44 何か、俺に隠していることがあるだろう?


 そっ、とあたたかな手のひらが頬にふれる。


 剣だこのあるあたたかく大きな手のひらは……。


「アルヴェント、様……」


 心に浮かんだ人の名をぼんやりと呟くと、頬を包んでいた手が驚いたように離れた。


 同時に、フェルリナの意識が覚醒する。


「あ……」


 ぼぅっとまぶたを開けた途端、飛び込んできたのはアルヴェントの精悍せいかんな面輪だ。


「フェルリナ! 大丈夫か!?」


 心配にあふれたアルヴェントの声に、自分が意識を失ったことを思い出す。


「す、すみません……っ」


 いまがどんな状況がわからず、謝りながら身を起こそうとすると、寝台のすぐそばの椅子に座るアルヴェントに止められた。


「無理に起きなくていい。気分は? 何か欲しいものはあるか?」


「すみません、ご迷惑を……。あの、大丈夫ですから……っ」


 安心させようと早口に言ったが、アルヴェントから帰ってきたのは険しい表情だ。


「無理はするな。まだ顔色が悪いぞ」


 気を失っている間に陽が暮れたのだろう。天幕の中にはランプが灯っている。天幕の様子からするに、アルヴェントの天幕に寝かされていたらしい。


 アルヴェントの寝床を奪ってしまったと気づいた瞬間、申し訳なさで身が縮む心地がする。


「す、すみません……っ! でも、本当に大丈夫です! もう、起きられますから……っ」


 アルヴェントの言葉を無視して強引に起き上がろうとすると、大きな手のひらに背中を支えられた。かけられていた毛布がすべり落ち、おなかのところで折り重なる。


 立ち上がってフェルリナに手を貸してくれたアルヴェントから、仕方なさそうな吐息が降ってきた。


「起きたいのなら手を貸そう。水を飲むか?」


「は、はい。ありがとうございます」


 フェルリナを起こしてくれたアルヴェントが、すぐに木の杯に水を注いで渡してくれる。


 礼を言って口をつけて初めて、喉がからからにかわいていることに気がついた。


 なみなみと注がれた水をひと息に飲み干し、ほっと大きく息をつく。


「おかわりはいるか?」


「いえっ、もう十分です。ありがとうございます……」


 ふるふるとかぶりを振って礼を言うと、フェルリナが両手で包み込むように持っていた杯をアルヴェントがひょいと取り上げ、そばのテーブルに置く。


 まだぼんやりとしたまま、ふたたび椅子に座るルヴェントを見ていると、不意にアルヴェントが身を乗り出した。


「フェルリナ。教えてほしいことがある」


 黒い瞳が真っ直ぐにフェルリナを貫く。


「何か、俺に隠していることがあるだろう?」


「っ!」


 問われた瞬間、びくりと大きく身体が震える。


 これでは何か隠しごとがあると言っているも同然だ。


 それでも何とかごまかせないかと必死に頭を巡らせていると、大きな手のひらでそっと優しく手を包み込まれた。


 アルヴェントがかたくなな心をほぐすように、穏やかな声を紡ぐ。


「違うんだ。もしフェルリナが秘密を持っていたとしても、それを無遠慮に暴くつもりなんてまったくない。誰だって、隠したいことのひとつや二つあるだろう。だが……。いま、フェルリナが隠そうとしていることは、俺の……ドラゴンにかけられた呪いに関することだろう? きみは、いったい何を知っているんだ?」


 アルヴェントの声に導かれるように視線を上げると、黒い瞳とぱちりと視線があった。


「俺の呪いのことできみを苦しめたくない。どんなことでも受けとめるから、教えてくれ」


 真摯しんしな声音に心が揺れる。


 包み込むようなまなざしは、思わずすがりつきたくなるような頼もしさで……。


 だからこそ、この優しい人にこれ以上の重荷を背負わせたくないと思ってしまう。


 唇を引き結び、視線を逸らすようにうつむくと、フェルリナの手を包む指先に力がこもった。


 痛くはない。けれど、振りほどけそうにない大きな手は、アルヴェントの決意を伝えるかのように力強い。


「……きみは、優しいな」


「え……?」


 不意にこぼされた思いがけない言葉に、驚いて視線を上げる。


 虚をつかれたフェルリナの顔がおもしろかったのか、アルヴェントがくすりと笑った。


「きみが沈黙を守るのは、自分のためではなく、俺のためだろう? 俺が傷つかないようにと……。そんなきみを優しいと言わずに何と言う? ……うん? まさに聖女と言うべきか? それとも女神だろうか……? 慈愛の化身と呼んでもいいかもしれんな……」


「ア、アルヴェント様っ!?」


 真剣な顔でとんでもないことを検討し始めたアルヴェントに、すっとんきょうな声が飛び出す。


「な、何をおっしゃるんですかっ!? わ、私なんかが、そんな素晴らしい存在のわけが……っ!」


 とんでもない! と必死にかぶりを振ると、アルヴェントが小さく吹き出した。


「ようやくいつものきみらしくなったな。だが、きみはいつも『私なんか』と言うが、きみは決して卑下ひげするような存在じゃない。俺が……、いや、俺だけじゃない。団員達もどれほどきみに助けられているか……。どうか、それだけは忘れないでくれ」


 真っ直ぐにフェルリナを見つめ、アルヴェントが真剣な表情で告げる。


「クライン王国できみがどんな目に遭ってきたのか、俺はくわしくは知らない。だが、きみはもう、クライン王国の聖女じゃない。きみが自信を持ってくれるまで何度でも言おう。きみはゴビュレス王国の聖女であり、俺の大切な花嫁なんだ」


 フェルリナの心の底にこごる哀しい記憶をほどくかのように、あたたかなアルヴェントの手がしっかりとフェルリナの手を包む。


「ありがとう、ございます……」


 言葉と同時に、ほろり、と涙がこぼれ落ちる。


「フェ、フェルリナ……!?」


「そんな風に言っていただけるなんて……。嬉しいです……っ」


 哀しくて泣いているのだと誤解させたくなくて、泣きながら笑みを浮かべると、アルヴェントが小さく息を呑んだ。


 包み込んでいた手からゆっくりと離れたアルヴェントの右手が、そっとフェルリナの頬を包む。


「フェルリナ……」


 甘く名を紡いだアルヴェントが、腰を浮かせて身を乗り出す。


 無意識に閉じたまぶたにあたたかな呼気がふれたかと思うと、もっと熱いものに唇をふさがれた。


 そっとふれるだけの、愛しさにあふれた優しいくちづけ。


 ゆっくりと離れた熱にかすかに寂しさを覚えた途端。


「す、すすすすすまんっ!」


 あわてふためいた大声に、フェルリナは驚いてまぶたを開けた。


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