34 【幕間】イーメリアの不満 


「いやっ! どうしてあたしが遠征に行かなきゃいけないのよ! この間行ってきたばかりじゃないっ! 不便だし、大変だし、何より危険だし……っ! いやっ! もう遠征になんて行かないわっ!」


 次の遠征の話を出した途端、まなじりを吊り上げてまくし立ててきたイーメリアの剣幕に、執務机で書類の裁可を行っていたクライン王国の王太子・クレヴェスは思わず眉をひそめた。


 が、すぐに表情をとりつくろい、ソファーに腰かけ、憤然と腕を組むイーメリアにできるだけ穏やかに話しかける。


「何を言うんだい? 騎士達の感謝の言葉を聞いただろう? きみのレベルアップ支援の加護をどれほど褒めたたえていたことか……。どうして急にこんなに不満を言うんだい? いままでだって、遠征に出たことは何度もあるだろう?」


「だって、五日以上も王都から離れないといけないのよ!? その間、あたしがどんな不便を味わっているか……っ!」


 五日程度の遠征など、騎士団にとってはさほど長くもない。


 だが、そういえばフェルリナがいる時は、イーメリアは王都近郊のせいぜい一泊で帰ってこられる程度の遠征にしか参加したことがなかったなと、いまさらながらに思い当たる。


 それが、フェルリナがいなくなったことで、遠方の遠征にも出なければならなくなり、その不便さにうんざりしたというところだろう。


 だが、フェルリナがいなくなった以上、イーメリアには何としても遠征に出てもらわなくては困る。


 聖女の有無は、騎士団員の安全に直結する。


 秋も深まってきたいまの時期は、冬ごもりに備えて魔物の動きも活発になる時期だ。


 冬になって遠征が困難になる前に、少しでも魔物の数を減らしておかなければ、警備の手薄な辺境の村から魔物に襲われてゆく。


 四つ、五つ程度の村なら、王国の運営に支障など出ないが、貴族達から突き上げを食らうのは面倒だ。


 そのためにも、イーメリアにはちゃんと聖女の務めを果たしてもらわねば。


 クレヴェスはできるだけ優しい声音でイーメリアの機嫌をとる。


「そうか。遠征が大変だったんだね。もしかしたら、フェルリナの時の習慣がまだ残っていていたのかもしれない。きみは、フェルリナなんかとは比べ物にならない素晴らしい聖女だというのに……。騎士団にはわたしからも重々注意しておこう。次からの遠征では、きみに不便な思いをさせないと約束しよう」


「嫌よっ!」


 クレヴェスの言葉に、だがイーメリアはにべもなく首を横に振る。


「どうしてあたしがむさくるしい騎士達と一緒に危険な遠征に行かないといけないの! あんな汚れ仕事、フェルリナにやらせればいいのよっ!」


 一瞬、クレヴェスはイーメリアが記憶を失ったのかと疑う。


 フェルリナは売り払うようにゴビュレス王国へ嫁がせたというのに、それを忘れたのかと。


 だが、そうではなかったらしい。


 ソファの肘置きに肘をつき、執務机へ身を乗り出したイーメリアが唇を吊り上げる。


「ねぇ、フェルリナを連れ戻しましょうよ」


「は? 何を言っている?」


 思わず素の呆れ声がこぼれ出る。


「フェルリナはゴビュレス王国と正式に文書を交わして嫁いでいったんだぞ? それを返せとは……。ゴビュレス王国が承知するはずがなかろう。何より、ゴビュレス王国と取引した資材はどうなる? 契約違反を問われて返すような羽目に陥ってみろ。我が国がこの冬を無事に越せるかどうか怪しくなってくるんだぞ!?」


 これだから学のない聖女は、と呆れ果てる。


 聖女ゆえクレヴェスと婚約することになったものの、子爵に令嬢に過ぎないイーメリアは、本来なら王太子と婚約できるような身分ではないのだ。


 だが、聖女は各国が喉から手が出るほど欲している存在だ。


 それゆえ、ちゃんと加護を持つ聖女を他国へ流出させぬために、王太子の婚約者としているというのに……。


 見てくれがよいことと聖女であることだけがイーメリアの価値なのだから、ちゃんと聖女としての働きはこなしてもらわなくては困る。


 こうなるのだったら、加護なしと言えど、文句のひとつも言わずにどんな遠征にも黙々と随行ずいこうしたフェルリナを手放したのは早計だったかと、クレヴェスは初めてフェルリナを惜しむ。


 そんなクレヴェスの心を読んだかのように、イーメリアが婉然えんぜんと微笑んだ。


「いやだ、あんな加護なしの役立たずがゴビュレス王国でちゃんとやっていけていると思ってらっしゃるの? きっとあちらでも役立たずだと見限られているに決まっているわ。もしくは、魔境に近いゴビュレス王国の過酷さに泣き暮らしているか……。どちらにしろ、クライン王国を懐かしんでいるに違いないわ」


「だが、契約で、クライン王家も父親である男爵も、今後一切、フェルリナの進退に介入できないと定められている」


 つまり、ゴビュレス王国は手に入れた聖女を手放すつもりは決してないという意味だ。


 フェルリナがどれほど泣いて嫌がろうが、ゴビュレス王国は無理やりにでも聖女の力を使わせているに違いない。


 書類上はフェルリナの夫となった第二王子の威圧感に満ちた姿が脳裏に浮かぶ。


 『ゴビュレスの呪われた灰色熊』という異名にどおりの恐ろしげな容貌と、必ず聖女を連れ帰るのだという固い決意に満ちたまなざし。


 きっとあの男なら、容赦なくフェルリナをこき使っているだろう。あの男がフェルリナを手放すとは、どう考えてもありえない。


「でも、フェルリナ本人がどうするかまでは定められていないのでしょう?」


「……どういうことだ?」


 イーメリアが言わんとすることを測りかね、眉をひそめる。イーメリアが呆れたように鼻を鳴らした。


「だから、フェルリナが自分の意思で出奔しゅっぽんしたらどうするかまでは、契約で定めていないのでしょう? なら、フェルリナ自身にクライン王国まで逃げさせれば済む話だわ。あの役立たずなら、どうせゴビュレス王国でも身の置きどころがない目に遭っているに違いないもの。あんなのに王子の妃が務まるはずがないんだし。使者を遣わして、『自分で王城を逃げ出してくれば、クライン王国へ連れ帰ってかくまってやる』とでも言えば、ほいほい乗ってくるに決まってるわ。そうして連れ帰ったなら、助けてやったことを恩に着せて、とことん使ってやればよいのよ」


「なるほど……。たとえゴビュレス王国から抗議が来たとしても、聖女を粗雑に扱ったのはあちらが先。聖女自らに保護を求められて、仕方なく連れ帰ったのだと言えば、契約違反にはならないだろう。『聖女を庇護する』という契約を先に破ったのはゴビュレス王国のほうになるのだから」


 低い声で呟きながら、イーメリアの提案を検討する。


 確かに、悪くない案だ。クライン王国は物資も聖女もどちらも手に入れることができる。


 ゴビュレス王国は必ず抗議してくるだろうが、聖女を欲しているのがあちらである以上、そう強くは出てこられないだろう。


 場合によっては、フェルリナの身をクライン王国に戻した上で、多額の報酬と引き換えに、一時期だけゴビュレス王国に貸し出してもいい。


 そうすればいっときだけでなく、何年にもわたってクライン王国を富ませることができる。


「そうだな……。仮にも、我が国で何年も聖女を務めていたのだ。他国に嫁いでどんな暮らしをしているのか確かめるくらいの義理は示してやらねばな」


 クレヴェスは自分に言い聞かせるようにゆったりと微笑んで呟く。


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