33 どこか身体が悪いわけではないのよね?


「いいこと? アルヴェント。あなた、結婚式が終わるまで、フェルリナ嬢に手を出してはだめよ」


「っ!?」


 王妃の言葉にアルヴェントが息を呑んで凍りつく。


 が、フェルリナもアルヴェントの様子にかまう余裕などなかった。


「あの……っ!? そ、それは……っ」


 顔が燃えるように熱い。恥ずかしさに顔を上げられず、うつむいて身を縮めていると、「もしかして……っ!?」と王妃が声を震わせた。


「ゆうべはロベスに命じて厳重に鍵をかけさせたのに、扉を蹴破ったの……っ!? それとも、旅の間にもう……っ!?」


「母上は俺のことをどんなけだものだと思っておられるんですかっ!?」


 下手な魔物なら逃げ出しそうな迫力でアルヴェントが怒鳴る。


 周りの草木さえ震えた気がして、フェルリナは廊下にまでアルヴェントの叫びが届いていたらどうしよう、と怯えて周りを見回した。


「俺が突然他国に嫁ぐ不安に怯えている娘に手を出すようなけだものだと思ってらっしゃるんですか!? 己の息子をそんなやからに育てたと!?」


 怯えるフェルリナに気がついたのだろう。アルヴェントが声を抑えるものの、王妃を見据えるまなざしは刃のように鋭い。


 むしろ、うなるように声が低くなった分、迫力が増したほどだ。


「お、王妃様っ! アルヴェント様のおっしゃるとおりですっ! アルヴェント様は心から私を気遣ってくださって……っ! 私に不埒ふらちなことなど、まったくなさっていませんっ!」


 誤解を生んではたまらないと、フェルリナは紅い顔のまま必死に訴えかける。


 が、王妃から返ってきたのはいぶかしげな表情だった。


「こんなに愛らしいフェルリナ嬢を前にして、襲わずに耐えているなんて……。アルヴェント、どこか身体が悪いわけではないのよね?」


「そんなはずがないでしょう!? 俺が毎日、どれほど理性を奮い立たせているか……っ!」


「え……?」


 予想もしていなかった言葉に、呆けた声が洩れる。


 と、見上げたフェルリナと目があったアルヴェントが気まずげに視線を逸らした。


 アルヴェントが理性を奮い立たせてくれているということは、つまり……。


 思い至った瞬間、特大の炎の魔法を放たれたかのように、顔どころか全身が燃えるように熱くなる。


「フェ、フェルリナ!? いやあの……っ! 俺はきみの意にそまぬことをする気なんてないからなっ!?」


「は、はい……っ! あ、ありがとうございます……っ!」


 フェルリナの顔の熱さがうつったかのように、精悍な面輪を紅く染めたアルヴェントが勢い込んで告げる。


 礼を言ったものの、気恥ずかしくて互いに視線をそらせていると、


「まあまあまあっ! 本当に仲むつまじいことねぇ~!」


 王妃が華やいだ声をはずませた。


 気恥ずかしいことこの上ないが、いまの王妃には何を言ってもからかわれてしまいそうで、二人そろって黙り込む。


 真っ赤な顔で押し黙る二人に、王妃が口元をゆるめた。


「これは、初孫の顔を見られる日もそう遠くはなさそうだけれど……。でも、さっきも言ったとおり、結婚式を迎えるまで自制なさい。結婚式の時にすでに花嫁のおなかが大きいなんて、フェルリナ嬢にそんな気まずい思いをさせたくはないでしょう?」


「わ、わかりました……っ! フェルリナのためだというのなら、母上のおっしゃるとおり、自制いたします……っ!」


 アルヴェントが決意に満ちた面持ちで頷く。


 だが、きつく寄った眉根を見れば、王妃の決定にアルヴェントが不満を抱いていることは明らかだ。


「アルヴェント様……」


 フェルリナは男性側の事情はまったくわからないが、苦渋に満ちたアルヴェントの様子を見るに、アルヴェントにかけてしまう苦労はかなりのものに違いない。


 申し訳ない気持ちをなんと言葉にすればよいかわからず、おずおずと名前を呼ぶと、胸中にわだかまる思いを吹き飛ばすようにひとつ大きく吐息したアルヴェントが、ようやくフェルリナを振り返った。


 困ったように眉を下げた面輪には、優しい笑みを浮かんでいる。


「そんな顔をしないでくれ。もともと、きみの心の準備が整うまで待つつもりだった。それが、少し伸びただけだ」


 確かに、初夜を迎えるのはまだ怖い。


 けれども、それ以上に、自分を気遣ってくれるアルヴェントと王妃の心が嬉しくて……。


「アルヴェント様。王妃様もありがとうございます! 本当に、どれほど感謝を申し上げればよいのか……っ! ゴビュレス王家のため、力の限り尽くしますっ!」


 笑顔で感謝の気持ちを告げると、アルヴェントが「うぐっ」と喉の奥で菓子が詰まったようなうめきを洩らした。


「フェルリナ嬢ったら。ゴビュレス王国のためではなくて、あなた自身が幸せを求めてくれてよいのよ?」


 柔らかな笑みを浮かべだ王妃が、次いで息子を見やって呆れたように吐息する。


「アルヴェント……。あなた、本当に大丈夫なんでしょうね?」


「ど、努力いたします……っ!」


 呻くようなアルヴェントの声を聞きながら、フェルリナは自分も頑張らなければと、決意を新たにしていた。


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