゃるんですかっ!? そんなこと、いたしませんっ!」


 すっとんきょうな声を上げて、ぱっと手を離したが、アルヴェントがうつむいたままなので、自分の言葉を証明するように、もう一度、髪を撫で始める。


 短い髪の感触がくすぐったくて、自然と笑みが浮かぶ。いつの間にか涙は止まっていた。


「どうしてアルヴェント様が謝られることがあるんですか? だって……。先ほどアルヴェント様がおっしゃってくださったのではありませんか。俺の花嫁だと。ならその……、く、くちづけも自然なことではないですか……?」


 アルヴェントとくちづけたのだと思うと、それだけで燃えるように顔が熱くなる。


 恥ずかしさをおして告げると、アルヴェントが「ふぐぅ……っ!」とくぐもった呻き声を洩らした。


「アルヴェント様?」


「ま、待ってくれ……っ! そんなに可愛いことを言われたら、かろうじて自制している理性が崩壊する……っ!」


「あ、あの……?」


「ロベスが言ったとおり、フェルリナの天幕に寝かせるべきだったか……っ!? いやしかし、他の者に任せるのは……っ!」


 拳を握りしめて何やらぶつぶつ呟くアルヴェントの姿に、無意識に笑みがこぼれる。


 アルヴェントがフェルリナを大切に想ってくれているのが、ごく自然に信じられる。


 ――この人をうしないたくない。


 心の底から、そう願う。

 そのために。


「アルヴェント様……。真実かどうかは、私にも判断がつきません。ですが……。どうしても、アルヴェント様にお伝えしたいことがあるのです」


 頭を撫でていた手を止め、静かに告げる。


 フェルリナの声の硬さに、常ならぬものを感じ取ったのだろう。突っ伏していたアルヴェントが、のそりと身を起こす。


「ああ、聞かせてくれ」


 椅子に座り直したアルヴェントが、表情を引き締め背筋を伸ばす。


 フェルリナはひとつ深呼吸して、気持ちを落ち着かせると、できるだけ落ち着いた声で説明を始めた。


「ドラゴンの呪いを解くために紐解ひもといていた古文書の中に……。ひとつ、気になる伝承が記されたものがあったのです。単なる伝説ではないのかと半信半疑……。いえ、いまとなっては、嘘八百のおとぎ話であるほうがいいとさえ思っています……」


「古文書には、いったいどんなことが書かれていたんだ?」


 アルヴェントの問いに、フェルリナは思わず毛布を握りしめる。


 だが、ここまで話しておいて残りを言わないなんてありえない。


「そこには……。『カースドラゴン』と呼ばれるドラゴンの一種についての記述がありました。黒紫色の鱗を持つカースドラゴンは、強く恨んだ相手に呪いをかけるそうなのです……。呪いをかけられた者は、やがて、カースドラゴンの眷属けんぞくとなり、呪いが凝縮ぎょうしゅくされた眷属を喰らうことで、カースドラゴンはさらに力を増すのだと……」


「っ!?」


 告げた瞬間、アルヴェントが鋭く息を呑む。


「つまり……。俺にかかっている呪いはカースドラゴンのものだと……?」


 問うた声は、ひどくかすれていた。


 フェルリナはあわてて言を継ぐ。


「で、ですがっ、古文書の内容が本当に真実かどうかはわかりませんっ! どこかが間違って伝わっている可能性だって……っ!」


 思わず、アルヴェントが握りしめた拳にふれ、はっとする。


 いつもあたたかなはずのアルヴェントの手が、ひどく冷たい。


「だが、背中にうろこが生えていたということは、俺が人ならざるモノに変わりつつあることは、確かなのだろう……?」


 アルヴェントの声は、地の底から響くかのようにくらく、低い。


 自分のせいでアルヴェントにこんな声を出させているのだと思うと、いても立ってもいられない気持ちになる。


「もし、本当にカースドラゴンの呪いだとしても、まだ時間はありますっ!」


 少しでもアルヴェントの気持ちを上向きにしようと、必死に声を振り絞る。


「ドラゴンの呪いを受けてから、まだ三年なのでしょう……っ!? 背中の鱗は、まだ拳ほどの広さもないほどですっ! 三年でその広がりなら、まだ時間は十分にありますっ! それまでにアルヴェント様や騎士団全員がレベルアップすれば、きっとドラゴンだって……っ!」


「呪いが同じ速さで進行すると、なぜ言い切れる?」


 アルヴェントの静かな指摘に、フェルリナは唇を噛みしめる。


 フェルリナの様子に、困ったようにアルヴェントが眉を下げた。


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