43 ふれても、よいでしょうか……?



 近くで見ると、さらにいっそう傷が痛々しく感じられる。


 いや、ドラゴンにつけられた傷跡だけではない。よく見れば、アルヴェントのたくましい身体には、細かな傷があちこちについていた。


 傷を癒すためには、聖魔法の他にポーションもあるとはいえ、戦闘中にすぐに飲めるものでもない。


 傷を治すまでに時間がかかれば、どうしても傷跡が残ってしまうこともある。


 無数の傷跡は、アルヴェントがゴビュレス王国を守るためにいままでどれだけの戦いを乗り越えてきたのか、何よりも雄弁に物語っていた。


 自分が一緒に遠征に出るからには、これから先、決してアルヴェントの傷跡を増やすまいと、フェルリナは密かに強く決意する。


「傷が痛んだりはしませんか……?」


「ああ、幸いにな。動くのにも支障はない」


「そ、その……っ、ふれても、よいでしょうか……?」


 おずおずと問うと、ぎこちない頷きが返ってきた。


「あ、ああ。聖魔法をかけるのに必要なら、かまわんが……」


「で、では、失礼いたします……」


 そ、とアルヴェントの胸に指先でふれる。


 傷跡を確かめるように指先でなぞると、たくましい身体がかすかに揺れた。


「す、すみませんっ! 痛いですか!?」


「い、いやっ、まったく痛みはないが、そんなに優しくふれられると、優しすぎてくすぐったいというか……っ」


 顔を背けたアルヴェントがあわてた様子で答える。精悍な面輪はうっすらと赤い。


「も、申し訳ありません……っ!」


 謝罪したフェルリナは、手のひら全体で胸にふれる。手のひらに伝わってくる鼓動は、とくとくとくとくと、やけに速い。


 フェルリナの聖魔法が傷に効くかどうか、不安に思っているのかもしれない。


 少しでもアルヴェントが安心できるようにと、にこりと微笑みかけると、ちらりとフェルリナを見やったアルヴェントが「うぐっ」と呻いた。


 何やらアルヴェントに負担をかけているらしいと、フェルリナは目を閉じて集中すると、呪文を唱える。


「聖なる神よ。あなたの慈悲を授けられた愛し子がこいねがいます。どうかこの者の身体に巣喰う呪いを癒やしたまえ――」


 唱えるのは、解呪の呪文だ。


 アルヴェントは、怪我が治っても傷跡は決して消えなかったと話していた。


 そして、フェルリナが古文書で読んだことが確かならば、アルヴェントの身体に刻まれているのは『呪い』のはずだ。


 どうか、アルヴェントにかけられた呪いが解けますようにと、ありったけの力をそそぎ込んで祈る。


 だが。


「……フェルリナ、もういい。無理はするな」


 しばらくののち、胸に押し当てていた手をそっと優しく掴まれ、離される。


 アルヴェントの胸の傷跡には、まったく変化がなかった。


 当然だ。フェルリナ自身、何の手ごたえも感じられなかったのだから。


 予想はしていたものの、やはり、フェルリナの力ではドラゴンの呪いを解くことはできないらしい。


「今日はいつも以上に魔力を使っただろう? 解けない呪いのために無理はしないでくれ。顔色が悪いぞ」


「申し訳ありません……」


 気遣いに満ちたアルヴェントの声に、うなだれて謝罪する。


 指摘されたとおり、魔力の使いすぎなのか、頭が少しくらくらする。


「フェルリナの聖魔法をもってしても、呪いがどうにもならんとわかっただけでも収穫だ。ひとまず、もうよいだろう?」


 アルヴェントが脱いだ服に手を伸ばそうと身体をひねる。


 その背中は、アルヴェントがいままで決して敵に背を向けなかったことを示すかのように、ドラゴンの傷跡がある前面とは比べものにならないほど綺麗だ。


 だが、その中ほどにたったひとつだけあるものは。


「お待ちくださいっ!」


「団長! それは……っ!?」


 フェルリナとロベスが同時に叫ぶ。


「なんだ?」


 不思議そうな声を上げたアルヴェントにかまわず、


「背中をよく見せてくださいっ!」

 とアルヴェントの後ろに回り込む。


 背中の中央。ちょうど肩甲骨けんこうこつの下辺りが、こぶしくらいの大きさに黒ずんでいる。


 ドラゴンの傷跡と同じ、黒紫色に変色している皮膚に、フェルリナは震えながら手を伸ばした。


 指先にふれたのは、なめらかな皮膚の感触でも、傷跡のざらりとした感触でもない。


 そこだけ鉱石を薄く伸ばして貼りつけたような硬質な感触が連なるさまは……。


うろこ……」


「っ!? 馬鹿なっ!? フェルリナ様っ、どいてくださいっ!」


 フェルリナを押しのけるようにして、ロベスがアルヴェントの背中に取りすがる。


 ぺたぺたと遠慮なくふれるロベスの顔から、どんどん血の気が引いていく。


「そんな……っ、鱗なんて生えるわけが……っ!」


「鱗? どういうことだ? 俺の背中に鱗が生えているのか?」


 どうやら自分でも気づいていなかったらしい。


 アルヴェントがいぶかしげな声を上げる。


 だが、フェルリナは二人の声などろくに耳に入っていなかった。


 嘘だ。嘘であってほしい。


 頭の中でもうひとりの自分が叫んでいる。


 脳裏を巡るのは、読み解いた古文書の記述だ。


 古いふるい、伝説か事実かもわからぬ記述。


 もし、その内容が真実だというのなら、アルヴェントは――。


 足元の地面が抜け落ちた心地がする。


 がくがくと全身が震え……。


「フェルリナ!?」


 アルヴェントの声に答えることもできぬまま、フェルリナは気を失った。


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